34.捕まってなんかあげない
「みんな、大丈夫!?」
教室の扉が開いて、人影が五つ駆け込んでくる。驚いたことにそれは、エマたち六年生の生徒だった。料理同好会の活動であちこち回っていたこともあって、みんな顔見知りだ。
「エマさん! どうしたんですか、こんなところに」
セティが廊下のほうに目をやりながら、小声で尋ねている。いつ騎士がやってきてしまってもいいように、機械弓をしっかりと握ったまま。
「六年生が手分けして、下級生を逃がしているところなの。さっきの魔導士長の声によれば、私たちこれから捕まってしまうみたいだし、その前に、って」
「まだ騎士たちの姿は見えてないから、今のうちに」
そんな六年生たちの言葉に、教室のみんなが戸惑う。この場を仕切るべき教師は、すっかりうろたえてしまって頼りにならなそうだった。
しかし私は、やけに落ち着いてしまっていた。考えてみたら、こんな状況は初めてではない。
前世で王宮が攻め落とされたあの時に比べれば、これくらいどうということはない。人質にされるかもしれないけれど、命を狙われている訳ではない。
しかも前世と違って、私には力がある。それに私は一人ではない。まだまだ希望はある。
張り切って、次々と魔法陣を描いていく。
あっという間に、芝生の上に大きな白い鳥が六羽ずらりと並んだ。ちょこんと座っていても見上げるほどに大きい、綺麗な鳥だ。
「わたしたち、こっちから逃げることにしたんです。……さすがに、学園の生徒全員を逃がすことはできないけど、二年生だけならわたしが何とかできますから。……エマさんたちも、一緒にどうですか?」
セティに目で合図をしながら、エマたちにそう呼びかける。彼女たちは大いに驚いたようで、あっけにとられた顔で大鳥の群れを見ていた。
「ねえジゼル、逃げるって……どこに? 私たちは、帝城を通り抜けて帝都に移動できれば、って思ってたのだけど」
「たぶん、それは難しいです。この人数の子供が帝城をぞろぞろ歩いていたら、とても目立ちます。それにもう、学園の玄関は封鎖されていると思うんです」
「それは、確かにそうかもしれないけど……」
そんなことを話している間に、二年生はほぼ全員が大鳥の背中に登っていた。ふわふわの長い羽毛をつかんで、互いに助け合って。
それでもエマたち六年生と教師は、まだ迷っているようだった。
召喚獣に乗って空を飛ぶということにためらいがあるのか、それとも立て続けに理解を超えることが起こり続けて、思考停止しているのか。
と、がしゃがしゃという音が遠くから聞こえ始めた。廊下を走っているらしいその足音は、間違いなく騎士のそれだ。
「早く!! こっちに!!」
女王だった時のことを思い出しながら、精いっぱい威厳をたたえて叫ぶ。
その声に背中を押されたように、教室の中でおろおろしていた六年生たちと教師が、全員窓に向かって走り出した。
順々に窓枠をくぐり、こちらにやってくる。あわてふためきながら、一人また一人と鳥に登っていく。
その時、とうとう騎士が教室の入り口に姿を現した。私たちが逃げようとしていることに気づいて、顔色を変えている。
どうにかして、あと少しだけ時間を稼がないと。でも私は、六羽の大鳥を統率するので手いっぱいだった。
こんなに大きな子を、こんなにたくさん呼んで、しかも統率の取れた動きをするよう頼むのって、初めてだし。
多少無理してでも、さらに召喚獣を呼ぶべきだろうか。飛べる子なら、置き去りにしてもあとから追いかけてこられるし。
でも、複数の騎士を軽くあしらうことができて、しかも飛べる子って、えっと、えっと、どの子にすればいいんだろう。
今までに呼んだことのある子たち、図鑑で見たことのある子たち、その姿を次々思い浮かべてはみるものの、一向に考えがまとまらない。
そうこうしているうちにも、騎士たちは殺気もあらわにこちらに近づいてくる。まずい、窓枠に手をかけた……!
ひゅん、という音に、びっくりして思考が止まる。騎士たちのすぐ横にある机に、矢が一本刺さっているのが見えた。
セティだ、と思った次の瞬間、いきなり矢が爆発したように見えた。ほんのりピンク色を帯びた煙がたちこめて、騎士たちをすっぽり包んでしまったのだ。
やがて中から、盛大なくしゃみが聞こえてくる。それも、いくつも。
さらに、そのピンクの煙が光り始めた。まばゆい光の球が、いくつも姿を現したのだ。かなりまぶしいらしく、騎士たちが騒ぎ始めた。
大鳥に乗り込んだ人たちも、今まさに乗り込もうとしていた人たちも、突然のことにぽかんとしている。
「みなさん、今のうちに急いでください!」
セティの声が響く。まるで水でも浴びせられたように、残りの人たちが大鳥に乗り込んでいった。
それを見届けて、私も大鳥によじ登る。大鳥の背からのぞき込むと、騎士たちはまだピンクの煙の中でもがいているようだった。
「なんだろう、あれ……おかげで助かったけれど」
「あれは、煙玉を矢に取り付けたものです。矢を放つ前に火をつけることで、命中してから爆発するんですよ。見ての通り、敵はくしゃみが止まらなくなります」
セティが声をひそめて、そう教えてくれた。ちょっぴり愉快そうだ。
「矢の研究開発の結果が、こんなに早く出るとは思いませんでした」
「あの光る球は、これ……」
アリアが見覚えのある箱を抱えて、口を挟んできた。
「それって、演劇同好会の操作盤?」
「うん。練習したくて借りてたの。なくしたら大変だから、リュックに詰めて持ってきた」
そう答える彼女は、いつになく得意げだ。
「ありがとう、セティ、アリア。わたし、すっかりあわてちゃってたから……助かったわ」
「助け合いは当然。逃げようって言ってくれたのはジゼル」
「あなたの騎士として、あなたの力になるのは当然です。でもちょっと……嬉しいです」
はにかむように笑っていたセティが、ふと目を見張る。
「……ところで、どうやら全員準備が整ったようですよ」
彼の言葉に、辺りを見渡す。みんな分かれて大鳥に乗り込み、落っこちないように自分の体に大鳥の飾り羽をくくりつけていた。
「それじゃあ、行きます! しっかりつかまっていてくださいね!」
私の号令と共に、座っていた大鳥たちが立ち上がり、翼を広げる。
大鳥が飛び立つ寸前、肩の上に乗っていたルルに声をかけた。
「ルル、パパとママに伝言お願いね。屋敷で会いましょう」
ルルは任せろ、とばかりに手を挙げると、するすると大鳥から降りてぽんと芝生の上に飛び降りた。そのまま、近くの植え込みの中に姿を消す。
大鳥たちは力強く羽ばたき、どんどん上へと舞い上がっていく。
見る見るうちに、地面が遠ざかっていった。騎士たちが何事か叫んでいるけれど、風の音で聞こえない。
学園の建物も、それを取り囲む高い塀も、どんどん小さくなっていく。古くて武骨な、がっしりとした帝城も、もう豆粒のようだ。
きっとカイウス様は、まだあそこにいる。戻りたい。戻って、彼を探したい。そんな思いを、そっと押し込める。
今は、みんなを無事に逃がすことが先だ。きっとカイウス様も、そうしろと言うだろう。弱い者を守ろうとする、あの人なら。
カイウス様。必ず、あなたを探しにきます。あなたの配下として、そして、あなたの友人として。
ちょっぴり泣きそうになって、あわてて目元を押さえようとする。けれど吹きつける風が、その涙をすぐにかき消してしまった。




