信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その13
今回は一話単位としては過去最長です。
少々詰め込み過ぎました。
信長続生記 巻の五 「頂上決戦」 その13
弟である蘭丸に必死にしがみつかれ、未だ面当てを付けたままの武者に一発の拳も入れられていない森長可であったが、武者の口から「構わぬ、放してやれ」という言葉が届いた時には目を剥いた。
蘭丸も「よろしいのですか?」と、思わず聞き返したがそれに対する返事が武者から発せられるよりも早く、長可は蘭丸を乱暴に振りほどいた。
そうして武者の前に立って指をパキポキと鳴らしながら長可は言い放つ。
「いい度胸じゃ、その度胸に免じて渾身の一発だけで済ませてやろう」
その長可の言葉に、武者は「面当てを外すゆえ少し待て」と言って、自らの面当てに手をかけた。
さすがに面当ての上から殴る気は無いのか、長可も頷いて肩を勢いよく回し始める。
どうやら本気で殴る気のようだが、彼はもう少し周囲を見回すべきであった。
例えば彼の実の弟は、手を額に当てて「はぁ……」とため息をついている。
未だ明かりを持ったままのフクロウは、どこか憐みの視線を長可に向けている。
「よし、良いぞ。 この顔、殴れるものなら存分にやってみよ」
「おう、じゃあ早速一発…………ん? あ、ああ!?」
完全に面当てを外し、その素顔を晒した武者が長可に笑みを浮かべながら言い放った。
それを受けて拳を振りかぶった長可が見たものは、自らが「わしが心から頭を下げるのはただ一人のみよ!」と言い切ったほどの人物であった。
先程とは違う理由で目を剥き、開いた口が塞がらず、弟である蘭丸でさえ見た事が無い顔をする長可。
そんな長可の様子がよほど面白かったのか、面当てをしていた武者、信長はさらに言い募った。
「どうした勝蔵? 死んだと思うておった者は殴れぬか? わしは未だ五体満足なるぞ?」
まさに悪戯が成功した悪ガキの様な顔で、信長は長可を見て笑っていた。
それに対し、それまでは憤慨し、激昂し、頭に血が上って顔を真っ赤にしていた長可が、徐々に血の気が引いて青ざめていった。
そうしてヨロヨロと一歩、二歩、三歩と後ずさり、蘭丸にその肩と背中に手を添えられて、ようやく体勢を持ち直す。
「正真正銘、上様ですぞ兄上。 上様が亡くなっておられたなら、私だけが生き延びておるはずがないでしょう。 だから止めておいてほしかったというのに……」
「……上様におかれましては御存命の儀、誠に祝着至極に存じ奉りッ! また、知らぬ事であったとはいえ上様に対し、無礼極まりなき言動の数々、何卒この長可に死をもって償わせて頂きますよう、伏してお願い申し上げまするッ!!」
蘭丸に後ろからそっと囁かれ、その途端長可はいきなりその場に手をついて平伏した。
そして平伏しながら信長の生存を慶び、また己への罰を申し出た。
この辺りの直情径行と、何事も行き過ぎてしまう所が森長可の長所とも、短所とも言える部分である。
そんな長可に苦笑して、信長は面を上げようとしない長可に「いいからまずは面を上げい」と命じて、その後で聞き返した。
「お主はただの死を望むか? お主の弟たちは、わしを逃がすための捨て駒役を喜んで受けてくれたぞ?
