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信長続生記  作者: TY1981
105/122

信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その6

大変お待たせいたしました。

仕事と私事に忙殺され、家族の体調不良なども重なり、読む事は出来ても文章を作る事が全く出来ない日々が続いてしまい、お待ち下さっている皆様には大変申し訳なく…

黒田官兵衛に関わる話ですのでじっくり描こうと思いましたが、余計に時間がかかってしまうという悪循環に陥りました…

           信長続生記 巻の八 「それぞれの戦」 その6




 黒田官兵衛は平伏したまま頭を上げず、秀吉の反応を窺った。

 秀吉は驚愕のあまり眼を見開いて絶句していた。

 そして数秒の後に「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てるように呟いた。

 その呟きが聞こえたのか、ゆっくりと官兵衛は頭を上げて秀吉を正面から見据える。

 官兵衛の眼に映るのは、軽蔑と憎悪、怒りと呆れが入り混じった秀吉の顔だ。


「お主は一体何を考えておる? 上様を害そうというのも既に荒唐無稽な話じゃが、上様が大坂で御姿を現されて以来、どこで何をしておったのだ! 何故お主はそこまで上様に牙を剥こうとする!? わしらは上様の元で天下統一に向けて共に働いておったであろうが、何故今更反旗を翻そうとするんじゃ!」


 秀吉は一気にまくし立て、官兵衛の後方に控えて寧々を押さえ付けている若い忍びが、秀吉の発言に対して威圧的な殺気を放って来るのを、苛立たしそうな鼻息でもって返す。

 秀吉とて数多の修羅場を潜り抜けてきた武将であり、その武芸の腕前はともかく肝は据わっている。

 『鳶加藤』を名乗った百地丹波程の者となるとさすがに敵わないが、秀吉の半分程度と思われる齢の若い忍びの殺気などで怯んだりはしない。

 いくら圧倒的不利な状況であろうと、話の流れから場の空気まで、全てを向こうに呑まれてしまえば一気におしまいだ。

 自らと寧々の身を危険に晒す可能性は上がるが、それでもギリギリの一線を見極めて話の流れの主導権を握ろうと、綱渡りな戦法に打って出た。


「この状況でまだそれだけ吠える事の出来る胆力は、さすがと申しておきましょう。 ですが羽柴様も某の心の内はご存じのはず、織田信長の天下統一のために、某は働いておったのではございません」


 官兵衛は表情一つ変えずに淡々と言い返す。

 秀吉の眉間により一層深くしわが刻まれ、官兵衛を睨むその視線の強さは、常人であれば竦み上がって失禁すらしかねない。

 だがその視線を真っ向から受け止めて、それでも眉一つ動かさない官兵衛に秀吉が焦れた。


「上様はわしを赦して下さった、宿老である柴田や御妹君であるお市の方様、さらには息子である三七信孝にまで腹を切らせたわしを、お赦し下さったのじゃ! 大恩ある上様からお慈悲を賜り、わしには朝廷からさらに高位の官職を賜る事まで御約束頂けた! これだけの事をして下さる方が、一体この世のどこにおる!? お主が上様を如何様に思っておろうと、わしはお主になぞ協力せぬぞ!」


 秀吉の怒鳴り声を、柳に風と受け流す官兵衛と百地丹波。

 涙を目に溜めながら、僅かに頷く寧々とその寧々を拘束しながら気圧される若い忍び。

 それらに対し、秀吉は断固たる決意で官兵衛を睨み据える。


「……某の望みはただ一つ、天下にその名を知らしめること。 かの織田信長を超えし英雄、羽柴秀吉の右腕として後世に名を残す事こそ、我が至高の望みに御座います」


「嘘じゃな」


 官兵衛の淡々とした言葉を、ただの一言で全否定する秀吉。

 睨むその眼は変わらず、ただより一層苛立ちの籠もった眼差しで官兵衛を睨む。


「お主がその程度で満足するはずがなかろう、数年の付き合いしか無いわしでも、お主はもっと厄介な望みを抱えておる事ぐらい読み取れるわ、この羽柴秀吉を舐めるでないッ!」


