32.先輩の助言
「え、あの、前世の記憶って……?」
私とセティには前世の記憶があるはずだ。カイウス様のそんな指摘に驚きながら、あわてて首をかしげてみせる。
どうしよう。カイウス様は信用できるけど、でも。
「ああ、ごまかす必要はないぞ。俺は確信しているからな。お前たちがどこかの誰かの生まれ変わりで、しかも前世の記憶を持って生まれたのだと。俺と同じように」
まさにその通りなのだけれど、うなずく訳にはいかない。
私だけならまだしも、セティの秘密を勝手にばらすのは気が引ける。それも、彼のいないところでなんて。
必死に口をつぐんでいる私に、カイウス様は静かに話しかけてくる。
「お前と初めて会ったのは、三年前だったな。あの時、俺は大いに驚いていた。お前の召喚魔法の腕もそうだったが、それ以上に、その落ち着き払った態度に」
その言葉に、あの時のことを思い出す。初めて皇帝に謁見するという事態に緊張してはいたけれど、私はおそれたりおびえたりはしなかった。
元女王だった私は、かつて王宮で暮らしていた。規模は全然違うけれど、王宮も帝城も似たようなものだ。
それに実際に会った皇帝カイウス様は、信頼できる人物だと思えた。
「物事の分かっていない無邪気な子供ではないことは、すぐに分かった。お前はあの場が皇帝との謁見の場であると正しく理解した上で、それでも動じることなくふるまっていた」
今は青い目で、カイウス様がじっとこちらを見つめている。彼はにっと笑って、さらに言う。
「あれを見て、もしやと思った。この子も俺と同じように、前世の記憶を持っているのかもしれないと。年に似合わないその態度も、そう考えれば説明がつくと」
その時、ふと疑問が浮かんできた。ちょっとだけためらって、尋ねてみる。
「……カインさん。陛下がわたしに忠誠の首飾りを授けたのも、わたしがその……前世の記憶を持っているから、なんでしょうか」
「いいや。陛下は、お前自身のことが気に入った。それだけだよ」
しれっとそんなことを、しかし即座に答えるカイウス様。その言葉に、不思議なくらいにほっとしている自分がいた。
「それでだな。前世の記憶を持つ俺は、お前たちと過ごすうちにすぐ確信した。ああ、やっぱり同じだ、って。前世のことを覚えているのは、俺だけじゃなかったんだって」
カイウス様は、そう言って切なげに笑う。普段のカインさんの表情とも、皇帝としての表情ともまるで違うそんな顔に、目が離せない。
「とはいえ、同じなのはお前とセティの二人だけだな。アリアは優秀だが、あの子の心は年相応だ。抜群に、それはもう飛び抜けて頭がいいだけで」
「ですよね! 本当の天才はわたしじゃなくてアリアだと思うんです。なのにあの子、どうにも自信がなくって……」
彼もまたアリアのことを評価してくれていることが嬉しくて、ついついそんなことを口走ってしまった。
「何言ってるんだ。お前のその召喚魔法の素質、高い魔力、召喚獣との友好的な関係……十分に天才だよ、お前も」
苦笑しながら、カイウス様はそう主張した。けれどすぐに、その顔が引き締まる。
「それはともかく、先輩から一つ助言だ」
「助言、ですか?」
「ああ、そうだ。きっとお前たちも、前世に心残りがあるのだと思う。かつて成し遂げなかったことを、今度こそやりとげるのだと、そう意気込んでいるのかもしれないと思う」
ずばりと言い当てられて、何も言い返せない。私は前世で他人のために生きて、その他人に殺された。
だから今度は、自分のためだけに、好きに生きるのだと決めていた。
そしてセティは、女王エルフィーナを守れなかった後悔に突き動かされるように、ひたすらに強くなろうとしていた。
「そのくせ、前世にはとらわれたくないと反発してしまうのかもしれない。……俺も、そうだからな。今でも」
それもまた、当たっていた。私はセティに、前世にとらわれずに生きてほしいと願っていたのだから。