それに比べて武勇を誇りし『鬼武蔵』は、ただの無礼打ちを望むのか?」
「あ、いや、それは……しかし某は父に顔向け出来ぬような事を、上様に対して…」
「お主が腑抜けておらぬ事を確認したまでよ、お主のそれはそのままで良い。 もし三左に顔向け出来ぬと言うのなら、せめてわしの役に立つ為、戦場で死ぬるが良い。 よいな勝蔵」
「は、ははぁぁーッ!! 上様の御厚恩、この長可必ずや報いてみせまするッ!」
先程までの威勢の良さが嘘のように、長可は額すら地面にこすり付けて平伏している。
荒武者として名高い森長可ではあったが、信長という存在に対してだけは敬意を払う事を忘れない。
亡き父が、未だ一人の武士として、男として尊敬に値する父が命を賭けて守った主君、それが森長可にとっての信長という男である。
他の誰が何を言おうと、どういう規則があろうと知った事ではない。
そういう態度を取ることもあった長可が、信長に対してだけは進んで頭を下げる。
主君・信長の一字と己の父・可成の一字をそれぞれ頂いて名乗る、「長可」の名こそ誇りである。
そういう気持ちを持った長可が、信長が生きていた事が嬉しくない訳がない。
地面に額を付けたままの長可の眼からは、涙がとめどなく溢れている。
平伏したまま、その肩や背中を震わせ、上げないままの顔からは嗚咽が聞こえた。
そんな長可の背中を小突いて、信長は苦笑したまま命を下す。
「まずは小牧山城に戻る、お主は捕虜として連れてゆくぞ。 だが一々声が大きい、黙って静かに付いて来い、よいな」
「ははぁッ! どこまでもお供いたしまするッ!」
涙と泥でグチャグチャになった顔を乱暴に拭いて、長可は立ち上がった。
「だから声が大きい」と三人が同時に心で思っても、既に長可は満面の笑顔である。
やや呆れながら面当てを付け直し、信長は再び馬上の人となる。
フクロウが馬の口取りをし、蘭丸は信長の左側へと並ぶ。
そして長可も捕虜というよりも、完全に馬上にいる信長の従者のような立ち位置で、信長の横に並ぶ。
(あとは森家全体を、どうこちらへ引き込むか……)
小牧山城へ向かう道すがら、第二陣を攻めていた軍勢とも合流し、『隠れ軍監』からの報告を逐一もらいながら小牧山城へと向かう。
その途上で、信長は長可を使って森家を自身の新たな親衛隊に組み込む方法を考えていた。
家康率いる徳川精鋭部隊と、織田信雄からの援軍の混成部隊、それらが向かった三河強襲部隊第一陣、池田恒興勢は壊滅状態となった。
なにせ第一陣大将にして、池田家当主・池田恒興が嫡男共々に討ち死にしたのである。
同じ日に、当主と嫡男が共に命を落とすという、まさに信長が本能寺で討たれていたならば、それと同じような最期を迎えた池田親子であった。
違う事と言えば、信長の次男と恒興の次男では、出来に少々以上の差があったというくらいである。
大戦果を挙げて、家康は小牧山城へと戻った。
池田恒興が討死した、という事実に信長は少しだけ恒興を悼んだが、それもまた戦国の世の習いとして、家康には戦勝の祝いの言葉を贈った。
信長と恒興との付き合いは長い、乳兄弟であったのだから当然と言えば当然だが、だからこそ此度の戦での恒興は、愚かな真似をしたとしか思えなかった。
こちらに自分がいるという事を知らないのだから、家康からの誘いを断り、秀吉側に付くのも仕方が無いと言える。
確実性を求めるなら、勝ち馬に乗りたくてその決断をしたのなら、責める訳にもいかない。
だが『三河強襲』を提案する、この一点だけは家康の逆鱗に触れるとなぜ分からなかったか。
結果としてそれは家康に非情な判断を下させ、かつて誼を通じた相手であろうと、自らの大事なものを守る為なら排除する事を躊躇わない、戦国大名として必要不可欠な決断力を身に付けさせた。
そういう意味では恒興の死は無駄ではない、信長がいつか後事を託そうと考える後継者を、さらに成長させる起爆剤となったのだから。