「……なるほど、信じてはもらえぬと…」


「むしろお主を知る者が、今の言葉をそのまま鵜呑みにしおったらそやつの方が信に値せぬわ。 戯言を抜かしに来るほど、わしもお主も暇では無かろう…本音で語れ、その上でお主を屈服させてくれるわッ!」


 その秀吉の気迫に、百地丹波も官兵衛が秀吉を自陣営に引き込もうとした理由を理解する。

 この男は確かに大したものだ。

 これだけの四面楚歌、このような絶体絶命の窮地において尚、未だその眼差しに恐怖が混じらない、自らの妻を人質に取られているが故の焦りや狼狽すらも必死に隠し、官兵衛に敵意を剥き出しにする。

 だがだからこそこの男は今ここで殺すべきだと、百地丹波は予感する。

 これだけの男だからこそ、こちらに寝返る様な真似はせず、また自分たちにとっても不都合になる存在になりかねない。


 しかしそんな百地丹波の思惑などは知ってか知らずか、官兵衛はわずかに口角を上げた。


「では、肚の内を語る前に一つお聞きしておきたい…本日は何月の何日、どのような事があった日か、お答え頂けまするか?」


 その官兵衛の言葉に、秀吉の視線に疑問符が加わる。

 予期せぬ言葉に僅かに逡巡し、今日の日付、そして過去にこの日に何があったのかを思い起こす。

 数秒後にその答えに達し、秀吉はわずかに外していた視線を再び官兵衛に合わせ口を開く。


「六月の十三日……二年ほど前に山崎にて、光秀と雌雄を決した日じゃ…」


 天正十年六月十三日。

 六月二日未明に起こった本能寺の一件から十日ほど経過したその日、山崎の地にて秀吉が名目上の総大将を今は亡き信孝に据えて、自らが実質的な総大将として光秀と戦ったあの日。

 明智軍を潰走させ、主立った者らを討ち取りあるいは捕縛し、秀吉が信長の敵討ちを果たした事で一躍天下人への道程を進み出すきっかけとなったあの日。

 なるほど、確かに先程官兵衛の言った「天下人となった秀吉の右腕」になることが望みなら、今日のこの日は記念すべきその第一歩目となった日かも知れない。

 だがその実信長も光秀も生きており、そして今また時代は信長を中心に大きなうねりを作って、日ノ本全土へとその影響を強めていっている。


 官兵衛にとってこの六月十三日という日は、自らの野望の始まりの日。

 だからこそ秀吉を再び主として、信長に反旗を翻し、今度こそ本当に秀吉を天下人にする、そして自らがその右腕となる為に動こうというのか。

 秀吉はそう考えてさらに言葉を言い募ろうとした。

 しかし官兵衛は、秀吉の言葉に落胆したかのように首を横に振り、僅かに溜め息すら漏らした。

 秀吉の顔に「違うのか?」と意外な驚きが浮かび、官兵衛が口を開く。


「確かに本日は六月の十三日に御座います、されど天正十年には確かに山崎で戦を行った我らに御座いますが、それ以上に重要な事が御座いましたでしょう? もう三年ほど、遡られませ…」


 官兵衛の視線に、若干ながら呆れと軽蔑の色が混じる。

 秀吉が記憶を探り、数瞬後にその出来事に思い至った。

 今から五年前の天正七年、六月十三日に何があったのか。

 そして今まで分からなかった官兵衛の考えや望みの一切が、それによって点と点が繋がっていくように、次々と秀吉の頭の中で組み上がっていく。

 眼を見開いて秀吉が官兵衛に何かを言うよりも早く、機先を制するように官兵衛の言葉が先に部屋の中に響いた。


「竹中半兵衛重治、かの『今孔明』と呼ばれし御仁が、この世を去った日にございます」


 無意識の内に、秀吉が頷いていた。

 秀吉がまだ「木下藤吉郎」の名で信長に仕えていた頃、美濃国を治める斎藤氏を下した信長は、かつて斎藤氏の居城である稲葉山城(現:岐阜城)をわずかな手勢で乗っ取るという前代未聞の神業をやってのけた竹中半兵衛を、織田家で召し抱えたいと打診した。

