遺産相続パニック【1】
砂橋が所属している探偵事務所セレストから車で一時間半もすると、右も左も山で溢れるようになっていた。
「月影朗氏との面識は?」
「それがまーったくないんだよねぇ」
運転席に座っている砂橋は軽く笑うと、車内に響いていた最新のJPOPを止めた。
月影朗氏は呉服店月見屋を代々経営していた男性だ。依頼は彼の訃報と共に探偵事務所に届いたようだ。俺の手元には車に乗り込んだ時に砂橋から手渡された月影朗氏が懇意にしていた弁護士からの手紙があった。
それは月影朗氏からの依頼だった。
しかし、気がかりなことがある。
探偵事務所セレストは紹介制だ。誰からの紹介か分からなければ依頼を引き受けないこともある。いったい、月影朗氏は誰から探偵事務所のことを聞いたのか。
「でも、ちょっと異質な依頼だよね。自分が死んでからの依頼だなんて」
「……それこそ、ここに書かれている人物が気がかりだったんだろう」
依頼内容は「月影朗氏が亡くなった後、遺産相続の話し合いの場にて月影雛子を手助けしてほしい」というものだった。
「でも、手助けって曖昧だよねぇ」
「ボディーガードをしてほしい、か?」
「まぁ、その場合のために弾正にも来てもらったんだけどさ」
納得はするが、果たして俺でいいのかと困惑する自分がいる。
砂橋の背は百六十ほどで俺よりも二十センチほど低く、細い手足をしている。決して人を守ることに向いていない。
だからといって、本業が小説家である俺も腕っぷしが強いわけではない。一抹の不安は残るが、殺人事件などの危険はそうそう起こらないだろうと信じて、封筒の中に手紙を戻した。




