身代わりの婚約
豪華なシャンデリアに照らされた部屋の中には身なりのいい家族三人が食事をしていた。
しかし、三人の間にある雰囲気は非常に悪い。それは、先ほど上座に座った壮年の男性の言葉によるものだった。
男性の左手に座っている女性によく似た少女が男性をキッとにらみながら、口を開いた。
「ねぇ、お父様、私の婚約者はもっといい人にしてくださらない? あの“番犬騎士”なんてごめんですわ」
その言葉にうなずく金髪の女性。
食事中にもかかわらず、髪の毛をいじりながら娘に同意する。
「カサンドラにはふさわしくございませんわね。そもそも“番犬”は平民上がりなんでしょ? この家にはふさわしくないですわ」
まるで下等生物を見るような顔つきで蔑む女性、フランチェスカ。
先ほど彼女の娘、カサンドラに告げられたのは“番犬騎士”と呼ばれる男との結婚だった。
深紅の髪を持つ“彼”は、平民の出身ながら剣術や槍術、その他の武芸において今代最高の騎士でらしいが、黒い噂も絶えない。例えば『とある高官に濡れ衣を着せて左遷させた』とか、『付き合っていた女性を十五人殺した』とかというものだ。しかも、直属の主である王太子の命令以外は聞かないことから、“番犬”と揶揄されている。
「しかし、王命だから断れないんだよ。フランチェスカだって、カサンドラだってそれぐらいはわかるだろう?」
妻と娘、二人から反論されて困ったように頭をかきながら言うこの家の主、マルティン・マロンスヴ侯爵。父親の言葉にそうですけれどと言いながら目の前に置かれたパイを切り分けて口に運ぶカサンドラ。
彼女は仮にも侯爵令嬢。王命に逆らったらどのような仕打ちが待っているのか、聞いたことがないわけではない。しかし、咀嚼しながらある考えに至った。テーブルナプキンで口元を拭った後、いいことを思いつきましたわと目を輝かせて言う。その提案に母親も父親もなるほどと頷く。
「こうすれば問題ないのではなくて?」
その瞳には純粋に子どもが仕掛けを作って遊ぶときのような輝きしかなかった。
同じころ、明かりがほとんどない暗い部屋の中。
粗末な料理をおいしそうにほおばる女主人に、褐色の髪の女性が申し訳なさそうに水を注ぐ。幼いときから彼女を見ているため、その姿が余計に痛々しさを感じたのだ。
「相変わらずこんな食事しかお出しできなくて申し訳ありません」
「ううん。イザベラの気持ちがこもった料理だからなんでもおいしいわ。むしろその能力を隠さなければならないことが悲しいわね」
褐色の髪の女性、イザベラは女主人であるビアンカにそう本心から言われていることを知っており、より一層誠心誠意を込めて尽くしていた。
「そう言っていただけて光栄です。しかし、お嬢様をこんなところに閉じこめておくなんて、正気の沙汰ではございません」
その申し訳なさはすべてあの男のせいだと明かりが煌々とついている建物を見ながらため息をつく。
そんなイザベラに仕方がないじゃないのと、ビアンカはからりと笑う。
「むしろお母さまが亡くなったとき、この家を追いだされなかっただけ、まだマシよ。きっと政略結婚の手駒にされて、ハゲ親父とか丸々と肥えた成金野郎に嫁がされるか、修道院にぶちこまれるんでしょうね」
ビアンカもマルティン・マロンスヴ侯爵の娘であるが、妻であるフランチェスカの娘ではなく、侍女だったヨハンナの娘である。彼女はビアンカが三歳のときに肺病にかかってあっけなく死んでしまい、この薄暗い離れに追いやられたのだ。自分の境遇を知っていた彼女はそこで嘆くこともせず、むしろそういうものだと割りきっている節がある。そのため、一つ下ではあるが、フランチェスカの娘であるカサンドラと同じ待遇での結婚に憧れていない。
「お嬢様、今は私とレベッカしかおりませんから構いませんが、もう少し言葉遣いなんとかなりませんでしょうか」
イザベラはコホンと咳ばらいをしながら窘めるが、ビアンカはあら、なにか言ってしまったかしら?と反対側にいたレベッカに問いかけるが、首を横に振られたの見て、なら、よかったわとニッコリする。
侯爵令嬢にあるまじき言葉の悪さは、下町育ちのレベッカによる教育の賜物だった。
食後の紅茶を飲んでいたビアンカだったが、屋敷へと続く扉がノック音を聞いてため息をつく。
