望まぬ薬師と金涙の姫
「金涙の聖女の逸話を、ご存じですか?」
そこは商人の屋敷だった。骨ばった携帯式の天秤から目を離さず、青年は依頼人である婦人に声をかける。彼が薬さじですくう生薬は、それこそしっとりとした金色に輝いて。
「人を食らう人、つまりは魔人にのみ生まれる、千年に一度の奇跡。金の涙を流す神の使い。あるいは生ける賢者の石、エリクサーを溢すもの。彼女の流す涙は黄金に変わり、それを砕いて飲めばたちまち、あらゆる傷も病も治ったのだと言います」
「つまり、なんですの? その金の塊が、その万能薬だと……?」
上等な衣装に身を包んだ婦人は、怪訝な顔つきで問いかける。自分の娘の病気を、こんな胡散臭い人間に任せるのかと、その不安がありありと顔に書いてある。それは、口元にも布を巻き、薬の匂いの染みついたローブのフードを目深にかぶっているからでもあるのだが、青年は気にした風もない。
「そんなわけはない」
嫌味っぽく鼻で笑って続ける。
「あくまで、“まじない”ですよ。薬は薬という名にこそ価値があるものです。たとえ、本当は効果がないにしても」
彼はころころと転がる細かな金の塊を正確に秤量し、乳鉢に移した。すでに入っていたその他の生薬とともに、乳棒でごぉりごぉりとすり潰す。そして、それをまた天秤を使って量り分け、一日分に小分けする。
「それにね、奥さん」
小分けしたものを正方形の薬包紙に乗せては、紙をたたんで袋にした。そのうち、たたんでいる途中のものを婦人に見せる。
「年頃の女の子は、こういう見た目の方が喜ぶものでしょう」
どれもこれも茶色っぽい、味の悪そうな粉末の中で、金粉は土に埋もれた宝石のように輝いていた。
◇◆◇
「本日分の往診が終わりました。確認をお願いします」
「お疲れ様です、先生。少々お待ちください」
医薬ギルドのカウンターで往診表を提出し、ヴィレムは息をついた。背中に背負った商売道具を床に下ろすと、中に入った様々が音を立てる。各種の生薬――薬効のある植物の根や種子から鉱物まで――に加えて、組み立て式の天秤から簡単な薬研まで入っている、膝を抱えた女性なら余裕で入るくらいの木箱だ。それこそ、人ひとり担いでいたようなものである。
フードを外して額の汗を拭うと、それだけでもぶわっと熱気が逃げてくれたように思えた。秋もだいぶ深まってきて、それこそ数か月前の夏場よりはマシだと、彼は内心で自分を慰める。
そんな彼の後ろから、ひょっこり顔を出す少女が一人。
「情けないわね、ヴィレム。いつまでたっても体力がつかないんだから」
「そうは言っても、アマル。これは体力とかの問題じゃないんですよ」
「そうやって言い訳するところが、なお情けないのよ」
「容赦ないなぁ……」
苦笑いのヴィレムに、アマルは高飛車に腕を組む。しかし、それにも愛嬌があるというもので。
なにしろ、くしゃくしゃの金髪を肩口でそろえた彼女は、人形のように整った顔立ちをしていた。淡い空色のワンピースは質素であるが、袖口に控えめにあしらわれたフリルが可憐さを引き立てる。
彼女の隣に立っているヴィレムも、フードを外せばすっと通った目鼻立ちがあらわになり、汗で頬に張り付いた黒髪には優男だからこその色気がある。背の高い彼と美少女たるアマルの取り合わせは、もはや演劇の舞台でお目にかかるかという具合だ。
ギルドにいる面々は、その場に似つかわしくない二人のやりとりを微笑ましく、あるいは煩わしげに眺めている。
なにしろ、医薬ギルドというのは庶民に対する医師の紹介窓口だ。魔法医学を独占し、自分たちには魔法医学があるからと民間医療の発展をないがしろにする貴族に代わり、それぞれ独自の医学を持つ医師たちを管理、斡旋する機関。
ヴィレム自身も極東薬学者として医薬ギルドに名を連ねる身であり、この場所にはそういった医学に携わるものと、治療を依頼しに来る傷病者とその親族しかいない。あるいは、隔てる壁もなく併設されている、冒険者ギルドの冒険者たち。
「おーい、ヴィレム!」
ヴィレムが、ギルドに所属するものとして仕事をした証である往診表を返してもらっていると、日も落ちてきて酒盛りに盛り上がる冒険者ギルドの方から声が上がった。振り返れば、酒のジョッキを片手に手を振る男がいた。
ヴィレムはため息をつく。一度下ろした仕事道具を担ぎ直した彼は、ずかずかとその男の前まで歩いて行って、改めて木箱をどしんと目の前に置いた。抗議代わりだった。
「大声で呼ぶなっていつも言ってるだろ。みっともない」
「いいじゃないか。俺とお前の仲だろ?!」
「いちいち声がでかい」
「それがオレのいいところよ。いつもメイに言われるんだ」
