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探偵のオペラ【6】


 俺はちらりと砂橋のほうを見た。


「なに?」

「いや、なんでもない」

「大学時代のことでも思い出したの?」

「そんなところだ」


 砂橋は俺の小説は読んだことがないだろう。それを寂しいと思うこともない。むしろ、よかったとホッとする気持ちの方が大きいかもしれない。砂橋の性格を考えると、小説のあら捜しをされて、根掘り葉掘り質問される可能性もある。それは俺の精神衛生上、よくない。それを回避できているのだから、よかったと思うべきか。


 ちなみに、砂橋の所属している探偵事務所で働いている笹川は俺の小説を読んでいるかもしれない。ずっと前、笹川が外出している時に砂橋に呼び出され、探偵事務所に行った時、笹川のデスクに俺の小説が置かれているのを見つけた。笹川は何も言ってこないが。


「ところで、砂橋。オペラ座の怪人は知ってるか?」

「名前しか知らないよ。いわゆる心を揺さぶる芸術とかは全く興味がなかったからね」


 砂橋は芸術にはあまり興味を示さない。美術展に誘われても興味ないの一言で断る。博物館や劇場などにも足を運ばない。もし行くとすれば、仕事や、今日のようにやむを得ない事情があった時ぐらいだろう。


「パリのオペラ座というオペラハウスでは何度か劇が披露されていたんだが、そのオペラ座には、オペラ座の怪人と呼ばれるものがいて、その怪人が起こす謎めいた事件が起こっていたという話だ」

「ふーん、事件?」

「縄で首を絞められて人が死んだり、オペラ座の天井からシャンデリアが落ちてきたり」


 砂橋はスマホを取り出して、指を動かしていた。きっとオペラ座の怪人について調べているのだろう。


「オペラ座の怪人ファントムは生まれつき醜い容姿を持っていて、それを仮面で隠しているんだが、それを醜いと言っていた大道具係を殺したり、自分が入れ替わるために役者を殺したり、自分の好きなヒロインに主人公をさせるためにヒロイン役だった女性の上にシャンデリアを落としたり……」


「これ、結局ミステリーなの?ファンタジーなの?」


 説明をぶった切るような砂橋の質問だが、質問の意図は分かる。


 ファントムの起こした事件は、現実で可能なのか、それとも怪人らしく人智の及ばない力によってなされたのか。


「……どうだろうな。昔劇を観たことがあるが、昔はファントムが怪人だからできることだと思っていた。しかし、今思いかえすと首を吊らせるのも、殺して入れ替わるのも、シャンデリアを落とすのも、全て人間には可能かもしれない」


 なるほど~、と砂橋はスマホの電源を切った。

 リハーサルとはいえ、役者の演技中にスマホを鳴らすわけにはいかないだろう。俺もコートのポケットからスマホを取り出して、電源を切った。


「結局、そのファントムは何をしたかったの?」

「気に入ったコーラスガールを自分のものにしたかったらしい。結局、自分にキスをしてくれた彼女の行動に心を動かされ、彼女を開放したが……」


 砂橋は「へぇ~」と声を漏らして、パイプ椅子に背を預けて、少しだけ沈んだ。足を前へと投げ出して、コートのポケットに手を突っ込んだままマフラーに鼻まで埋める。


 先ほどは入口が開いていたが、リハーサルのため、扉は閉められるだろう。そうなれば、この寒さもどこかへ行ってしまって、マフラーもコートもとるはめになる。俺はコートを脱いで自分の座っているパイプ椅子の背にかけておいた。


「キス一つで殺人をやめられるなんて、ずいぶんかわいいもんだね」

「……創作物に難癖をつけてもしょうがないだろう」


 砂橋は肩を竦めた。


 キス一つで今までの自分を形作っていた殺意が消え去ってしまうのであれば、そもそも殺人など犯していない。そう言いたいんだろう。その気持ちは分からないでもない。しかし、現実と創作は似ていて、違うものだろう。


「オペラ座の怪人なら有名な劇団が公演してるぞ。実際にシャンデリアが観客席の上にあって、それが落ちてくるらしい」

「アトラクションじゃん」


 砂橋は芸術には興味があまりないが、遊園地の絶叫系のアトラクションなどには興味を示す。遊園地の中にある霧が出たり椅子が動いたりする4Dと呼ばれる映画なども楽しんで見ているため、オペラ座の怪人も楽しめるだろう。


「もし、興味があるなら春に公演が開始されるぞ。面倒ならチケットもとるが……」


 砂橋がいきなりマフラーの奥でくぐもった笑い声をあげた。隣にいる俺の顔を見た砂橋は狐のように目を細める。


「そんなに演劇に興味を持ってほしいの?必死だなぁ」

「……」

「そんなことをしなくても君が所属していた演劇サークルは嫌いだよ。他の演劇が全部嫌いなわけじゃないけど」


 俺は思わず砂橋から目を逸らして、まだ誰もいない舞台へと視線を向けた。その様子がさらに面白かったのか、マフラーの奥からさらに笑い声が漏れる。


「弾正が誘ってくれるんだったら行くよ。落ちてくるシャンデリアには興味あるからね」


 さすがにチケット代くらいは砂橋も自分で出すだろう。前に探偵の仕事でアイドルのライブに行った時、俺は自分の分のチケット代を出したのだから。



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