最初から、やりなおし
僕ら4人のスカイチューバーは、廃病院を探索実況する企画を立ち上げた。
この廃病院には、身寄りのない子どもに人体実験を行っていたという噂がある。だからなのか、子どもの霊を見たという体験談が絶えない。
怪奇現象を映像におさめるべく、意気揚々と廃病院に入った僕たちを待っていたのは、絶望、だけだった。
一人、また一人と残虐に殺され、そして一番最後に僕を殺して、告げられる。
『最初から、やりなおし』
──何度も繰り返されるおぞましい現実と、フラッシュバックで視えてくる病院の過去が、ゆっくりと、狂気を含んで重なり合う。
過去と現実がきれいに混ざりあったとき、僕はこのループから解放されるのだろうか──
この廃墟の病院で、僕はようやく個室を見つけた。
どこの壁も崩れているなか、個室になるものを探すのはとても骨が折れた。
でもこれで少しは余裕ができる。
音を立てないようにドアを閉じて、これからどうしようかと息をつく。
肺の奥から吐き出した息は白く濁って、冬のはじめとはいえ、夜中の2時をとっくに過ぎた室内は冷え込みが激しい。
ここは3階の中央、ナースステーションの向かいになる。
1階はロビーと診察室や手術室、2階からは病室が並んでいたが、この個室があるのは3階だけ。
3階より上は屋上だが、登るための階段はすでに雨漏りでコンクリートが痛み、歩ける状態じゃない。
もちろん地下もあるけれど、霊安室があるだろう場所に、スマホも懐中電灯もない僕が向かえるわけがない。
それは同時に、晴翔とメイちゃんを助けに行くことも難しいという意味でもある。
寒さで紫に染まった指先を握りながら、思えば、生配信はどうなっているんだろう?
誰かはまだ、繋がっているんだろうか……
僕は改めて部屋を見渡した。
淡い月光に満たされた部屋には、むき出しのベッドの他、腰丈の棚、座面が破れたパイプ椅子、ちぎれてぶら下がったカーテンがある。
使えそうな道具があればと視線だけで探してみたが、バールやロープもない。棚はカラだし、床も埃のみだ。
それならと、ベッドをドアにくっつけて開かないようにすることを思いついた。
これで完璧な個室になるはずだ。
埃が絡まった車輪がキーキーと唸るかもと、怯えながらベッドを押してみたが、ベッドが重いだけで静かに動いてくれた。車輪を停めておくピンもしっかり下がり、これで簡単にはベッドは動かない。
僕はベッドを背もたれにして、崩れるように腰を落とした。
床の冷たさを感じながら、じっとりとへばりついた額の汗を手で拭う。
カタン。
何かが倒れた。
鉄のゴミ箱の音のようだ。
廊下にいくつか転がっていたものだろうか。
誰かが足を引っ掛けた?
それとも……
僕は震える息を整える。
不意に、人が病院にいた面影を見つけた。
ベッドのシーツがマットレスに仕舞い込まれている。
たったこれだけだが、これはベッドメイクされていた名残だ。
ここで人が生きていたカケラを僕は感じ、つい、頬がゆるむ。
瞬間、視界に星が走った。
貧血や頭痛のときに起こる星のようなものだが、僕の場合は違う。
これは、過去のフラッシュバックが起こる前触れだ。
舌打ちをしているうちに、否応なしに瞼の裏に映り始める──
……やわらかな日差しが病室に差し込んでいる。
夏だろうか。窓が開き、濃い緑の木々が風で大きく揺れた。
ベッドには子どもが座っている。少女だろうか。
目が少しつり目で、小柄な子だ。
少女は固そうな真っ白の布団を抱えて、中年男性の医者と楽しそうに会話をしている。
すぐ横には、年配女性の看護師が手際良く血圧をはかり、頭を覆っている包帯をチェックすると、彼女の細い腕に2本のカラフルな点滴が手際よく繋がれた。
少女は点滴を確認しながら、すっかり包帯で覆われている頭をしきりに触り、看護師に何か訴えている。
看護師は彼女の肩を優しくさすり、頬を撫で、慰める動作が繰り返される。
カーテンの奥に人影が現れた。きっと母親だ。
だがその人影は、黒い染みとなって浮き出した。
ただの影のはずなのに、不快で胃が縮むほどの恐ろしさに、僕はすぐに目を逸らす。
……僕はゆっくりと瞬きをする。
視界が戻ってきた。
仄暗い室内に、薄汚れたガラスと、ボロ切れになったカーテンが見えてくる。
「……はぁ」
僕は小さい頃から、不特定の場所で過去の映像がフラッシュバックするクセがある。
ただこれが本当に過去にあったことなのか、僕の妄想なのかはわからない。
僕は、僕の妄想だと、思っている。
それにしても、この病室に似た場所の、変な光景だった。
変なもの……?