 稲葉山城を乗っ取った当初は、美濃半国をくれてやるから織田に仕えよ、という話を持ちかけた事もあったが、それを半兵衛は拒否した。

 その理由が『今はあくまでお預かりしているだけ、当主である斎藤龍興様が普段の政に反省なさったらお返しします』というもので、事実その後斎藤龍興に城を返却した半兵衛は、自領へと舞い戻るとさっさと隠棲してしまった。

 神業をやってのける才覚、欲に固執しない人格、それらを併せ持つ当代きっての『人物』として一躍その名を高めた竹中半兵衛は、常に有能な人材を求め続ける信長の目にとまったのだ。


 もし竹中半兵衛がそのまま美濃国の主として振る舞い、いわゆる斎藤氏を押しのけて下剋上を成し遂げていたらどうなっていたか、それは様々な憶測を呼ぶだろう。

 だが主君を追放して国主の座に座れば、他の重臣たちが黙ってはいないはずである。

 結果として美濃国は内乱状態となり、その隙を突いて信長の侵攻を許せば、どちらにしろ美濃国は信長が手に入れていた可能性は高い。

 そしてそうなれば、竹中半兵衛は良くて信長に一軍の将として迎えられるが、下手をすればどこかで討ち取られるか、捕縛された後に打ち首である。

 そして歴史書には下剋上を成した後で、外敵に打ち破られるかもしくは別の国内勢力によって潰されただけの、一時の成功をおさめただけの者として記録されるに留まるだろう。


 だからこそ竹中半兵衛の名を高めた本当の理由が、「神業をやってのける才覚」でも「欲に固執しない人格」でもない事に、少なくとも三人の人間が気付いていた。

 一人は織田信長、彼は「神技をやってのける才覚」を持ちながら、竹中半兵衛がそれに胡坐をかいた者ではない事を見抜いた。

 城をわずかな手勢で乗っ取るという真似は確かに誰にでも出来る話ではない、だがそれを成功させたとて、後に繋がらなければ結局は一時の成功である。

 最終的に大した名も残さず、無惨に討ち取られ、一族の血を絶やしてしまっては元も子もない。

 恐るべき「才覚」を見せながらも、恨みを買わぬように当主に城を返却し、さらには俗世から離れて隠棲までしてしまうという、先の先を読んだその深謀遠慮に信長は心から興味を抱いた。


 さらにもう一人は当時の名で木下藤吉郎、彼は「欲に固執しない人格」に胡散臭さを覚えた。

 欲の無い人間などこの世にはいない、それでは死んでいる事と同じだと彼は常日頃から思っている。

 息を吸う事、飯を食う事、眠る事、糞尿を垂れる事は人が生きている上で、必ず行う事だ。

 それを「欲」という言葉で表せるかどうかまでは秀吉も気付いていなかったが、どちらにしろ「こうしたい、やりたい」と思う気持ちが無いまま、人は生きる事など出来はしない。

