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あじさい色のアミィ~永久に枯れない花束を~  作者: ゴサク
二章 笑わないアンドロイド
22/23

笑顔の幻

「今日はわざわざ遠いところから来てくれてありがとうね、二人とも。なにか解ったら、すぐに連絡するからさ」


「……はい。よろしく、お願いします」


 覚悟はしていたけど、今日の検査ではアミィに起きている不具合の原因特定には至らなかったようだ。

 焦る気持ちはありはするけど、急かしても駄目なものは駄目、ここは九喜先生とテレサさんを信じて待つだけだ。


「その代わりってわけじゃないけど、さっき渡した紹介状を持って、この住所を訪ねてみるといい」


 九喜先生はサラサラと万年筆をメモ帳に滑らせて、ページを破いて俺に手渡す。

 そこに書いてある住所は、もう何年も近づいていない実家の近く。改めて調べなくてもよさそうだ。


「話はこっちから通しておくから、響君はアミィちゃんを連れてそこに行くだけでいい。大丈夫、絶対に損はさせないから」


 う~ん、そうは言っても、住所だけ渡されてもなあ。俺が破り取られたメモ帳を眺めていると、アミィが九喜先生に質問する。


「えっと、つまり、九喜先生のお知り合いのお医者さんを紹介して下さったということでしょうか?」


「あ~、半分正解かな、僕の知り合いっていうか、正確には恩師っていうか……」


 どうも九喜先生の答えはハッキリしない。誤魔化しているというか、自分の口から言いたくなさそうというか。


「まっ! いいじゃないのさ、そこは行ってみてからのお楽しみってことで!」


「そんなアバウトな……」


「アバウト? 結構じゃないの。人の縁ってやつは、難しく考えずこんなノリで拡げていくのがちょうどいいってもんさ」


 しまった、心の声で済ませるつもりが、つい、口走ってしまった。でも、これからについて宛もなく悩むよりはいいのかもしれない。


「それじゃあ、時間が取れたらアミィと一緒に訪ねてみます。今日は色々と話を聞いてもらってありがとうございました」


「ああ。こちらこそ。特に、アミィちゃんとテレサちゃんが仲良くなってくれて本当によかったよ。あのまま二人を帰したんじゃ、アミィちゃんに申し訳なかったからね」


「いえっ! 元はといえば私がテレサさんのことを勘違いしていたのが……!」


「アミィ、あんまりそんな風に何度も自分を悪く言うのもよくないよ。ここは素直にお礼を言うところ」


「あううっ……」


 俺が軽くアミィをたしなめると、アミィは改めて九喜先生に向けて深々とお辞儀をする。


「今日は、私のために色々手を尽くして頂きありがとうございましたっ! 私、今日、御二人とお話出来て本当に良かったですっ!」


「な~んか固いけど、それがアミィちゃんなんだろうね。ま、いいさ。これから長い付き合いになるんだろうし、そのうち馴れるでしょ」


 そんなアミィを見る九喜先生の表情は、この上なく満足げだ。さて、そろそろ帰りの電車の時間も近い。本当はテレサさんにも一言お礼を言いたかったところだけど、電話の応対なら仕方ないよな。