それで思い出した。
生配信をしていたときだ。
──僕と晴翔は、廃墟探索系スカイチューバーをしている。
今回、コラボ企画として、大人気スカイチューバーのメイちゃんと、都市伝説チャンネルの高木先輩の4人で、画面を四分割、それぞれ自撮りをしながら廃墟探索実況をすることを決めた。
そこで高木先輩が紹介してくれたのが、この廃病院だった。
十数年前に廃業したこの病院には、身寄りのない子どもたちを使って人体実験をしていたという噂があるせいか、子どもの霊の体験談があとを絶たない。
僕らは体験談の検証も兼ね、夜中の2時に探索実況を開始。
僕の場合、スマホカメラで自分を撮っているため、自分の映像はもちろん、他の人の映像も実況中は見れない。
インカメラを使えば見れるのかもしれないが、のちに編集作業があるため、僕は画質確保でインカメラを使えない。
唯一、実況へのメッセージは読み上げ機能で聞くことができるため、僕はいつもイヤホンを耳に挿し、実況していた。
今回も視聴者からのコメントを拾いながら、反応を楽しんでいた。
闇深い廃墟病院探索とはいえ、たくさんの仲間と探索している気分に浸りつつ、時間をかけて1階の診察室を探索し終えたときだ。
『ヘンナモノ』
『オイシムラ』
『タカギパイセン』
ロボットボイスのため、カタコトに聞こえるメッセージが波のように混ざった瞬間、高木先輩が僕の肩を掴んだ。
無理やり引っ張られたため、ジンバルにつけていた僕のスマホが有線イヤホンと共に廊下の彼方へ滑り転がっていく。
僕は怒りながら振り返った。
なのに、先輩はいない。
これはタチの悪い悪戯だと、残った僕らは先輩の名前を呼びながら、近くの部屋を回っていたときだ。
先輩のつん裂くような悲鳴が廊下に反響した。
それは奥の手術室から聞こえたものだった──
思い出したくもない光景に、僕は目を強く強くつむり、あの景色を思考から追い出す努力を繰り返す。
内臓と骨が剥き出しの先輩など、何度も見たくない。
だけど、気づいてしまった。
もしかしたら、先輩が消える瞬間を僕のスマホが撮っているかもしれない。
仮に写っていれば、犯人の姿をとらえている可能性は少なからずある。
落としたのは、1階の多目的トイレの近くだ。
ここは3階。そこまで今から戻るのか?
懐中電灯もなしに?
もしかしたら、鉢合わせするかもしれないのに?
「……そんなの無理だよ」
思わず声が出て、僕は両手で口を覆う。
だめだ。個室だからって油断し過ぎてる。
大きな鉄の棚が倒れる音がした。
動かせるとしたら、男の晴翔だけだ。
……すぐに行かなきゃ!
ドアに置いたベッドに手をかけたとき、僕は思う。
あの晴翔なら、この現状を打破できるかもしれない、と。
小学からの友だちの晴翔は、本当に頼り甲斐がある奴で、周りの友だちも晴翔のことは一目おいている。
頭の回転の速さもスゴイし、なにより、行動力が半端ない!
大学に入ってすぐ「お前さ、廃墟って知ってる?」そう言い出したのは晴翔だった。
時間の経過で自然と融合していく廃墟の世界が、世紀末っぽくて、カッコよく僕たちには見えたんだ。
幼稚だと笑われても良い。
僕らが好きなものは意外と被っていて、だからこそ親友が続いてるんだと僕は自負している。
今年の夏休みを使って僕が車を入手すると、そこから廃墟巡りが始まった。
動画撮影もし、流行りのスカイチューブにアップしようと僕がパソコンで映像にし、晴翔が公開を始めた。
晴翔が管理してくれているおかげで登録者も順調に伸び、まさか、あの憧れのメイちゃんとコラボができるなんて……!
本当に晴翔はすごい。尊敬する大親友だ!
……やっぱり、晴翔と一緒にいた方がいい。
こんなの、薄情だ。
今からでも行くべきだろ!