 竹中半兵衛は手に入れた城を、あっさり元の人物に返したというが、果たして聞いた話である「斎藤龍興に反省を促す為」などという綺麗な理由だけだろうか。


 さらに城を乗っ取った時に信長が出した条件、『美濃半国で織田に降れ』という条件を蹴った時、さらにはその理由を聞いた時には己の耳を疑った。

 だが後々になって考えてみると、その条件で竹中半兵衛が織田に降った際、何が起こるのかを自らの頭で想定した。

 まず織田家内では、確実に竹中半兵衛は重用されるだろう。

 だが美濃国内では間違いなく「美濃国を敵国に売った売国奴」として、竹中半兵衛は斉藤家の家臣団から命を狙われ続け、また領内統治に相当な不和をきたす可能性が高い。

 そうなれば広大にして肥沃な美濃国の領地を、そのままにしておく信長ではない。


 何かしらの理由を付けて、下手をすれば竹中半兵衛を暗殺してでも、自らの手で美濃国完全制圧を考える公算が高い。

 結果として信長は美濃国を手に入れ、後顧の憂いを断つために竹中一族は下手をすれば皆殺しとなる可能性すらあるのだ。

 信長は有能な人材を確かに好むが、自らに従わぬ危険分子をいつまでも生かしておくほど、人が良い訳でも気が長い訳でもない。

 信長からの打診を蹴った事で、竹中半兵衛は「売国奴」の誹りを免れ、斎藤龍興に城を返却する事で「人格者」の風評を得た。

 さらにその後有能な人材を欲しがる信長が、美濃国を手に入れた後で竹中半兵衛を放っておくはずもない。


 確かに全ては憶測の域を出ない、だが現実に起こった事を考えると、秀吉は竹中半兵衛が稲葉山城を乗っ取った時点で、いやむしろ乗っ取る前からこうなる事を予測出来ていたのではないか、とすら思ったのだ。

 信長は稲葉山城を落とし、斎藤龍興は城から逃亡、美濃国の中心を見事に制圧した信長は、国内の未だ従わぬ勢力の討伐を進める一方で、竹中半兵衛の勧誘にも力を入れた。

 秀吉は自らの想定が合っているのか、それとも単なる偶然かを確かめるため、という本音を隠したままで、信長に竹中半兵衛説得の役目をもらえる様に直談判に及んだ。

 すでに「人たらし」としての才覚を発揮して、齋藤家の重臣である通称西美濃三人衆、稲葉良道(別名稲葉一鉄)、安藤守就、氏家直元らを調略した実績を持つ秀吉は、容易にその許しを得る事が出来た。

 竹中半兵衛の妻の父に当たる安藤守就の伝手(つて)もあり、秀吉は半兵衛と対面して織田家に仕官する様に勧めた。


 だが結果は取りつく島も無く、その後も何度訪れてもなかなか首を縦に振ってもらえなかった秀吉は、それまではあえて避けて来ていた自らの想定の話をした。

 信長が如何にすごいか、織田信長の元でいかに尾張国が栄えたか、そういった話題で釣れなかった秀吉の、苦肉の策とも言える話題の振りだった。

 乗っ取った所までの武勇伝を聞かせてくれ、どうしたらそんな策を思い付くのか、そういった持ち上げるような話題にも苦笑を浮かべるだけでロクに口を聞いてくれなかった男が、秀吉の振った話題に初めて顔からその笑みを消した。

 乗っ取るまでは良かったが、その後の国の展望を描く事が出来なかったんじゃないか、つまりはどのように転んでも、自分が国主の座に居座ったままでは美濃国を治め切る事は出来なかったのではないか、そういう考えに至ったからこそ、あっさりと斎藤龍興に城を返したのではないのか。

 秀吉の語る妄想とも戯言とも言われそうなその言葉を、黙って聞き続けていた半兵衛は笑みを消したまま一言も喋ろうとはしなかった。


 「これはしくじったか?」と秀吉が内心で冷や汗を流した。

 人は図星を刺されると、それが正論であればあるほどムキになって否定する、そういった感情で嫌って来られると、もはや打つ手がない。

 言ってしまった、口から出てしまった言葉は今更仕舞い込む事は出来ない。

 ならばもう言えるだけ言ってしまえと、秀吉は己の頭の中にあった全ての思い付く限りの可能性を語り尽くした。

 これで嫌われたのなら、もはや自分と竹中半兵衛が会う事は無い、ならば最後に言いたい事を言って喧嘩別れして終わってやる、そんな自棄(ヤケ)になってしまっていた秀吉の言葉は、半兵衛にしっかりと届いていた。


