㉕ 『アゼルとお師匠様(ししょうさま)』
アゼルは、ぽつぽつと話してくれた。お師匠様の事を。
「えっ、アゼルって、お父さんも、お母さんも……」
「うん。流行り病で二人共亡くなってしまっているんだ。ボクが、六歳の頃にね」
アゼルは何でもないことの様に言うけれど、私は訊いてはいけないことを訊いてしまった気がして、顔を俯ける。
そんな私の頭を撫でて、「大丈夫だよ」とアゼルは言ってくれた。
あっ。ちなみに私は、またアゼルに抱きついて添い寝している。でも、仕方ないよね。もう秋だし、夜ともなれば寒いから。うんうん。
「ただ、ボクは他に身寄りがなかったんだ。だから、誰がボクを今後育てていくのかということで、住んでいた村の人たちが押し付け合いを始めたんだ」
「……酷いよ、そんなの……」
「……まぁ、決して良いことではなかったけれど、村は貧しかったんだ。朝から晩までクタクタになるまで働いても、家族だけで食べていくのがやっとだったんだよ。だから、きっと仕方がなかったんだよ……」
アゼルはそう言って口の端を少しだけ上げて笑う。でも、その目がすごく寂しそうだった。
「で、そんな所に通りかかったのが、ボクのお師匠様のレイメルなんだ」
「レイメルさん、って言うんだ」
「うん。ただ、あまりその名前で呼ばれることが好きじゃあなかったみたいでね。ボクを引き取った後も、自分のことは『お師匠様』と呼べと言われたよ。
ああ、ちなみに、初めて出会ったときに。『おばさん、誰?』と言ったら引っ叩かれた。もう、そのときには五十歳を超えていたのに」
アゼルはそう言って、困ったように微笑む。でも、今度は悲しそうには見えなかった。
「まぁ、お師匠様は何故かボクを引き取りたいと言ってくれて、村の人にお金を渡して、ボクを強制的に弟子にすると自分の家に連れて行った」
「レイメルさんの家ってどんなところだったの?」
「……うん。本と本棚と、ホコリまみれの家だったよ。お師匠様はかなりズボラで、掃除はもちろん、料理もしない人だったから」
「ええっ! そんなところで生活するなんて信じられない! それに、料理もしなかったら、毎日の食事はどうしていたの?」
私の当然の疑問に、
「ああ、お師匠様の弟子というのはボクだけじゃあなくてね。他にも五人いたんだ。その中で一番上の姉さんが、主に料理をしてくれていたし、お師匠様の部屋以外は掃除をしていたよ」
アゼルはそう言って苦笑する。
「他のみんなもそれを手伝って生活していたんだ。まぁ、ボクは要領が悪くて失敗してばっかりだったから、あまり手伝わせては貰えなかったけれど……。でも、幸せだったよ。みんなで頑張って、お師匠様を支えて生活して行くのは」
アゼルはそこまで言うと、不意に笑みを消した。
「でもね。お師匠様は、ただ孤児を助けるつもりでボクたちを引き取ってくれたわけじゃあなかった。お師匠様はすごい魔法使いだったから、魔法の才能がある子供を集めていたんだ。
いつか、自分の力を引き継がせるためにね」
「それって、アゼル達に魔法の勉強を教えてくれたっていうこと?」
「……うん。まぁ、そんな感じだったよ。ただ、ボクは魔法の才能もあまりなかったんだ。だから、いつもボクはお師匠様に、一人残らされて、みっちり魔法の勉強をさせられたんだ」
アゼルの言うことが、私は信じられなかった。だから、つい口を挟んでしまう。
「えっ? あっ、アゼルに魔法の才能がないなんて信じられないわ! あんなに強いのに!」
だって、セリーナも領主様もまるで相手にならないくらいに強いアゼルが、才能がないなんて思えないんだもん。
「……それには理由があるんだ」
アゼルはそう言って、また悲しそうに笑い、話を続ける。
「ボクが十六歳の頃に、お師匠様が病気になってしまった。魔法でも治せない不治の病にね。
そこで、お師匠様は、ボクたち全員の魔法と知識をテストして、誰を後継者にするのかを最終的に決めたんだ」
アゼルはそこで息を吐く。
私は黙って、続きを待つ。
「最終的に、後継者になったのは、一番上の兄さんだった。そして、その兄さんに、お師匠様は自分が生涯をかけて編み出した最高の魔法を伝授した。そして、他の兄弟には、後は好きに生きると良いと言って、いつの間に用意したのか、結構なお金を渡してくれたんだ。
そして、ボクたちの義理の兄弟としての時間は終わった。お師匠様が、最後は誰にも見られたくないと言って、何処かに行ってしまったからね」
「……寂しかったよね?」
私は、ぎゅっとアゼルの体を抱きしめる。
アゼルは「そうだね。寂しかったよ」と言い、話をまた続ける。
「一人、また一人と家を去っていった。ボクはもう、皆と会えないという事が信じられなくて、最後まで、長い時間を過ごしたその家に残っていたんだ。するとね、ある晩に、お師匠様がボクの前に現れたんだ」
「居なくなってしまったお師匠様が、アゼルを心配して帰ってきてくれたの?」
私の質問に、アゼルは「いや、違う」と首を横に振る。
「お師匠様は、ボクに、自分が持つ全ての力を与えたいと言ってきたんだ」
「待って、アゼル。後継者は、一番上のお兄さんだよね?」