幸い次男は逃げ延びたという事だから、その者が池田家を再興するのなら、自分が表舞台に舞い戻った後、その才によっては取り立ててやっても良いか、とだけ考えておいた。
つづく第二陣は信長が大将・森長可を生け捕りにし、信長が指揮していた部隊も頃合いを見て退却。
実質的な部隊指揮は徳川の家臣団がやってくれた事もあって、その辺りは非常に順調に行えたようだ。
そしてその森長可であるが、生け捕りにされて捕虜となっていたはずが、気が付けば信長の斜め後ろに常に侍るようになり、まるで護衛のような立ち位置となっている。
さすがに周囲からは拘束しておくべきでは、という意見が出たが信長の「こやつはなまじ手綱を取ろうとすると暴れ出す類の奴だ、わしの側にいる限りは噛み付かぬ故、これで勘弁せよ」という言葉で決着を見る羽目となった。
ちなみに信長がそう言っている間、後ろにいた長可が「鬼」の形相で周囲を威圧して、殺気を撒き散らしていた事は言うまでもない。
言い終わった後で信長に頭を小突かれ、「いいから大人しくしておれ」と言われて、長可はようやく言われた通り大人しくなったが、肩もガックリと落として項垂れていた。
結局蘭丸が監視役兼抑え役となり、長可が暴れそうな雰囲気を感じ取るや否や「上様の命令に背く事になりますぞ」と囁くことで、何とか抑え込むことが可能だろうということになった。
そして第三陣・堀秀政の部隊に当たった本多忠勝は、少数の部隊を巧みに操り、方円の陣形で守りを固めた堀勢を攻めあぐねた挙句に撤退、という体で兵を引いた。
堀勢の兵士たちはは本多軍を撃退した、と鬨の声を上げたが、秀政だけはそこに至ってようやく本多忠勝の狙いが足止めの時間稼ぎであると気付いた。
その考えを証明するかのように、森長可の行方不明の報、池田勢壊滅の報、秀次の部隊が大苦戦を強いられた、という報が次々に舞い込んだ。
既に第四陣以外は手遅れであると悟った秀政は、すぐさま第四陣の羽柴秀次勢への援軍に向かった。
だが時すでに遅し、こちらにかなりの損害を出しておきながら、徳川主力部隊は挟撃される前に兵を引いた後だった。
その辺りは酒井忠次や榊原康政の、戦の機を読む熟練の感覚あってこそのものであった。
対する羽柴秀次は戦の経験もろくに無く、完全に秀吉の身内であるが故の名目上の総大将であったため、八千の兵を率いていた所で何も出来なかった。
近臣たちによって無事に逃がされはしたが、その分秀次の近臣達が時間稼ぎのために身体を張り、その多くが戦死するという大損害を被った。
だがそれだけの損害を与えておきながら、忠次と康政は素早く兵をまとめ、決して敵陣深くまでは攻め込ませず、乱戦にまでもつれ込む手前で引き上げたのだ。
その時点で、秀政は完全にしてやられたと思い知った。
軍監という立場でありながら、相手の思惑に乗ってしまった挙句に、他の部隊が揃って被害甚大という状況である。
報告しない訳にはいかないが、自らの部隊だけが損害軽微であるとなると秀吉の叱責は免れぬし、今後の立場にも関わって来るだろう。
明智左馬助秀満に武士の心意気で負け、今度は武士の本貫とも言える戦で、本多平八郎忠勝に辛酸を舐めさせられた。
何が『名人』だ、この無能めがッ! こんな様でよくも偉そうに世捨て人めいた事をッ!
秀政は己自身を叱責し、拳を握り締めながら深い深い溜息を吐いた。
秀吉が三河強襲部隊が夜襲を受け、被害甚大という報を聞いたのは、もうすぐ夜が明けるという時分になってからだった。
夜中に叩き起こされた不機嫌さも相まってか「すぐに援軍を送れ!」という命令に「ではどなた様を?」という反応で業を煮やし、「もうよい、わし自ら行くぞ!」と全軍に移動を命じた。
もちろんこの場合「動ける奴から行け!」というのが最も早い方法ではある。
夜間警戒に当たっている部隊にすぐさま隊を整えさせて先行させ、あとから本隊全軍で向かわせれば、あるいは先行部隊は徳川軍を補足出来たかも知れない。
だがここまでの戦で、分散して部隊を動かすことの危険性を身をもって知っていたため、思わず全軍での移動を選んでしまっていた。