「それだけ、って言われてるんじゃないのか」
「いやぁ、バレたか!」
赤ら顔で大口を開けて笑う男は、マルクと言った。ヴィレムと同い年の彼は、冒険者ギルドに所属の冒険者で、その大柄な体で大剣をふるって魔物を一刀両断にしてしまう。かつては冒険者だったヴィレムの同期であり、腐れ縁だった。
妹のメイのために命を懸けた仕事に励むこの友人は、ヴィレムからすると良くも悪くも子供のころから変わらない。
「ちょっとヴィレム、置いてかないでっていつも言ってるでしょ!」
「あぁ、アマル……。すみません、わざとじゃないんですよ」
「なお悪いわよ! わたしのこと、忘れてたんでしょ!」
「あっはっは! 今日も仲がいいなぁ、俺と妹ほどじゃないが!」
「やかましい。お前はむしろ嫌われてるんだぞ、気づけ」
ヴィレムはぷりぷりと腰に手を当て怒るアマルと、ただの酔っぱらいに挟まれ、くるくると態度を入れ替える。
「ほら、アマルちゃん。これ食うか、酒のつまみだけど」
「そんなものをうちのアマルに食べさせないでくれ」
油でぎとぎとのフライを差し出そうとするマルクの手をはたき。
「ヴィレム! せっかくの厚意を無下にしちゃだめよ!」
「そうは言っても、食べられないでしょう」
「それは、そうだけど……」
しかしアマルに話すときは必ず柔らかな物腰に戻る。
「あっはっは! やっぱ、お前がそうやって一人二役やってるのを見るのが、一番おもしれぇや!」
「あぁ、そうかよ……」
そしてマルクは何より、彼のその様子を見て酒を飲むのが好きなのだった。
ヴィレムは仕事道具を担ぎ直す。マルクが相変わらずの度し難さであることは確かめ終わったので、帰ってアマルと夕食にするのだ。「あまり飲み過ぎると、また妹にどやされるぞ」と捨て台詞。アマルはおしゃまに別れの挨拶をして、ヴィレムの後についてくる。
「お前も、アマルちゃんをちゃんと大事にしろよ!」
追いかけてくる大声を背中で受けて、ヴィレムはギルドの扉を開いた。
街に出る。夕日が街を赤く染め、人の影法師が街路を暗く塗りこめていた。フードを被りなおし、彼はアマルの手を引いて歩き出す。店じまいをする商店と、家までの帰り道を競争する子供たち。
彼の生まれ故郷である街は、昔と何も変わっていない。ヴィレムは街を歩きながら思う。
確かな幸せが、ささやかな幸せが満ちていて、そして物陰からそれを羨む弱者がいる。路地の暗がりに目を向ければ、痩せた少年がぼろきれを体に巻き付けてうずくまっている。
彼もかつてはそんな落ちこぼれの一人だった。
それでも、病気の妹を助けるために立ち上がり、くすねた食べ物で身体を作り、冒険者となった。割の悪い危険な仕事でも構わず、命を削って働いた。誰も助けてくれない世界で、妹を助けられるのも、自分を助けられるのも、自分しかいなかったから。
それで、腕っぷしを買われて貴族のお抱えとなり、妹の治療にも目途が立って。
しかし自分は結局、ここに帰ってきてしまったのだ。ヴィレムはアマルの手を取って、立ち止まるのを拒むように歩き出す。
「ねぇ、ヴィレム」
「どうしました?」
ヴィレムはアマルに、にこやかに応えた。
「今日の夜ご飯は何にする? ヴィレムの食べたいものを言っていいのよ」
「夜ご飯ですか? そうは言っても、今からじゃあ用意なんて……」
「いいじゃない。暇つぶし」
「そうですか。なら……」
ヴィレムは首をひねる。このお嬢様は、何と言ったら喜ぶだろう。彼はとことん食には興味がないのだが――むしろ、仕事道具となる薬草をいろいろ試してみようと言われた方が心が躍る――それでもアマルが喜ぶ返答を考えた。
そして結論する。考えてもわからないものはわからない。
「やっぱり、美味しければ何でもいいですよ」
「ちょっと! いじわるなこと言わないでよ」
「いじわるだなんて。アマルの作ったご飯ならなんでも美味しいんですから」
「……あら、そう?」
口では不満そうに答えたアマルだが。並んで歩いていた彼女は、ヴィレムを置いて進んでいってしまう。スキップをしているからだ。わかりやすく上機嫌。
ヴィレムはその、あまりにも単純な様子に苦笑しながらも、彼女の後を追った。こんなにも愛らしいアマルを、大事にしないわけがないだろうと、内心でマルクに言い返しながら。
そう。たとえ彼女が何者であろうと、アマルを守るのがヴィレムに残された唯一の使命だ。
先を行くアマルの影が、不意に立ち止まり、後を追ったヴィレムの影が横に立つ。アマルがついと腕を上げ、前方を指さした。
「あれ」
アマルの表情は抜け落ちていた。ただ芸術を追い求める彫刻家の手がけた彫像のように、そこには生気というものがない。そんなうつろな瞳が、一人の少女を捉えている。