 秀吉が一方的に喋り続ける時間が終わり、秀吉は自棄になった興奮による汗と、内心の悶絶による冷や汗を合わせて流し続け、もはや全身を汗でびっしょりに濡らしていた。

 竹中半兵衛は黙して何も言葉を発しない。

 対して秀吉は荒い呼吸をくり返したまま、心臓の鼓動が耳の側で聞こえる錯覚に陥るほど、緊張で喉もカラカラに乾いていた。

 どれだけの時間が過ぎただろうか、半兵衛が「ふぅ…」と息を吐いて秀吉がビクリと身体を震わせた。

 秀吉の顔を真っ直ぐに見る半兵衛は、いつの間にか笑っていた。


「大したものです、木下藤吉郎殿……織田様にお仕えする気はありませんでしたが、御貴殿にお力添えをするのなら、面白いかもしれませんね…」


 眼を見開いてその場にヘナヘナと力無く崩れ落ちる秀吉に、半兵衛はより深い笑みを浮かべた。

 何とか気を持ち直した秀吉は「もしかして、わしの言ぅた事は当たっておったのか?」と聞くと、半兵衛は「さて、どうでしょう?」と、どこか楽しげに笑っていた。

 その笑みを向けられて以降、秀吉が再びその問いを発する事は無かった。

 ただ半兵衛はそれ以降、秀吉に影に日向に力を貸し、戦国一の出世頭と言われた秀吉を支え続ける事となった。

 天正七年六月十三日、竹中半兵衛重治がこの世を去るその時まで、秀吉は半兵衛と意見が異なり口論となる事はあっても、決して仲違いなどはせず終生盟友の様に振る舞っていたという。


 竹中半兵衛の名が上がる本当の理由に気付いた最後の一人は黒田官兵衛孝高、彼が竹中半兵衛と初めて顔を合わせた時には、既に半兵衛は病のために体調が思わしくない事が多くなっていた頃だった。

 中国地方の覇者である毛利家との対決に先だって、官兵衛は主君である小寺政職を説得し、織田方に恭順の意を示させるためにあらゆる手段を講じた。

 この時の官兵衛には、そこまで大それた野心などは無かった。

 ただ自らの家と主家である小寺政職の家の安泰を図り、中央で最も権勢を誇る織田信長が、これからの時代の中心人物になるであろう事を確信し、一刻も早い取り入りを画策したくらいだ。

 羽柴秀吉に取り次ぎを頼み、織田信長への拝謁を済ませ、官兵衛は主家を差し置いて着々と織田家中での自らの立場を構築した。


 主家である小寺家と同じ「小寺」の姓を賜る重臣の家系であった官兵衛は、自らが織田家内での確固たる地位を築く事が、主君である小寺政職の安泰にも繋がると、本気で信じていた。

 そのために人質を出す事にも消極的だった政職に変わり、自らの子を代わりに人質として提出までしたのだ。

 だがそれも全ては自らの家と主家のため、それにこれはそう悪い事でもないはずだと、官兵衛は人質提出に反対した妻と家臣、さらには己自身に言い聞かせた。

 聞けば蒲生賢秀という近江国の国人は、信長と戦い降伏した際、息子を人質に出したところ信長に気に入られ、娘を嫁がされて娘婿とその父という扱いで、親子揃って以後重用されるようになったという。

 さらに比較的中央に近い播磨の地にいるとはいえ、播磨国内だけの事しか知らぬまま育つより、人質とはいえ信長という男が多大な影響を及ぼしている中央を目にして見聞を広げた方が、息子の将来の役に立つのではないだろうか、という親心があった。


 「人生万事塞翁が馬」という言葉もある、もしかしたら己の子が信長の元に行く事で、何か大きな意味を持つやも知れぬと、息子を手放す不安の他に微かな期待もあった。

 また自分が与力として仕える相手、羽柴筑前守秀吉という男にも興味があった。

 家柄も金も無い、ただ己が身一つで成り上がった小男が、今や日ノ本一の大勢力を支える柱の一人だという。

 この男といる事で、自分はどこまでやれるのか、自分の才はどこまで通用するのか、という欲望がこの時の官兵衛に芽生えていた。

 そしてその欲望は、即座に挫折と嫉妬に変わった。


 官兵衛の耳にも僅かながらに届いていた「竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取り事件」。

 それを成し得た男は、病による顔色の悪さを差し引いても、とてもそのような大それた真似が出来るような男とは思えなかった。

 風の噂が播磨国まで流れてくる間に、いくつもの尾ひれが付いたのだろうと官兵衛は判断したが、いざ共に秀吉に仕えてその判断は誤りだったと思い知らされた。

 年の差はほとんど無い、せいぜい二つしか違わぬその優男が、しかも病がちとは思えぬ知恵の回り方と頭の回転の速さは、官兵衛をして「今孔明」のあだ名を認めざるを得なかった。

