56 とある中年男性の初恋
桐谷の一件も落ち着き、これで大きな悩み事はなくなったと安堵していた小鳥だったが、また新たな出来事が起こった。
それは日曜日の昼、お助け屋の仕事を終えた小鳥たちが『あやかし』で一服している時だった。
「最悪にゃん」
「ピー!」
送り犬のぽちが扉に向かって唸り、猫又のたまが呟いた瞬間、小鬼たちも注意喚起をするように小鳥たちの周りを飛び跳ね始めた。
(どうしたんだろう)
小鳥が出入り口の扉に目を向けると、勢いよく扉が開いた。
「どういうことだよ!? なんで家を出ていったんだ!」
中に入ってきたのはオーナーの息子の誠だった。3日前からオーナーは龍騎に紹介してもらった、1LDKでオートロックのマンションに移り住んでいた。
オーナーは怒鳴り込んできた息子を見て小さく息を吐く。
「お前が家を出ていかないから、私が出ていっただけだよ」
「ふざけんなよ! 親父が出ていったら、僕の食事はどうなるんだ!?」
「自分で作れば良いでしょう」
呆れた顔で龍騎が答えると、誠は唾を撒き散らしながら文句を言う。
「どうして僕が作らないといけないんだよ!」
「大の大人が何でもかんでも親に頼るほうが間違っているんですよ」
「う、うるさいな! あんたと話してるんじゃない!」
都合が悪いからか、誠は龍騎からオーナーに視線を移して訴える。
「頼むから帰ってきてくれよ。親父がいないと色々と不便なんだよ」
「私はお前の家政夫じゃないんだ。もうお前も良い年なのだから、自分のことは自分でやれるようになりなさい」
「やり方を知らないんだよ! 甘やかしたのはあんたじゃないか!」
(この人、息子だからって親に何を言っても良いとでも思ってるのかな)
「スマートフォンはお持ちですか?」
小鳥が誠に話しかけると、彼は不機嫌そうな顔で頷く。
「持ってるに決まってるだろ」
「では、スマートフォンで調べたら良いんじゃないでしょうか」
小鳥が笑顔で言うと、隣に座る龍騎は彼女を見て穏やかな笑みを浮かべた。
「な、なんでお前にそんなことを言われないといけないんだよ! 大体お前が!」
「ぎゃーぎゃーうるさいわね」
誠の言葉を遮ったのは、彼に背中を向けていたいきしだった。いきしはテーブルに頬杖をついて続ける。
「迷惑行為をするってんなら警察呼ぶわよ」
「なんだよ! 関係のないババアは黙っとけ!」
誠は和服姿のいきしのことを勝手に老人と判断したらしい。
「ババアは間違ってないけど、なんか腹が立つわね」
そう言っていきしは立ち上がると、誠と対峙する。
「後ろでぎゃーぎゃー喚かれて黙っていられるわけないでしょ。あたしはこの店の客なの。ゆっくりしている所に迷惑な奴が来たんだから文句を言うくらい良いでしょう」
(オーナーがいきしさんからお金を受け取っているところを見たことはないけど、きっと龍騎さんが払ってるんだろうなぁ)
いきし相手に誠が勝てるわけがないため、小鳥は呑気に二人のやり取りを見守るつもりだった。だが、予想外の出来事が起こる。
「な、な、何なんだ、あんた」
「この店の客でオーナーの友人だけど?」
「お、親父の友人!?」
いきしを見た誠の顔がみるみるうちに赤くなっていく。
(まさか……)
小鳥が龍騎を見ると、彼は目を合わせて頷く。
「いきしは外見だけはいいからな」
「中身だって良い人ですよ」
小声で会話していると、誠が突然大声を出す。
「わ、わかった! きょ、今日のところはこれで勘弁してやるが、あんた、次はいつ来るんだ!?」
「気が向いた時に来るわよ」
「お、お、覚えてろよ!」
誠はいきしにそう叫ぶと、顔を真っ赤にしたまま店を出ていった。
「気が向いた時に来るって言ってんのに、覚えてろってどういうこと? それに覚えてろと言われると忘れたくなるんだけど」
大きなため息を吐いて椅子に座るいきしに、龍騎が話しかける。
「お前、気づいてるのか?」
「何をよ」
「彼はお前に一目ぼれした可能性があるぞ」
「はあ?」
いきしは心底嫌そうな顔をして聞き返した。