でも、晴翔なら、
葛藤してた僕の思考に、晴翔の声が唐突に刺さり込んだ。
『てめぇ、ふざけんじゃ………っ! ……や、……ばぁああ……あー……』
暴れる音がする。
まるで生きのいい魚が小さな箱に入れられたように、ガタガタびたんびたんと床が打ち鳴らされる。
……それは、しばらく続いた。
僕は耳を澄まして、じっと聞くしかできなかった。
しだいに電池が切れるように、バタン、バタンと間があき、そしてぴたりと静かになる。
静寂が僕に覆いかぶさる。
堪えていた涙が溢れてくる。
どうしてだよ。
悔しさと恐怖が胸に押し寄せて、耳の奥がキーンと響く。
次は、僕か、メイちゃんだ。
僕は固まった体を無理やりベッドの下に潜らせる。
お気に入りの黄色のパーカーが、埃で真っ白になってもいい。
とにかく、この時間をやりすごさなきゃいけない。
息を吸うたびに咳が込み上げる。
僕はパーカーの襟を引き上げ、口に当てた。これで少し呼吸がマシだ。
だけど、逆に僕の息の荒さを感じてしまう。
今は動いてもいないのに、浅い呼吸で、肩から息をしている。
僕は必死に深呼吸を繰り返す。
落ち着く気はしないが、息はできている。
大丈夫。
さらに身を縮め、ぐっと足を折りまげた。
左手は僕の口を、右手は膝を抱える。
これで僕の体はベッドのどの端からも出ていない。
どこかの部屋の扉が開く音がした。
引き戸だ。
引き戸の場所など、あっただろうか。
もしかすると、ナースステーションのとなりがそうだったかもしれない。
きゅるきゅると滑りの悪い音と、すぐに走る足音が鳴る。
だがテンポの悪い足音が絡まった。べちんと肉が跳ねる音がする。
思えばメイちゃんは、胸元が大きく開き、体のラインを強調するふわふわセーターと、デニムのショートパンツでここに来ていた。厚底のサンダルで、冬なのに夏の海に来たのかというような格好だ。
ただ肉肉しい彼女の体は、メイ担と呼ばれるメイちゃんを推すファンたちに大人気。少し焦げた肌色も、彼女の色になっていて、僕はそんなキャラ作りができるメイちゃんを尊敬している。
決して恋愛感情なんかじゃない。
……僕なんかじゃ、絶対に釣り合わない人だから。
不意に、メイちゃんの悲鳴に似た声が、ドアの窓を震わせた。
『待って! 待ってよ! なんでもするし!』
懇願の声がすでに泣き声だ。
声がひっくり返って、聞き取りづらい。
言葉としてようやく聞き取れたのは、
『離してよっ』
すぐに、痛いと続いた。
延々と聞こえてくる声に、僕は耳を塞ぐ。
それでも滑り込んでくる彼女の声は、すでに悲鳴だ。
引きずられる音の前に、なにか潰したのかパンッと鳴る。
スイカ割りの音よりも、風船が割れる音に似ていたそれは1回きりだったが、続けて何かが飛び散る音が廊下に満たされる。
壁や天井を液体とも固体ともいえないものが廊下中に撒き散らされているようだ。
合間、廊下にあったバケツに散らされたモノがぶつかり、ガン、ガン、カンとリズムよく鳴った。
だが、もう、メイちゃんの声はしない。
……しない。
僕はじっと、身を縮めた。
固く目をつむる。
唐突にドアノブが回りだした。
悲鳴を必死に食いしばって止めるけど、息の隙間から漏れてしまいそうになる。
執拗に回されるドアノブに僕は怯えるしかできない。
だけどベッドのおかげでドアは開かない。
不安と安心が、何も見えないベッドの下で交互に押し寄せてくる。
音が止んだ。
良かった……。
今回は大丈夫。大丈夫だ……!
口から手を外し、息をする。
ぎし。
僕はその音を探る。
ぎし、ぎし。
ベッドが、軋んでる……?
「みーっけ」
マットレスを突き破って、皮と骨しかない腕が飛び出してくる。
僕は必死に身をよじって逃げるが、イトミミズみたいに踊り狂う腕は僕を掴もうと、何度も爪が服をかすめていく。
流れる涙をそのままに、僕は体を回転、床を蹴って這い出ようと試みる。
なのに。
異様に伸びた腕が、僕の足首を掴み上げた。
「や、やめ……離してっ! はなじ……やだぁーーーーーーー!!!!」
マットレスの小さな穴から僕を引き抜こうと、力の限り、引っ張られる。
関節から離れようとする骨、裂ける皮膚、ちぎれ出す筋肉、足首はとっくに握りつぶされ、激痛に涎があふれて言葉なんかでてこない。
最初から、やりなおし……
痛みの吐き気と脳みそに響く声に、僕は慌てて飛び起きた。
「──ついたぞ、廃病院。初めての廃墟って、めっちゃわくわくするよな! オバケ、映んねーかなぁ。映ってくれなきゃ困るよなぁ」
僕の車のハンドルを握る晴翔から、一言一句変わらないセリフが放たれる。
このままだと、また意味のわからない4回目のやりなおしが始まってしまう……!
「あ、あのさ、晴翔、ここじゃない別な廃墟とかどうだろ。あの来る途中の民家もさ、結構趣あるっていうか」
僕は必死に提案する。
開始時間や入る順番もズラしてみてる。
でも結局、全部失敗だった。
入ったら、もう、抜け出せない。
それなら場所をズラすしかない。
「今日でスポンサーつくかどうか決まるし。お前が行かなくてもオレは行くぞ?」
ドアに手をかけた晴翔に、僕は抱えていたカバンからカッターを取り出した。
「行くなら、僕は死ぬ」
なんで早く気づかなかったんだ。
ここで僕が死ねば、ループしない。
晴翔を守れるじゃないか!
突き立てた刃が、首にちくりとした瞬間。
晴翔の頭が花火のように飛散した。
ベッドライトを浴びるメイちゃんとマネージャーさんの頭も軽快な音を立てて破裂する。
さらにカッターを握った手が、勝手に僕の喉を突き刺した。
ひゅーひゅー漏れる息を遮るように、
最初から、やりなおし……
頭の中の声に、僕は舌打ちする。
……ループが、終われない──!