「だれかしら、こんな時間に。ヒトの家を訪ねるときは時間を守りましょうとか、習わなかったのかしら?」
有能な側仕え二人はビアンカをせかし、髪をぼさぼさに、着ていたワンピースもしわくちゃにした。もしここでビアンカがピンピンしているようだったら、きっとイザベラもレベッカも咎められてしまう。そう思ったビアンカの処世術だった。
案の定、やってきたのは屋敷をまとめる侍女長だった。屋敷にいる人間はだれもビアンカのことを侯爵令嬢とは扱わないが、今日に限って一礼してから喋り始めた。
「旦那様から、明日の朝二刻にきちんとしたドレスを着て伺うようにと命令がございました」
その伝言に表面上はしおらしく、かすれた声で承知いたしましたと頭を下げる。侍女長がビアンカの様子に満悦したらしく、さっさと離れから出ていった。
「ふぅん、私にまともなドレスが与えられてないことをわかって、言っているわよね、あれ」
客人が出ていった後、先ほどぼさぼさにした髪を梳きながら、ビアンカはボロカスに言う。
イザベラもレベッカも激しく同意する。
「ええ、そうでしょうね。どうされます?」
「どうするもクソもないわよね。仕方がないわね、あれを出してちょうだい」
「承知いたしました」
指示に従ったレベッカが背後の隠し引き出しから可愛らしいドレスを出してきた。それを見たイザベラはにんまりと笑う。
まさか本当にこんな日が来るとは思わなかったのだ。
『お嬢様が新品のドレスを持っていたら、どんな顔をされるでしょうね』
普段監視を付けられていないビアンカは基本的に外出が簡単にできる。だからときどき三人で街に繰りだし、彼女の今の体形に合うものを買っておいたのだ。
「ごきげんよう、お父様」
翌朝、言われた時間より少し早めに屋敷の居間に向かうと、すでに父親のマルティン、義母のフランチェスカ、そして異母妹のカサンドラの三人ともが揃っていた。しかし、ビアンカの方を見て全員、固まっている。
なぜなら昨晩、侍女長から『相変わらずロクな食事もとれず、血色が悪い』と報告されていた彼女がピンピンとした状態で、しかも自分たちが与えていないはずの可愛らしい、年相応なワンピースを着ていたから。
「ご用件とはなんでしょうか」
そんな三人の様子を傍目にビアンカはニコニコと質問する。そんな娘の様子にいささか引き気味のマルティンは、一拍置いてから告げた。
まだ侯爵としての立場が彼をきちんと当主としての役割を実行させた。
「ああ、この度、我が家にカサンドラの婚約という王命がくだされた」
父親の言葉に思わず素ではぁと呟いてしまったビアンカ。なにか私に関係あるのでしょうかと尋ね返すと、口を慎みなさい!とフランチェスカに一喝されてしまった。どうやら、このご婦人は私に一言たりとも喋ってほしくないようだと聞き流す。
マルティンは何事もなかったかのように、ビアンカのほうに身を乗りだす。
「その相手がどうしても嫌だって、どうしてもカサンドラが言ってな。それでお前に代わりに嫁いでほしいんだ」
「ちなみにお相手はどなたですか?」
言われた言葉に一瞬、ポカンとするビアンカ。
しかし、そもそも結婚には夢を持っていない彼女だからべつに結婚そのもの自体は問題なかったのだが、念のためその相手を聞いておくと、自分たちが予想していなかった娘の様子に拍子抜けしたマルティンはぼそりと呟いてしまう。
「“番犬騎士”と言えばわかるか?」
隣でなに喋っているの!とフランチェスカに叱責され、びくりと体を震わせる父親には当主の威厳もなにもなかった。
反対にビアンカは聞き逃さずにああ、あの人ですかと小さく頷き、ついでとばかりに式はいつになるんですかと再び質問してしまう。フランチェスカは娘の様子に堪らなかったらしく、あんたは黙ってなさい!と叱るが、とうとうマルティンがくたびれた様子でこれ以上、遮るんじゃないと言いきった。
「再来月だ。だが、先方からの要請で見合いの場を明後日に設けることになっている」
「ずいぶんせっかちな方ですのね。ですが、承知いたしました。カサンドラ・ベルフィナーとして嫁がせていただきますわ」
黒い噂が絶えない“番犬騎士”との結婚を嬉々として引き受けたビアンカ。彼女以外、その返事に唖然としていた。