「うん。ボクも、他の皆も、一番上の兄さん自身もそう思っていたはずだ。でも、本当は違ったんだ。お師匠様は、初めからボクを本当の後継者にするつもりだったらしい」
アゼルは静かに自分の右の手のひらを見る。そして、長く息を吐いて、気持ちを落ち着けているようだった。
「……ボクが選ばれた理由は二つ。一つは、ボクは魔法を扱う才能は乏しかったけれど、魔法の力を受け入れる器が桁違いに大きかったから。
もう一つは、ボクが魔法を使うのを一番恐れているから、だったらしい」
「どういう事? その、最初の一つは何となく分かるけれど、二つ目は全然意味がわからないわ」
「そうだね。ボクも分からなかったよ。でも、お師匠様は、説明をして欲しいというボクの願いを聞かずに、
「こら! 私からの最後の贈り物なんだから、ありがたく受け取っときな。大丈夫だよ。あんたならこの力をうまく使うはずさ……」
そう言って最後の魔法を使った。自分自身を巨大な魔力に変えて、他人にそれをすべて与える、とんでもないオリジナルの魔法をね……」
アゼルはそう言い、また右手を見る。
「気がついたときには、お師匠様はボクの右手から吸収されて、服を残して消えていた。そして、ボクは突然、お師匠様の力を全て引き継ぐ魔法使いになってしまったんだ」
「……そんな……」
私には全然理解できない。想像もつかない。あまりにも、アゼルの過去が凄すぎて。
「まったく、酷い話だよ。ボクはこんな力はいらなかったのにさ……。この力のせいで、ボクを利用しようとする人に付け回されたり、沢山の人に怖がられたりしてばかりだったよ、まったく……」
アゼルはそんな文句を口にし、悲しそうに目を閉じた。
「……ねぇ、アゼル。どうしてすごい力を手に入れたのに、それを自分のために使おうとはしないの?」
「んっ? ああ、それはとっても情けない理由なんだけれど……。この力に溺れてしまうのが怖いんだ……」
「怖い? アゼルは、あんなに強いのに?」
私には、よく分からない。
「この力は、ボクが自分で努力して手に入れたものじゃあない。突然手に入ってしまったものなんだ。だから、心が弱いボクがこの力を自分勝手に使っていたら、きっと制御をしようとする気持ちが無くなり、自分の力と誤解してしまう。そして、すぐに自分を見失ってしまうだろう。……それが、怖いんだ……」
アゼルはそう言うと、私に困ったような笑顔を向けてくる。
「ボクは、弱い人間なんだ。だから、魔法を使う際にはいくつかの制限をつけている。そして、それだけは絶対に守ると決めているんだ」
「制限? それって、普段からアゼルが言っている、魔法なんて使わないですむのならその方がいいって言うこと?」
「うん。ボクは基本的に、自己防衛のためか、他人が困っているのを自主的に助けようと思ったときにしか使わない。誰かに使うように迫られたときは、決して使わない。そう決めているんだ。
だから、基本的にそれ以外の理由では、ボクは魔法を使わない……つもりだったんだけどね」
アゼルが少し明るい口調になって言う。
それはきっと、アゼルの力を当てにしてしまった私の頼みを、ポールの傷を治してほしいというお願いを叶えてしまったことを思い出しているのだろう。
「魔法は習得するのはすごく大変なんだ。でも、いざ覚えても、それを周りの人に知られてしまうと、良いように利用されてしまうから、黙っていないといけないし、その力に溺れないために、簡単なことに使ってはいけないんだ。癖になってしまうからね。
これは、今回の一件の、セリーナと領主を思い出せば分かると思う。あんな風になりたくなかったら、力を使うのを制限しないといけないんだ」
「……アゼル……」
「ああ、言い忘れていたけれど、君の友達の、リリーナとネイの記憶を少しだけ書き換えておいたよ。だから、君が魔法を使った事を知っている人間はいない。念のため、栗拾いに行っていた皆の記憶で魔法に関するものがないかも調べたから、大丈夫だと思う」
アゼルはどうやらそんなことまでしていたらしい。
それで、きっと助けに来るのが遅れたのだろう。
私は改めて、「ありがとう、アゼル」とお礼を言う。
アゼルは、にっこり微笑んでくれた。
「あっ、そっか……」
「んっ? どうしたの、アミィ?」
「ふふっ。私、アゼルのお師匠様が、アゼルを後継者にした理由がわかっちゃった」
私は満面の笑顔で断言する。
「えっ? 本当に?」
驚くアゼルに、私は彼の耳に口を近づけて耳打ちする。
「簡単だよ。アゼルが優しいからだよ。だって、魔法を使うのを恐れているのも、魔法で誰かを傷つけることが怖いからでしょう?」
私はそう言うと、そのままアゼルの頬に、くちびるをチュッと重ねる。
「あっ、アミィ! だから、君は女の子なんだから、もう少し……」
「ふふっ! アゼルったら図星なんでしょう? それに、私にキスされて照れている!」
私は、顔を真っ赤にしているアゼルに得意げに言ってやる。
「こらっ、大人をからかうんじゃあない!」
「知らないも~ん。それじゃあ、そろそろ眠くなってきたから、おやすみ、アゼル」
私はアゼルの胸に顔を当てて、目をつぶる。
するとアゼルはため息を付いたものの、「おやすみ、アミィ」と返し、私とアゼルは、いっしょに朝まで眠ったのだった。