結果として徳川軍は補足出来ず、小牧山城へ帰還するのならここを通るであろう、という予測を立てた進路をわざわざ通ったというのに、それも空振りだった。
完全に夜が明け、陽の光の下で見た三河強襲部隊の有様は、惨憺たるものであった。
全部隊合計で戦死者は千に届こうかというほど、負傷者も多く、第三陣・堀秀政の部隊以外は半壊以上の状態で、もはや三河強襲などとは言っていられなかった。
第一陣と第二陣、それに第四陣の残存兵をまとめ上げ、秀吉の本隊へ合流した秀政は、ありのままを秀吉に報告し、責任を感じて自ら今回の前線からは外れることを願い出た。
秀吉の秀政への評価は、秀政自身が思っているほど下がりはしなかったが、秀吉自身の徳川への警戒心は最大限度まで跳ね上がった。
「徳川の手強さはこちらの想定以上……兵糧も余裕を持てるのはあと十日程度、か」
「こうなれば取れる手段はあまり多くはありませぬぞ兄上。 力押しで一気に小牧山城を落とすか、あるいは一旦講和を呼び掛け、停戦に持ち込むか…」
「今こちらからの講和の呼びかけは、かえって徳川を増長させることにもなりかねん。 かといって城攻めをして、徳川が籠もる城を十日で落とせると思うか? 兵糧攻めなどしたら、逆にこっちが干上がってしまうわい」
「しかしいずれにしろ、このままではこちらは座して飢える他なく……」
秀吉と秀長が頭を抱える。
ただでさえ優位性が揺らぎ始めていた所に、今回の戦でいよいよ情勢は徳川方に傾きつつあった。
起死回生、などという一手があるのならすぐにでも使いたい。
秀吉が唯一「良し」と思った事は池田恒興が戦死した事、くらいである。
自らの世間的な評価を下げることなく、その作戦の提言者本人がその提言した作戦で戦死したのだから、自分はなんら罪悪感も感じることなく、岐阜を召し上げることが出来るというものだ。
恒興の嫡男も同時に戦死し、後を継ぐのはおそらく次男になるだろう。
そしてその次男も未だ若いのだから、それを理由に小さな領地に押し込めてしまうか。
それに森長可もいなくなった事で、同じく美濃国の金山という領地も空くことになる。
こちらも万が一の時には弟にその領地を継がせてほしい、という嘆願が届いてはいたが、それは聞いてやるかどうかはこちらの胸先三寸だ。
痛手もあるが、かといって悪い事ばかりではない、秀吉はそう自分に言い聞かせて気を取り直した。
さて、改めて今のこの状況だが、どうしたものだろうか。
戦い辛い、攻め手にかける、これではまるで比叡山に籠った浅井朝倉を相手にした上様の様ではないか。
そう思った所で、秀吉の頭の中に一つの答えが出た。
信長があれだけ面倒そうに扱っていたのに、それでも手放そうとはしなかった室町幕府、そして朝廷という存在。
一つの勢力の頭として、改めて秀吉は信長の行動の真意を思い知った。
「なるほどのぅ……信長様はこういう時に幕府やら朝廷を動かしたんじゃなぁ……戦い辛い相手なら、いっそ戦わにゃええんじゃ。 それで朝廷から即時停戦の勅命が下れば、向こうはそれまでの優位性を捨てて、一旦でも和睦せにゃならん……先人に学ぶ、とはこういう事か……」
かつての「信長包囲網」とまで呼ばれた、織田家の四面楚歌状態。
四方を敵に囲まれ、さらにその要所となる京都のすぐ近くにそびえた比叡山。
その比叡山延暦寺には、浅井朝倉の軍勢が立て籠もり、信長が軍勢を退けば攻めかかって来るくせに、こちらが反撃に出ようとすれば「寺領」を盾に比叡山に逃げ込むのだ。
比叡山は「護国」を掲げておきながら、その内部は腐敗の温床となっており、そこにいた多くの僧は堕落し、肉を食らって女を抱き、金貸しを営んで美童を囲う、そんな者までいる始末だった。
そんな者たちが、さも自分は聖人の様な顔をして信長を「仏敵」と罵った。
ちなみに、金貸しを営んでいた坊主の多くが、浅井家や朝倉家に多額の貸し付けを行っており、浅井・朝倉が織田によって潰される事になれば、彼らはその貸付の回収が不可能となる。
