美味しいヤミー感謝感謝またいっぱい食べたいな殺人事件
偏見だが、公務員は羽目を外さない。
いや個人単位で見れば外す奴もいるのだろうが、なんかお堅いイメージというか。酒の席でも頭にネクタイ巻いて腹踊りというようなものではなく、正座で日本酒片手に、笑う時も掌で口元を隠して笑うような。そういう静粛で質素で荘厳な印象を持っていた。
だが、そんな。僕の二十五年抱き続けていたその偏見は、今日本日をもって粉微塵に砕かれることとなる。
「美味しいヤミー!!」
怒号にすら似たその掛け声に、周囲の人間は両手を胸の前に合わせる。日本人の美の象徴ともいえるその姿は、しかし僅か数刻で姿を変えた。
「感謝感謝ァ!!」
陽キャでもパリピでもなんでもない、ただのコワモテ武闘派共は全員詠唱を続けながら、ニョキニョキとその腕を上下させる。僕はその渦中で一人、呆然としたまま身動きひとつ取れずにいた。
「またいっぱい食べたいな!! デリシャッ、シャッ、シャッ、シャッ、シャシャ……」
かと思えば今度はタヌキのモノマネでもせんとばかりに、両手で腹をコールに合わせて叩き始める。どいつもこいつもシックスパックに鍛え上げられた腹筋を加減も知らずにひっぱたくせいで、皮膚が少し痛そうな音を立てていた。
そうして最後に、トドメと言わんばかりに彼らは人差し指を両頬に刺しつつとびっきりの笑顔を見せる。
「ハッピースマイルッッッッ!!!!!!!!」
同時に、訪れる静寂。
筋肉達はスマイルの姿勢のまま、毛先一本動かさずに静止する。ああ、そういう所はしっかりしてるよな。だって公務員だもんな、と僕は妙に納得してしまった。
そんな中、マッスル集団の正面に立った初老の男性は、その小柄に似合わぬ声量で僕らへと一喝した。
「――以上、これにて『美味しいヤミー感謝感謝またいっぱい食べたいな殺人事件』の捜査会議を終了するッ、解散!!」
途端に駆け出す筋肉ダルマ共。彼らは皆、警察官であった。
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「日本っていつから大麻が合法化されてたんですか?」
「残念ながら彼らはシラフ。これも事件解決にやむを得ずしていることなのよ」
「へぇ……やむを得ず、ねぇ」
去りゆく巨体達の後ろを気だるげに歩きながら、僕は今回の事件のバディである大石課長に尋ねると、彼女はそう言った。ハーフアップにまとめられた艶やかな黒髪といい、パーツの整ったザ・大和撫子なお澄まし顔といいそれはそれは素敵なことなのだが、この人もまた数分前まで感謝感謝していたことを隣に居た僕は知っている。
「ところで貴方……名前はなんていったかしら」
「なんでそんなゲーム開始時のキャラ名決める時みたいなセリフなんですか、今年度から捜査一課に配属された飯口絶品です。よろしくお願いします」
「へぇ、随分とこの事件にピッタリな名前ね」
「貴方も大概だと思います、大石弥美さん」
「まぁ」
まぁじゃないが。
褒め言葉と受け取られたらしく、彼女は頬に両手を当てる。どうやらこの職場には真っ当な人間など残っていないらしかった。
「飯口くんはこのヤマが初仕事?」
「遺憾ながら」
「そう。では、まず事件概要から確認しましょうか」
言いながら、大石課長は自販機コーナーのベンチへどっこいしょと腰掛ける。要するにテイのいい休憩らしい。
「……概要と言っても、さっきの捜査会議の内容はほぼメモしてますよ」
「私はメモしてないし」
課長は悪びれもしない。あんぐりと口を開けて立ち尽くす僕に、彼女は『それに』と付け加えた。
「飯口くん、最後のインパクト強すぎて自分でもあんまり覚えてないでしょ?」
あんたが言うか、と喉まで出かかるも僕は空気と共にそれをギリギリ飲み込む。まぁ実際それは当たっており、会議の記憶はその9割がガチムチ感謝コールであった。
「……じゃあ」
仕方ない、と僕もまた彼女の向かいのベンチに腰掛ける。それから手元のメモへと視線を落とすと、僕は頭を掻きながら言った。
「事件発生は1週間前の水曜日、午後8時から8時30分にかけてです」
「被害者の名前は川口翔。都内の大学に通う21歳の学生で、死因は胸部をナイフで刺されたことによる失血死――」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
僕の読み上げに被せるように発せられた、怒涛の口述に思わずストップを掛ける。それから不思議そうな表情の課長を見上げると、僕は困惑を表情を出しながら問うた。
「メモとってないんじゃ無かったんですか」
「覚えてないとは言ってないでしょ」
「……あぁ、はい」
真面目に取り合ったのが何だか馬鹿らしくなってきて、僕は再度頭を搔く。とはいえ個人のスタンスに口を挟むことも出来ず、結局僕はまた何事も無かったように読み上げを再開した。
「現場は本人のアパートですね。第1発見者は彼の交際相手です」