どうやら、迷子のようだった。道行く人の波に取り残されて、そこだけ人の流れが変わってしまっている。少女は心細げに視線をさまよわせていて。
「わかりました」
ヴィレムは一つ頷いて、アマルの手に自分の手を重ねた。そのまま手を引いて、迷子の少女のもとへ歩み寄る。少女からすれば、がしゃがしゃとなる大きな木箱を背負った、長身のローブの男が近づいてきたわけだから、身を縮こまらせる。けれど、そんな不審もヴィレムがローブの内から砂糖菓子を一つ取り出して見せると、ぱっとどこかへ消え去った。
「お母さんとはぐれたんですね。一緒に探してあげますよ」
ヴィレムが微笑みかけると、少女はほころぶように笑った。
ヴィレムはアマルとつないでいた手を離し、少女の手を取る。二人は歩き出し、アマルはただ静かにその後に続く。
日が沈む。空は最後に一際燃えて、藍色の闇へ落ちていく。
ヴィレムは迷いなく歩き続けた。
迷子の少女はそわそわとあたりを見渡す。
夜の澄んだ匂いに包まれて、他に誰も周りにいない。
石造りの家々の間を通る細い道は、まるで無限に続く監獄のようだ。
かすかに見えていた月が雲に隠れ、少女はついにヴィレムの手を振りほどく。
途端、ヴィレムは少女を殴りつけた。
「困るな。騒がないでくれ」
上からの拳に倒れこんだ少女を、ヴィレムは蹴って転がした。
苦し気に呻く少女。ヴィレムは仕事道具の木箱を下ろし、がしゃがしゃと開く。薬の包みを一つ取り出して、それを少女の口へねじ込んだ。
少女は粉末状の薬にむせ返り、必死にあがく。その抵抗も、時間がたつうちに弱まった。ヴィレムが飲ませたのは全身を弛緩させる薬だった。
「アマル。食事の用意ができましたよ」
そして、すっかり少女の抵抗がなくなると、ヴィレムは後ろにずっと立っていたアマルに声をかけた。闇夜の中に金髪の煌めく彼女は、少女の横に座り込むと、そのだらんと垂れた手を取って。
その指先にかじりついた。
「――っ!」
少女の悲鳴は声にならない。薬の影響だった。
彼女の指先はごきんと噛みちぎられ、恐ろしい咀嚼音はその指先が元に戻ることはないと告げている。金髪を赤黒く汚しながら行われる食事。
恐怖に見開かれた少女の目は、アマルからヴィレムへと視線を移す。ぼろぼろと零れる涙が、ヴィレムに助けを求めている。
ヴィレムはそれを、ただじっと見下ろしていた。
金涙の聖女と呼ばれる怪人が、かつていたのだと言う。
その怪人の流す涙はたちまち金へと変わり、その金を薬として飲めばたちどころに病が治る。
しかし彼女の正体は、人を食す魔人であり。千年に一度、魔人の中から生まれる異能力者。
その、現世における再臨こそ、目の前のアマルなのだ。
ヴィレムは妹を喪った。貴族に見いだされ、まともな医者の治療を受けるためのコネと金を手に入れて、しかし妹は助からなかった。
しかし代わりに託されたのがアマルだ。アマル・ラ・アンダルシア。ヴィレムを見いだしたアンダルシア卿の一人娘にして、今代の金涙の聖女。ヴィレムは、命に代えても彼女を守らなければいけない。
なぜって、彼は妹一人守り切れなかったのだから。
ヴィレムは目の前の可哀そうな女の子を見下ろす。
迷子の少女ではない。アマルをだ。
アマルは大食いではないから、腕の一本も食べ終えれば満腹になるはずだった。そして、まさに腕を一本平らげて、彼女は食事を終えたところである。
鼻をすする音がする。アマルが、片腕のなくなった少女の横にうずくまったまま震えている。
ヴィレムはその隣に寄り添って、彼女の肩を抱いた。耳元でささやく。
「いいんですよ。アマルが気に病むことは一つもありません」
「でも、わたし、また食べちゃった……! 食べたくなんてないのに!」
「しぃーっ。仕方ないんですよ。あなたはそういう種族なんですから」
アマルは手で顔を覆っている。手の縁から滲む涙が金の粒になって、少女の血で真っ赤に染まった地面に沈んだ。
「大丈夫。あなたの流した金の涙が、誰かの命を救うんです。それに、この子だって死ぬわけじゃない」
「でもわたし、人を愛さなきゃいけないのに。それが、お父様の最期の言葉なのに」
「大丈夫。その涙が、アマルの愛の証拠ですから」
ヴィレムはアマルを抱き寄せる。そうして胸に抱きとめた途端、アマルは堰を切ったように泣き始めた。ヴィレムはその小さな背中を、何度も何度もなでてやる。
彼女の不安を拭うように。
彼女の不幸を払うように。
彼が妹にしてやりたかったことをして。
それを、得体のしれない不気味として眺める少女がいたから。
ヴィレムは考える。アマルが泣き疲れて眠った後は、まずこの少女を殺してしまおう。