 気が付けば、官兵衛は秀吉よりも半兵衛を見ている時間が長くなっていた。


 秀吉は確かに優れた指揮官だった、下から成り上がった故か、下々の足軽の事までしっかりと目をかけ、「人たらし」のあだ名が示す通りの、人心掌握術には内心で舌を巻いた。

 だがそれ以上に竹中半兵衛という男に、官兵衛は興味が湧いた。

 その名を一躍高めた『稲葉山城乗っ取り事件』の概要を、本人の口から聞かせて欲しいと頭を下げて頼み込み、その一部始終を語ってもらう事が出来た。

 そうして気付いた、竹中半兵衛がその名を高めた真の理由に。

 そして改めて思い知らされた、自らを超える才覚を持つ男に。


 やがて主君であったはずの小寺政職のことや、播磨国の安泰などは思考の端にすら浮かばなくなっていった。

 羽柴秀吉の元で、竹中半兵衛の横で、稀代の才覚を目の当たりにして官兵衛は新たな目標、あるいは欲望を見出した。

 この時代を代表する、と言っても過言ではない才覚を持つ男たちを、いつの日か超えてみせるという壮大にして最も時代に即した『下剋上』という欲望。

 そのためなら何でもやるつもりだった、立ち塞がるものは全て取り除き、邪魔をする者は誰であろうと容赦も躊躇もせぬ、という覚悟を決めた。

 そしてそれ故に判断を誤った。


 荒木村重の謀反とそれに呼応するのではないか、という主君であったはずの小寺政職の寝返りの疑惑は、自らが築き上げてきていた織田家中での立場を、容易に揺るがせるものであった。

 自分には高い目標がある、天下にその名を轟かせ、後世にまで名を遺す自分が、この程度の苦難で挫けてなどいられるものか。

 むしろちょうど良い、荒木村重が謀反を起こしたなら自らが身一つで説得に向かい、改心させて自分の才を織田家中の全員に知らしめてやろうではないか。

 その位せねば、あと何年生きられるかも分からない竹中半兵衛の存命中に、彼の者を越えてみせるなどとは言えぬ。

 荒木村重が改心したならば、小寺家とてもはや自分の足枷にはなり得ぬ、この危機に乗じて自分はさらなる地位向上を成し遂げる、あの竹中半兵衛に肩を並べてやる、そう意気込んで彼は荒木村重の籠もる有岡城へ、単身乗り込んでいった。


 だが待っていたのは荒木村重による、土牢への監禁という屈辱と忍従の時間だった。

 自らの才覚を信じ、またそれを拠り所としていた者にとって、何も出来ぬ狭い空間での無為な時間は、精神に多大な負荷を与え続けた。

 同じ播磨国人だからとの情けで飯だけは都合してくれたが、腹が満たされたとて心が飢餓感を訴えて来ているのが分かった。

 今の戦況はどうなっているのか、荒木村重の謀反が成功するはずはないとは思うが、果たして小寺家はそれに乗っかってしまうのか。

 竹中半兵衛の病状はどうなっている、人質とされた息子の松寿丸(後の黒田長政)は無事なのか、自分の家族や家臣たちは今頃どうしているのか。


 考える時間だけはあった、いや考える事しか出来なかった。

 何度か荒木村重から寝返りの打診を受け、こちらに付くならすぐにでも牢から出して、手を尽くして家臣団も合流させてやる、という誘いもあった。

 だが羽柴秀吉や竹中半兵衛という二人と共にいた時間を経験した今の官兵衛にとって、荒木村重に付く事に何の魅力も利益も感じなかった。

 しかし直立すら出来ない高さしか無い土牢は狭く、また雨水が流れ込んでボウフラが湧き、翻意を促す為か極めて過酷な環境に置かれ続けた官兵衛は、いよいよ精神の均衡を保つことが難しくなっていった。