「さ、今日は疲れただろうから、なんかデパートで食べ物でも買って帰ろうか、アミィ」


「いえ、私なら……、いえ、そうですね、そうしましょうか。デパート、行きましょう」


 うんうん、アミィもだいぶこの辺りを解ってきてくれてるな。主人としては嬉しい限りだ。


「あっ! ちょっと待った響君。大事なことを言い忘れてた!」


 クリニックに背を向けて駅へと向かおうと歩きだした俺とアミィを、九喜先生が呼び止める。


「さっき渡した紹介状なんだけど、絶対に()()()()()()()()()()() 開けずに、そのまま訪ねた先の人物に渡すんだ、いいねっ!?」


「は、はい……、解りました」


 いや、そんなに念を押されなくても開けないけど。見ても何も解らないだろうし、余計なことはしないに限る。


「だったらいいんだ。それじゃあ、また後日」


 そう行って、九喜先生は早足でクリニックへと戻っていく。そんな九喜先生の様子に俺もアミィもわずかに違和感を覚えつつ、再び駅方面へと歩き始めた。


 ……………………


「……落ち着いたかい? テレサちゃん」


「はい……、いえ、嘘ですね。ダメです、まだ先程からの異常は収まりません、申し訳ありません」


「いいんだ、今は何も考えず、()()していたらいい」


「ですが、私には、明日以降の業務が」


「いいんだよ、そんなことどうだって」


「ダメです、早く、早く、この異常を修復しなくては、そうでないと、私は……」


「違うっ!! 異常なんかじゃあるもんか、それが正常、正常なんだよっ!!」


 今思えば、会計を終えた響君とアミィちゃんがここから出る辺りから彼女の様子はおかしかった。

 唇は震え、残った右目からは軽度の眼振が認められた。もっとも、それはいつもの彼女を見ている私だから解る、微々たる反応。


 とはいえ、そんな状態の彼女に二人の見送りをさせる訳にもいかず、彼女をここに置いてきた。

 私が戻ると、案の定、彼女の症状は先程より顕著、唇をモニョモニョさせ、長椅子に座り込んでいた。


 そりゃあ、慌てたさ。彼女がいきなりこんな風になるなんて。いや、そうじゃない、僕には、心の準備が出来ていなかったんだ。


 今の彼女は異常なんかじゃない。きっと彼女は、あの頃へ戻ろうとしているんだ。皆が慕い、皆に愛された、あの頃へ。


「何故でしょう? アミィ様がもうお帰りになると思った途端、何故か、胸の辺りが、苦しく……!」


 予兆はあった。あの事故を境に、彼女は深く患者に関わろうとしなくなった。それはここで働くようになってからも同じ。

 そんな彼女を、不気味がりはしても、好意的に接しようとする患者はいなかった。そして、それを、本人も望んでいた。


 それでも、僕は彼女のあの頃のような笑顔が見たかった。それが意図して作らたものだったとしても。

 馬鹿もやった。端から見たら呆れられるような、出来ないなりに精一杯の道化も演じた。それでも、クスリとでもいいから、彼女に笑って欲しかった。


 それでも、僕が培ってきた人生ものではそれは叶わなかった。勿論、彼女は僕のそんな思いは知る由もない。

 まさか『君に笑って欲しくて、無理して馬鹿やってる』なんて、僕の口から言える訳ないじゃないか。


 アミィちゃん、君には参ったよ。感謝と嫉妬が混じったような胸の内。全く、やっぱり人間の感情なんてこんなもんだ。

 ただこの目の前の事実を喜べばいいのに、こんな醜い感情をちょっとでも抱く自分に腹が立つ。


「……そんなにアミィちゃんと話すのが楽しかったかい?」


「いえ、ですが、アミィ様の目まぐるしく変化する表情や声の抑揚を観測していると、『もっと彼女を見ていたい』という欲求が」


「たぶん、その気持ちのことを『楽しい』って言うんだと思うよ?」


「そう、なのでしょうか? 前の職場も含め、このようなことは無かった、筈なのですが」


 あるわけがない。あそこには彼女がそんな気持ちを持つような患者はいなかったからね。あの頃の笑顔は、それこそ打算の産物だ。

 つまり、僕だって彼女の本物の笑顔を見たことなんて無かったんだ。そして、今、僕の目の前には、僕がずっと望んできた夢の種がある。


「だったら、今、テレサちゃんが感じているモノを、頑張って形にしてみたらどうかな?」


「ですが、解らないのです。どうしたら私の顔が望むような表情を形作ってくれるのかが」


「すぐには無理さ。色々試して、少しずつテレサちゃんの理想に近づけていこう」


「どのようにしてでしょうか?」


「そうだねぇ……、うん、閃いたっ! 取り敢えず、まずは鏡でも見ながら、自分が納得のいく表情を作っていくってのはどうかな?」


「……鏡、ですか?」


「ああ。僕が思うに、今のテレサちゃんの症状は、長く表情を作って来なかった影響で、顔面の筋肉に上手く情報伝達が出来てないんじゃないかなって」


 これが正しい処置なのかは解らない。それでも、もし駄目だったら他の手段を試せばいい。

 これまでは彼女の本物の笑顔を取り戻すきっかけすら無かったんだ、少しでも光が見えるなら、そこに向かって歩くだけだ。


「……センセがそう仰るのであれば、やってみます。ですが、その前にお願いが」


「なんだい? テレサちゃんのためなら、なんだってやっちゃうよ」


「このままでは、私が思い描く表情を形成出来そうもありませんので……、この左目、直して頂けませんか?」


「勿論さ! 直ったら、テレサちゃんもっと綺麗になるよ! ずっとテレサちゃんを見てきた僕が言うんだ、間違い無いって!」


「……ホント、口だけは上手いんですから、センセは」


 そう僕に言った彼女の右目は、普段よりちょっと細く見えて、口角は微かに上がったように見えて、それはまるで、僕に笑いかけたように見えて。

 当然、それは幻。顔面の攣縮が見せた一瞬の幻。もしかしかたら、僕の脳が勝手に彼女の表情を補正したのかもしれない。


 それでも、今の僕には十分だ。それに、これから彼女と過ごす時間はまだまだある。

 今はまだ無理でも、少しずつ、彼女を支えながら過ごしていけば、さっきの幻が本物になるかもしれない。


 だからこそ、心の底から惜しい。もしかしたら、テレサちゃんとアミィちゃんが会うチャンスは、もう二度と無いかもしれないのだから。

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