でも、カイウス様もそんな風に悩んでいたのか。生まれ変わってから十九年が経ち、前世の因縁にもけりをつけられた。それでもまだ、揺らいでいるのか。
驚きと共に、切なくなるような親近感が込み上げてくる。
「でもな、焦らなくていい。いつか、前世の記憶と今の自分との折り合いをつけることができると、俺はそう信じている。過去にとらわれず、過去を否定せず、きちんと今を生きることができると」
カイウス様の言葉は、驚くほど素直に心に響いた。信じることができた。
きっといつか、前世の自分と今の自分との間でふらふらと揺れる心が、きちんとどこかに落ち着くのだろうと、そう思えた。
今度は感動して何も言えなくなっている私に、カイウス様は照れ臭そうにつぶやく。
「……なんて、説教臭いことを言っちまったな。まあ、参考程度に受け取ってくれ」
「あの、カインさん。お願いがあるんですけど……」
両手をぎゅっとにぎり合わせて、頼み込む。一つ、思いついたことがあったのだ。
「今の話、セティに聞かせてもいいですか。きっと、彼の助けになると思うので……その、カインさんの前世の詳細は、伏せておきますから……」
「いや、全部話してくれて構わないぞ。むしろそのほうが、セティも考える材料ができていいだろう。……そういえばあいつ、ヤシュアを目にしてから様子がおかしくなったように見えたな」
あの時カイウス様は、皇帝として騎士たちに指示を出すのに忙しくしていたように見えた。けれどあの騒々しい中で、彼はちゃんとセティのことを見てくれていたのか。
軽い雰囲気の研究生のふりをしていても、やっぱりこの人は皇帝、この広大な帝国を治めている人物なのだ。それを、実感した。
「あいつに何があったか、俺は知らない。ただ俺は、あいつに元気になってほしいと思っている。あいつは、忠誠の首飾りにふさわしい能力と人格を持っている。あいつが認めなくても、俺は認めている」
そう言って、カイウス様はすがすがしい笑みを浮かべた。
「ついでに、あいつに伝えといてくれ。またみんなで、ジゼルの家で食事にしようぜ、ってな」
こくんとうなずきながら、自然と笑顔になっているのを感じた。もう大丈夫だと、根拠もなくそう思えた。
そうして次の日、私はまたセティのところを訪ねていった。
先日とは違って、セティは顔を見せてくれた。ちょっぴり痩せてはいたけれど、思ったより元気そうだった。
「……カインさんに、そんな事情があったんですか……」
以前に聞いたカイウス様の前世の話と、昨日聞いた続きの話、そして彼の持論。それを一気にセティに伝えた。
セティは神妙な顔でじっと耳を傾けていたが、やがてふうとため息をついた。
「ぼくも、いつまでもいじけていてはいけませんね。戻った記憶については、やはり受け入れがたいところがたくさんありますが……でも、いつかは乗り越えられる。そんな気がしました」
「うん。辛い時は支え合えばいいのよ。一人で閉じこもるんじゃなくて」
「……ぼく、あなたの騎士なのですが……」
「主が騎士を支えてはいけないって決まりはないわ」
そんなことを話していたら、扉がこんこんと叩かれた。それからそろそろと、イリアーネが顔を出す。
「あの、昼食を持ってきましたわ……」
セティが私にちらりと目配せして、イリアーネのところに歩いていく。
「ありがとう、イリアーネ。でも……今日は食堂で食べてみようかと思ったんです。よければ、きみも一緒にどうですか?」
その言葉に、イリアーネが真っ赤になる。ちょっぴり涙ぐみながら、はい、喜んでと言葉を返していた。
セティは、もう大丈夫だ。まだ戻っていない記憶もあるし、また思い悩むかもしれない。でも彼は、こうやって立ち上がれる人だ。カイウス様が見込んだように。
やっと、あのドラゴンの騒動が本当の意味で終わったような気がした。




