“番犬騎士”と“身代わり姫”の真実
シルビオに連れられてやってきたのは、小ぢんまりとした建物だった。
侯爵邸とは似つかわしくないものだったが、ビアンカにとっては自分が慣れ親しんだ離れよりも温かみのある場所だった。
「あのっ!」
困惑しているビアンカを家の中に連れていくシルビオに声をあげるが、聞く耳を持たずにどんどんと奥に入っていく。彼女は引っ張られている腕が痛いと抗議したかったが、今の彼はなにか怒っているようで声をかけるのをためらってしまった。
「こういうところがお好きですよね?」
彼に連れられてきたのは、二階の一室だった。
アイボリーのソファに座らされたビアンカの目に飛びこんできたのは、澄んだ青空と地上に見える見事な庭園だった。
「ええ、好きですわ。侯爵家と同じぐらい素敵な場所があるなんて、思ってもいなかったわ」
必死にカサンドラを演じるビアンカに対し、シルビオはやめろと唸り、彼女の隣に座って彼女の頬を優しく包みこむ。
「あなたはカサンドラ・ベルフィナーではなく、ビアンカ・ベルフィナーですよね?」
瞳の奥をじっと覗きこみながら言われたことに咄嗟に反応できなかったビアンカ。それをいいことにシルビオは彼女をしっかりと抱く。彼が触れている部分から今まで感じたことがない熱が伝わってくる。
「なんで、それを……――?」
「あの女とはまったくあなたを間違うことなんてありえません。覚えていらっしゃらないと思いますが、あなたが三歳のころに一度会っています」
「え?」
「そのときのあなたは蝶のように無邪気でした」
そんな記憶などあるはずない……とは思ったが、彼女はまだ本邸にいたころの記憶を探る。
そのころはまだ母親が生きていて、表面上はカサンドラと同じ扱いをされていた。それでも居心地は悪く、外で遊んでいるほうが心地よかった。もちろんそれはそれで『侯爵令嬢らしくない』とフランチェスカとかそれに近い侍女長から言われたけど、表面上からしか同じ扱いをされなかったので、ここぞといわんばかりに人目を盗んでは庭いじりをしていた。
ある日、どういった関係だったのかは知らないが、大柄な男の人に連れられた男の子がいた。
少年は子犬のように男性の周りをうろついていたけれども、大事な話し合いがあるからと部屋の外に放りだされてしまったのをビアンカは目撃してしまう。身なりのよさから、自分とは不釣り合いな子だと思った彼女は話しかけることもせずに遊び場所に戻ったけれど、少年は彼女を追いかけて来た。
『この花はきっと君に魅了されてるね』
少年はフワッとした薄茶色の髪を揺らしながら微笑んで、ビアンカの髪を掬う。その手は
『私もこの花たちと同じようにあなたをずっと愛でていたいです。そのためだったらどんなことだってします』
初対面の彼にそんなことを言われた当時の彼女は、ただの変なやつだと思ったのだろう。名乗られただろうその少年の名前なんて一切覚えていなかったが、不思議と彼の存在は忘れることはできなかった。なぜなら、一応侯爵令嬢として表面上は優しくしてくれる侯爵家の面々だが、彼は純粋に彼女のことを好きだと言ってくれたから。
「当然ですが、そのころは子供だった私の言葉なんてただの戯言にしかとられませんでした。だから、そのあと必死に騎士として必要ではない高度な教養も身につけ、あなたのそばに立てるように努力いたしました」
シルビオは菫色の瞳でビアンカをじっと見つめる。
「ようやく昇進して、あなたに釣りあうようになったと思ったのに、いざベルフィナー侯爵家の娘の話を聞くと、高慢ちきな娘の話ばかり。正直、あなたがそんな方だとは露にも思いませんでした。とはいえ、かの侯爵家には“カサンドラ・ベルフィナー”しか娘はいないというから、自分が見たのはただの幻だと思って仕方がないと諦めていたのですが、先ほど、あなたが出てきたときには運命だとさえ思ってしまいましたよ」
まさかそこまでして彼に探されていると思わなかったビアンカはため息をつく。もうこれ以上、自分を偽ることをできないと悟った彼女は反対にありのままの彼女を出して、彼に幻滅されればいいのではないかと思った。
「そうですね。ちょうどあのころを境に私の生活環境は大きく変わりました。母が亡くなり、離れに追いやられ。この屋敷についてきた二人、イザベラとレベッカに育てられました。イザベラは母の従姉なので、私の教育係としてある程度の礼節を教えてくれましたが、レベッカは下町出身です。あなたが見たという蝶のような私なんて、どこいったのやらわかりませんよ」
「だから、なんだっていうんですか?」
「はい?」
先ほどまでの“カサンドラ・ベルフィナー”としての口調をやめたビアンカ。
子どものころに見た自分とはまったく違うのだとシルビオに現実を突きつけたのだが、彼は気にするどころか、そんなこと関係ないと言いきった。
「私だって、ただ腕っぷしが良かったから後見人である宰相閣下に拾われただけの孤児です。あなたがどんな口調だろうが、街の女性のような姿をしていようが、私の気持ちには関係ありませんから。そのままのあなたが好きなんです」
そううっとりと言って彼女の手の甲に口づけをするシルビオに、ビアンカは白旗を上げた。もうこの人にはかなわない。自分が修道院に駆けこむとか言いだしたその日には、絶対に監禁されるだろうなと内心、身震いした。
「……わかりました。でも、ひとつだけお聞かせ願えますか?」
「なんでしょうか」
その代わりというわけではないが、彼の“真実”も聞いてみるべきだと思ったビアンカは、あのことを尋ねた。
「お付き合いされていた女性を次々と十五人も殺したというのは本当ですか?」
「いいえ、それは違いますよ」
彼の異名がつく由来となった噂をぶつけてみると、笑顔で否定された。
じゃあ、その噂はどこから来たのだろうと尋ねようとすると、先にシルビオの方から説明された。
「ま、十五人の女性を殺したというのは間違ってはいないかもしれませんね。社会的に殺したのは間違っていないので。それに『付き合っていた』というのも私が付き合っていたわけではないので」
「ということは?」
「ざっくり言わせてもらうと、スキャンダルですよね。『屠った対象は王太子殿下にふさわしくない女性』と言えばわかるでしょうか」
「はぁ」
なるほど、とビアンカは納得した。
ということはおそらく本来の“カサンドラ・ベルフィナー侯爵令嬢”もその対象であったのだ。しかし、毒牙にかけなかったのは、ただ彼が彼女が自分であると勘違いしていたからに過ぎない。
「今後は“カサンドラ・ベルフィナー侯爵令嬢”も対象に入れさせていただきます」
案の定、にこやかに言いきるシルビオ。
とはいえ、べつの問題……というか、下された王命はどうするのか思ったのだが、こちらもきっぱりと言いきられてしまった。
「“王命”なんてどうにでもなるんですよ?」
その言葉は間違いではなかった。
『シルビオ・リスジアーノとマルフィナー公爵令嬢ビアンカの婚約を発表する』
三ヶ月後、突然発表された内容に社交界は前の婚約はどうなったのかと騒然となった。
しかし、すでに張本人であるベルフィナー侯爵家の姿は社交界にはなく、“番犬騎士”にも王太子の母親の実家であるマルフィナー公爵家にも直接聞く勇気がなかった貴族たちは、新しい婚約を黙認する形になってしまった。
「これでようやく、なんの憂いもなくあなたを手に入れることができました」
夜遅く、先に寝入ってしまった妻の顔を見ながら、そううっとりと呟くシルビオの声はだれにも届かなかった。