 そんな時に牢番の一人が、こっそりと自らが持っていた十字架を差し入れ、官兵衛に正気を保つ様話しかけてきた。


 近年九州を中心に広がりを見せ、信長も領内での布教を認めたという『デウスの教え』とやらか、という知識しか無かった官兵衛が、藁にもすがるつもりでそれを受け取った。

 無為な時間を十字架に手を合わせて祈る事で潰し、どうせ立てないのなら座禅でも組むかという開き直りに気持ちを切り替え、仏教とデウスの教えを合わせた取り止めの無い信仰の形ではあったが、官兵衛は少しだけ心の安定を取り戻した。

 例え一時の事とはいえ心の平穏が保てるのなら、正式な作法などは一切知らなかったが、それでも無為に過ぎていく時間を少しでも紛らわせるのなら、そんな気持ちで官兵衛はデウスの教えを受け入れた。

 やがて十字架を差し入れた牢番が、伝え聞いた話を官兵衛に語りかけた。

 人質として信長の元に送られていた息子が殺され、また竹中半兵衛が死んだという風聞が流れているという。


 その話を聞いた数日後、荒木村重本人が牢の前にやってきた。

 内容はいつもと変わらぬ自陣営への勧誘、そして牢番から伝えられた話の裏付けだった。

 信長は既に官兵衛が寝返ったと判断し、人質の子を殺すよう命じ、首実検まで行ったという。

 さらに陣中にて竹中半兵衛が没し、羽柴方の将兵は意気消沈しているとも述べた。

 その上で更に語った、敵である織田方の、羽柴軍にそこまで肩入れする必要があるのか、と。


 織田信長、彼の者に対し忠義を抱く気は元から無い。

 羽柴秀吉、彼の者に対し才を預けはしても、命まで預ける気は毛頭ない。

 しかし竹中半兵衛重治、彼の者に対してだけは、彼の者がもつ才を越える為ならあらゆる全てを賭ける覚悟があった。

 もし自分がここで荒木村重に降り、半兵衛亡き羽柴軍と対したならばどうなるだろうか。

 おそらく、自分が竹中半兵衛を超える日が来ることはない。


 それは後世に残る名声もだが、荒木村重と羽柴秀吉では器が違う。

 この男の元にいても、己の才を磨く事など出来はしないだろう。

 自らの上に立つのは羽柴秀吉、並び立つのは「今孔明」たる竹中半兵衛。

 自分を含めた三者が一つの陣幕で、大きな戦略から細かな戦術を語り合うあの時間、あの空間のなんと心地良かった事か。

 己の才を以てしてもまだ足りぬ、臨み甲斐のある高き頂き、挑み甲斐のある堅き壁、磨き甲斐のある遥かな才、あの場にいれば自分がどんどんと高みに昇っていける実感が湧いた。


 あの感覚を味わえるはずもない、荒木村重の所に降るなど死んでも御免だった。

 いつの日か、羽柴秀吉は荒木村重を打ち倒すだろう、その時まで自分がこの場でこうして粘れば、自分は羽柴秀吉に対し、義理を通した者として名を上げ、重用されるはずだ。

 竹中半兵衛の死も、息子の死も、所詮は敵の語った戯言と断じ、官兵衛は精神の均衡を取り戻し、固い決意でもってその日を待った。

 そして官兵衛が牢へと入れられてからほぼ丸一年、官兵衛は自らの家臣団によって救出され、牢での生活によって不自由になった身体を、戸板に乗せられて場外へ運び出される事となった。

 その時、秀吉は痛ましい姿となった官兵衛の手を取り、涙ながらに感謝の言葉を叫び、周囲の者たちもみな官兵衛を忠義を褒め称えた。


 彼がその時、心の内でほくそ笑んでいた事も知らないままに。

気が付けば投稿を始めてから丸一年が経過しておりました。

先月まではそれに合わせて何かしら書こうかとは思っていたのですが、状況がそれを許してくれませんでした…

こんな奴が描く作品ですが、これからもご覧頂けましたら幸いです。

今後とも拙作『信長続生記』をよろしくお願いいたします。

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