それを嫌った比叡山の僧は、寺を挙げて彼らを支援する事に決めた。
表向きは世の混乱を鎮めんが為、これ以上の争いごとを起こさせぬためと。
しかしその実態は己が利益のために、自分が貸した借金を踏み倒させぬために、そのためには浅井や朝倉に倒れてしまっては困ると、僧侶にあるまじき欲得尽くの行動により、信長は大いに手こずらされることになった。
「護国」を掲げる寺の僧侶が、目先の己の利しか見ぬ事に、信長は一つの決断をした。
それが後の「比叡山延暦寺・焼き討ち事件」へと繋がっていく。
ちなみにその前段階として、浅井・朝倉とは朝廷や幕府への働きかけを行って、即時停戦・両軍撤収を呼びかけさせたのだ。
浅井・朝倉からすれば攻める時は自由に、そして「寺領」を理由に安全地帯へと逃げ込める、という理想の戦場から放り出される事となった。
ちなみに時の権力者によって、寺社への攻撃が起こるのはこれが初めてではない。
だがこうまで明確に、寺社勢力へ徹底的な攻撃を行った者は、他に類を見なかった。
結果として信長は「仏敵」、「第六天魔王」に名に恥じぬ、まさに神も仏も信じないという、現実的かつ合理的な思想を行動で示す事となった。
だがそれも、やはり朝廷や幕府といった、全国規模でその権力を利用できる存在を後ろ盾において置いたことが大きいと言える。
使えるものなら、そんな手があるのなら、あの時の信長のような手を使いたい。
そう思ってしまうほど、今の秀吉は徳川を相手に攻めあぐねていた。
だが、秀吉がしみじみと信長のなしてきた行動を鑑み、一人うんうんと頷いている所に秀長がやや疲れた口調で水を差した。
「しかし……学べても活かす場が無ければ…」
「分かっておるわッ! それに朝廷から賜っておる官位官職の地位では、徳川には勝てぬ! わしは「筑前守」じゃが「従五位下」すらもらっておらぬからな! 確か徳川は「従四位上」で「右近衛権少将」じゃったろ! 朝廷に頼んでも明らかにこちらが不利となるわ」
秀吉が焦りと苛立ちで落ち着けず、床几にも座らぬままグルグルと秀長の周りを回り続ける。
ちなみに「従五位下」という位は、これ以上の地位になると天皇への拝謁も許され、「貴族」に値する地位だという認識で、一種の線引きとしても用いられていた。
そして秀吉は、その線引きに用いられる「従五位下」すら、未だ賜ってはいない。
既に名実共に天下人、と呼んでも差し支えが無い程の大軍を動員できる秀吉が、未だにいわゆる「無位」である辺りが、朝廷や公家衆がいかに秀吉を嫌っていたのかがよく分かる。
有力な大名などには、多額の金銭や貢ぎ物で官位官職を切り売りしたも同然の公家衆が、当時最大の力を持っていたにも拘らず、秀吉を無位なままにした理由、それを秀吉は反吐が出るほど理解している。
だからこそ、秀吉は早急な朝廷からの後ろ盾、まずは「従五位下」以上の官位と、出来れば官職も天下人に相応しい物をもらいたいと思っていた。
信長と同等かそれ以上のものでも貰えれば万々歳だが、それにしたってまずは官位が無ければ、朝廷という特殊な場所では、野良犬も同然な目で見られてしまう。
朝廷への工作は近衛前久に任せてはいるものの、さすがに官位を賜るのは一朝一夕とはいかないし、なにより金がかかる上にそれは継続的に行わなければならない。
出費の事を考えても頭が痛くなるが、それよりまずは目の前の、徳川との戦の事だ。
ふと秀長に視線を向けると、何かを言いたそうな顔をしていたので気を取り直して秀長に「なんじゃ、いいから言うてみぃ」と、発言を促した。
「その……兄上、実は今年になって徳川殿はさらに昇進され、今では「正四位下」で「左近衛権中将」になっております。 より大きな差をつけられておりますので、余計に勝ち目が……」