「ええ。事件の起こるほんの数分前、彼女が川口に電話を掛けたところ、彼は『今パソコンでYouTubeを見ているところだ』と伝えた。実際交際相手も電話越しにその音声を確認している」
「そして、それこそが……」
「美味しいヤ――」
「完全詠唱しなくていいですからね」
彼女が両手を合わせたのを見るや否や、僕は即座にそれを阻止する。いや別に完走されたところで特に実害は無いはずなのだが、なぜか凄く恥ずかしい気持ちになるのである。
「とにかく、今話題となっているとある動画だった。そして彼女が聞いたのは、その冒頭でYouTuber達が挨拶するシーンの音声だったそうです」
「つまるところほぼ再生直後ということね」
「はい。しかしその直後、事態は一転します」
「突如争うような音がして、それからすぐ川口は交際相手に『誰かが部屋にいきなり入ってきて刺された、助けてくれ』と叫んだ。それを聞いて彼女は電話を繋いだまま、慌てて500mほど離れた彼の自宅へ向けて飛び出したそうよ」
それを聞いて、僕はひとつ大きくため息を吐く。
この反応はハッキリ言って正しくない。アパートにまだ刃物を持った犯人がいるかもしれないし、この時点で救急車を呼んでいれば川口翔は生存していたかもしれないのだ。もっとも、電話越しに恋人を刺されて平常心を保てる人間などまず居ないが。
「500mあれば、本来なら数分で着くはずです。しかしその日は不運にも道中で事故による通行止めに遭い、彼女は迂回を余儀なくされた」
「結局何分くらいかかったかはほぼ覚えていないそうね。そうしてやっとの思いで到着した彼女は、合鍵で部屋を開けた」
「そこで目に飛び込んできたのは、愛する彼氏の死体と荒らされた部屋。そして」
「美味s」
「詠唱破棄」
とうとう反応速度が人智を越えた。脳を通さず脊髄反射で封じられた大石課長は随分と頬を膨らませているが、僕は気づかないフリをして手元のメモに視線を落とし続けた。
「要するに、PCに映されたその動画のサビの部分だった」
「あんまり動画にサビって言葉使わないと思うけれど」
「開始から12分32秒の時点ですね」
僕はスルーして解説を続ける。実際、表現的にはサビが一番適した言葉のように思えるのだから仕方ない。
「彼女は事件発生から遺体発見まで一貫して時計を確認していないため、本事件において時間を示すのはこの動画しかありません」
「そしてもうひとつ。彼女は鍵を開けて川口のアパートへ入ったと証言しており、窓は割られた様子がない。更に川口の所持する鍵は部屋の中。つまり……現場は密室だった」
「はい。昨今密室トリックなんてものは山ほど存在しますし、物によってはほとんど証拠を残さないものもある。それを作る利点はさておき、実行は一般的に考えられているほど難しくありません。しかしそのどれもが『時間がかかる』という致命的な欠点を持っている」
「彼女が自宅を飛び出してから遺体を発見するまで、動画を信じるならばおよそ12分。と言っても、冒頭の挨拶から刺されるまで少しは時間があったようだから、実際のところはもっと短いわね」
10分。
ザックリそう見積もるのが妥当な数字だろう。犯人は10分で現場に密室を施し、逃走したことになる。
「……10分で密室って作れると思う?」
ちょうど、大石課長も同じことを僕に尋ねる。ということは恐らく同じ感想を持っているに違いない、僕は首を傾げながら答えた。
「微妙ですね。殺してすぐ作業に取り掛かったなら可能だと思いますけど……彼の部屋は荒らされていますし、それはカモフラージュでもなく実際に通帳や金品も持ち出されています。その時間まで考慮すると、かなり素早い施錠をしなければ難しいのでは」
「もっと言えばそもそも密室を作った理由も謎ね。犯人は川口が電話をしていて助けを求める姿を見ているはず、さっさと逃げるのが道理でしょう。百歩譲って施錠により発見を遅らせたかったとしても、室内の鍵でドアを閉めて鍵ごと持って逃げればいいだけだもの」
ううむ、と僕らは同時に唸る。ふざけた事件名をしているが、実際のところ中身は随分と不可解なものである。
「物盗りに見せかけた知人の犯行とか。部屋に何度か来たことあるならば通帳の場所を知っていてもおかしくないし、そいつが男性ならアパートの一室くらいすぐ荒らせます」
「だとしたら電話で名前を叫ぶでしょう」
「それは……覆面をしていた、とか」
「まぁ、少し弱い気もするけど有り得ない話では無いわ。実際その線で進めている所もあるみたいだし。ただ、それでも密室の謎は残るわね」
沈黙が、通る。
「――しょうがない、行くわよ」
おもむろに、課長はヤレヤレと立ち上がる。僕がそれを見上げると、彼女は親指でクイと出口の方を指しつつ警察業務基本のキを口で唱えた。
「現場百遍。捜査は足で稼ぐもの」
「……ッスね。ところで、訊きたいんですけど」
「うん?」
それに頷きながら、共に僕も立ち上がる。
そうしてその勢いのまま、先程の沈黙の間ずっと胸中につっかえていたひとつの素朴な疑問を口に出した。
「やっぱり捜査会議で全員が感謝感謝する必要なくないですか?」




