インターミッション 戦場に駆り出されるエレオノーラ・エレヴァントゥス
エレオノーラ・エレヴァントゥスはレオンとラコからの総大将として出陣してほしいという要請を受けた時、いよいよこんなことまでやらされるのかと思った。
キンティー村という、かつてのミュー海神神殿の荘園だった土地の権利をクルトゥワ伯爵家が保障すると言ってくれたのはありがたいことだ。レオンとラコならどうせ居座っている領主も追い出すだろうから荘園が復活すると思っていた。
だが……総大将をやってくれと言われた時はさすがにひっくり返りそうになった。
「わ、私は戦争で戦った経験など人生で一度もありませんよ……? それができないから神官長という立場をやってるわけで……」
「大丈夫です。こっちから仕掛けなければ敵から攻めてくることはありません。ひたすら『クルトゥワ伯爵家の裁定に従って行動している。立ち退きを要求する』と言いまくってください」
海神神殿にやってきたレオンはそう言ってきた。立ち退きを要求してるうちは攻めてくるつもりはないのだと敵も思うから大丈夫ということだった。
「だからといって、相手は武器を持って何百人も集まっているんでしょう? 戦争にはなりそうなものじゃありませんか?」
エレオノーラも食い下がった。命にかかわることだから妥協できない。
ラコが慈母のような顔を作って、こう言った。
「お気持ちはわかります。では『自分に弓を引くことはミュー海神を侮辱することでもある、神罰がくだるだろう』という言葉も加えてください。大丈夫です。敵はまともな総大将もいない、大義もない。自分たちからは攻められません」
「それは敵が交渉できるほど考えている場合でしょう? 突発的な争いになることだってあるでしょうに……」
「だったら話し相手をおつけしましょう」
「話し相手?」
「そうです」
結局言いくるめられて、エレオノーラはずいぶんと派手な馬車に乗って、戦場にやってきた。重い鎧は着たくなかったし、おそらく弓矢が飛んでくることもなさそうだが、怖いことには変わりはない。
しかも敵兵のほうが少し数が多いというし。裁許状がこちらにはあるんじゃないのか。
それと、馬車の隣にはレオンの妻ということになっているフィリ・ワキンが座っていた。肝が据わっているというより、単純につまらなそうだった。
「あなたまでいらっしゃらなくてもよかったんですよ。あなたも兵士ではないでしょう?」
「私はワキン家当主の立場ではありますので。なので、領主として振る舞うことはおかしくありません」
フィリは自分から全然しゃべらないので話し相手としては中途半端な人選だった。むしろエレオノーラはこちらにも気を遣っていた。
「それに、夫がもっと危険な場所に行っているわけですから、これぐらいなら」
夫と聞いて、エレオノーラはびっくりした。
「あの、そんなに仲がよくなったんですか? いえ、仲がいいに越したことはないですが」
「恋愛感情はありませんよ。同衾したこともないです。ただ、夫の能力に関しては信頼しています。安全と言うからにはそうなのでしょう」
エレオノーラはそういうものなのかと思って聞いていた。のろけているのとも違うようだし。かといって同僚に対する評価とも違う。
「敵も自分たちから仕掛ければクルトゥワ伯爵に刃向かったという事実が濃くなります。それは避けたいでしょうから、こちらから動かない限り安全というのはわからなくもありません」
「ですが、こちらから動かなかったらどうやって勝つんですか?」
これは戦だ。両軍合わせれば1000人近くが対峙している。一つの郡の中の争いとしてはかなりの規模である。自分が無事なのは一番だが、何も起きないというのはそれはそれでいいのだろうか。
「詳しいことは聞いていませんが、夫がどうにかするでしょう。性悪の軍師もいますし」
「性悪の軍師というのはラコさんのことですか?」
「あの女は底が知れませんよ。夫だけは立てているようですが、野に放ってはいけない存在です」
「そうですね。というか、あの二人はどういう関係なのか、本当に謎です」
「ところで、神官長、ちょっとお話があるのですが」
「はい、いったい何でしょう?」
戦争の話からだんだん遠くへ行っているなとエレオノーラは思った。
「ナディアさんという方が有力な将としていらしゃいますよね」
「はい、あの方はレオンさんの家臣なので、私は直接把握してませんが、わかりますよ」
「あの方と夫の婚姻、取り持っていただけませんか?」
「は、はぁっ? それは……ナディアさんを第二夫人にするということですか?」
フィリの意図が読めずにエレオノーラは困惑した。
いや、強引に解釈することはできるが、どうしても下世話な理由になるので、口に出しづらい。たとえば夫に言い寄られて鬱陶しいので、ほかの女性と結婚させてしまうとか。
フィリとレオンの婚約は徹底して政略結婚だったので、妻という立場だけ持っていればいいという発想はわかるのだ。
しかし、それにしても、レオンの重臣に当たる人間を選ぶのはどういうことだろう。ナディアが海神神殿領を不法に占拠していたことを知っていて、嫌がらせの手伝いでもしてやろうということか? 別に今のエレオノーラにナディアに対する恨みはない。
「ナディアさんははっきりと夫に恋愛感情を持っていますから。これは想像ではなく、事実です。神官長の立場で切り出せば、夫も断りづらいでしょう。あの軍師が意味のない結婚など認めないと言うかもしれませんが、同じ郡で釣り合う領主などいなくなりそうですし」
「考えてはおきましょう。まずはこの戦いに勝たねば何もはじまりませんし」
「そうですね」
昼になっても動きはなかった。ひたすら、兵士たちが自分たちの正当性を訴えるという妙な事態も収まりつつあった。
そんな中、敵の陣のほうで動きがあった。
明らかに何かばたついている。ついに一部の兵士たちが撤退を始めたようだった。
兵士がエレオノーラのところに来て、進軍を命じてくれと言いに来た。
「そ、そうですね。ここで攻めないのはもったいないですね。と、突撃してください!」
そのエレオノーラの命令で敵の崩壊はさらに加速した。
よくわからないが、自分たちが勝っているらしい。
そして、使いが戦況を伝えにやってきた。
「レオン・エレヴァントゥス様の軍が加勢にやってまいります。敵の本隊を攻撃する手筈です」
「は、はあ……。それは朗報ですが、あの人たちは何をしてたんですか」
エレオノーラがよくわからないまま、敵軍は挟撃されて、ちりぢりになっていった。
500人はいた敵兵は雲散霧消していた。