「ぬっ…ぐぐぐぐ……朝廷に頼った時点で負けを認めるも同然じゃが、だからと言うて都合の良い第三勢力に和睦の仲介を申し込むのも……そちらに貸しを作る羽目にもなるし、わしらと徳川双方に睨みが効く勢力でなくてはならぬ……上杉、も悪くは無いが規模で言うたら今一つ、北条は繋がりが薄くてダメじゃ、毛利は遠すぎる、長宗我部は敵対中……こうしてみると打てる手が本当に少ないのぅ…」
歯噛みしながら秀吉は必死に頭を回転させる。
色々候補を考えてはみるが、コレといった名案がなかなか浮かばない。
だがそれでも察しが良く、閃きがあり、思考能力の高さでは当時指折りと言えた秀吉である。
やがて一つの手段を思い付いた。
奇策と言えば奇策かもしれないが、妙手とも言える。
「そうじゃ……そうじゃ秀長、いっそ信雄を利用するか!」
「は、はぁ? しかし信雄殿は以前にも使者を送りましたが、門前払いで」
「考えてもみよ! 相手はあの暗愚じゃ! 使者ではなくこのわしが直接出向き、徳川と縁を切って、わしと手を組み直して逆に徳川を飲み込んでしまえ、と唆すのよ! わしは西国支配、信雄は徳川領を飲み込んで東国支配、それで日本を二分しようとか、そういう口八丁で信雄を丸め込んでしまえばエエ! わしと信雄の直接会談まで持ち込めば、たとえ物別れに終わろうとも徳川にも必ず会談を行った、という報告がいくじゃろ! そしてあの暗愚が丸め込まれたのでは、と徳川が疑心暗鬼に陥れば、それだけでも儲けものよ! 向こうもまさか総大将が直々に口説きに来るとは思うまい、そこが付け目じゃ!」
一気にまくしたてた秀吉の言葉に、秀長も思わず「な、なるほど…」とのけ反りながら頷く。
しかし秀長にもそれは少々強引ではないか、とも思えた。
確かに秀吉の人たらしの業を持ってすれば、どこか判断力や思考能力に欠けている信雄を丸め込むのは不可能ではないように思える。
だがそう都合よく徳川が、信雄に対して疑心暗鬼に陥ってくれるだろうか。
かえってそのような手段に出たことで、こちらの窮状を徳川に察知されるのではないか、という不安が秀長の中で芽生えている。
「無論双方の軍には忍びを紛れさせ、信雄の方には『徳川は東に領土を広げた後、今度は西の織田領に攻め込んでくる』という噂を流させ、徳川の方には『信雄は既に懐柔された』と同じく噂をばらまくのじゃ。 互いが互いを警戒するようになれば、織田と徳川の蜜月も自然と終わりよ」
そう口にしている時の秀吉は、秀長の眼から見ても「あくどい」と思える顔をしていた。
すでに状況は予断を許さなくなってきている。
なまじ兵の数が多い軍勢は、兵糧の消耗もそれに見合った速さとなる。
ましてや季節は寒い冬の只中、敗戦と寒さで兵の士気も低くなってきているだろう。
連戦に次ぐ連戦、その上この寒さ、しかし羽柴勢に所属する限りは飯の食いっぱぐれは無い、というのが兵たちの共通認識であり、それが羽柴軍の兵の士気を支えている大元である。
もしこの状況で「兵糧を節約しろ」と言えば、兵の士気は一気に低下するだろう。
腹が減る辛さ、を貧しい少年時代から経験している秀吉や秀長は、兵に腹一杯食わせてやることを基本方針の一つとして掲げ、兵の士気と信望を高めてきた。
秀長はそれを充分に理解している。
不安はある、だが他に代案も思い付かない、ならば兄であり主君である秀吉が言った案を実行に移すしかない。
秀長は「承知しました、しからばすぐに」と言って床几から立ち上がり、信雄と家康、双方の陣に送る情報攪乱用の忍びを手配するため、陣幕を出ていった。
次回でこの巻の五も終了です。
読了して下さった方々、お疲れ様でした。
感想・評価・ブックマーク登録をして頂いている皆様には厚く御礼申し上げます。
皆様からの多くのご意見、評価ポイント、ブックマーク登録数が無ければ、どこかで投げ出していたかもしれません。
そういう意味でもこの作品は皆様に支えられております、出来る限りの力と時間を使って、面白いと思って頂ける物語を書き続けていこうと思います。
どうか今後も、拙作『信長続生記』をよろしくお願いいたします。




