遺産相続パニック【25】
名前の欄には「月影賢吾」と書かれていた。他の書類も確認する。保険金の受取に関する書類。
「……なるほど」
砂橋はそう呟いて、書類をひとまとめにして、俺に押し付けてきた。顔をあげると小春と視線が合う。
「賢吾兄さんは、もう死んでたの……?」
書面を確かに見たはずの彼女は困惑の言葉を述べる。どこかで生きているだろうと思っていた憎たらしい親族が実は死んでいたと気づかされたのだ。そう簡単に受け入れられるものではないだろう。しかし、目を逸らしてはいけない。
俺は頷いた。
「そ、そんな……っ」
小春が畳に膝をついた。
「すいません。遺言状を読ませていただきます」
これではいつ言うタイミングが来るか分からないと判断した金山が口を開く。その場にいた全員の視線が金山の方へと向く。
「遺産は四兄弟で四等分にする。賢吾の分の遺産は、その娘である雛子に相続することとなる。家は今までずっと守ってきてくれた坂口さんに相続してもらう。もし我儘を汲んでくれると言うならば、雛子の面倒をみてほしい」
坂口が涙を堪えながら雛子を抱きしめた。彼女たちはきっとこのままここで暮らしていくのだろう。
「雛子が、賢吾兄さんの子供……」
大輔がわなわなと握りしめた拳を震わせながら呟いた。
「だったら、なんで俺たちに言ってくれなかったんだ!言ってくれたら、隠し子だなんて……っ!」
「恥ずかしかったんじゃなかったんですか?」
俺は手元の書類を見ながら口を開いた。
砂橋が事実を突きつけるだけで憶測を語らないというのであれば、想像して語るのは小説家である俺の役目ではないのだろうか。
「自分で勘当した、しかも金を持ち逃げした長男の子を引き取るなどと言ったら反対されるかもしれない。それに勘当して連絡も取らなかった間に、息子がどこかで作った妻とともに死んでしまった」
俺は書類を捲って、目的の紙を一番上へと持ってきた。
「しかも、死亡保険の保険金の受取人は朗氏さんになっている。勘当した息子の保険金を受け取ったとなったら、なかなか言えないんじゃないんですか?」
大人になって言えないことが増える。昔は口をついて言ってしまっていた言葉や、自分の非を認める言葉、感謝の言葉。複雑な感情が積もって告白できなくなってしまい、自分がいなくなった後に告白して後の事を託す。
できれば、生きている間に話して解決できれば、と思っていたことだろう。もし、それができなくても遺言で胸の内に秘めていたものを打ち明けることができる。
「……親父。兄貴……」
「ねぇ、坂口さん……雛子ちゃんとこの家のことなんだけど」
伊予が雛子を抱きしめていた坂口に話しかけると、坂口は落ち着いたのか立ち上がって「はい」と返事した。
「これからもここで暮らしていく?それなら、私、少ないかと思うけど援助するわ……」
「……暮らしていけたら、と思ってます。せめて、雛子ちゃんが成人するまで」
坂口がぎゅっと雛子の手を握ると雛子が彼女の手を握り返した。雛子は少しだけ状況を理解してるかもしれない。
「ヒナ、まだここにいていいの?」
「いていいよ。ずっとここにいていいんだよ」
不安そうに伊予に問いかける雛子に、伊予がかがんで雛子に視線を合わせた。
「ここは貴方の家なんだから」
雛子の瞳が濡れ、涙が零れ始めた。嗚咽を漏らす彼女の背を坂口が撫でて、伊予が落ち着くように頭を撫でた。小春もポケットから飴を取り出して「大丈夫だよ」と雛子の手に飴を握らせた。
「遺産についての確認ですが、大輔さんも異議はないですか?」
「……ない。親父が決めたことだ。親父は俺に稼業を残した。遺産がもらえなくても、四等分だとしても、俺は店を守れればいい」
雛子を慰めもしなければ、今までの態度を謝る訳でもないが、大輔はこの場に水を差すわけでもなかった。
砂橋はその様子を見ずに、ぽっかりと隙間が空いてしまっている金庫の中をじっと見ていた。
「……砂橋」
「それじゃあ、僕らはもう用が済んだし、帰ろっか」
「ああ」
砂橋が帰ろうとすると、伊予が「待ってください」と砂橋の手を掴んで引き留めた。
「ありがとう……。貴方が気づいてくれなかったら、大切なことに気づけなかったわ。また後日、お礼をさせてくれないかしら?」
「もう依頼の料金は朗氏さんからいただいてますから、お礼は大丈夫です」
砂橋が首を横に振った。そんな砂橋の袖がくいくいと引っ張られる。
「すなちゃん、またヒナと遊んでくれるよね?」
「……機会があれば」
砂橋が絞り出した言葉に雛子はぱぁと花を咲かせたように笑顔になった。それを見て、小春と坂口が「よかったねぇ」と笑顔になっていた。伊予はもう一度頭を下げる。
「とりあえず、本日はありがとうございました」
「こちらこそお邪魔しました。これで失礼させていただきます」
「俺も失礼します」
砂橋がさっさと居間を出て行ってしまったのを見て、俺も慌てて伊予に頭を下げる。
「あ、これ、お借りしました。書斎にあったものです。お返しします」
俺は片方のポケットに入れていた朗氏のスケジュール帳を伊予に手渡して、砂橋の後を追った。




