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23.それぞれの過去

 そうやってカイウス様、というかカインさんと親しくなってから、時々彼と一緒にあちこちをぶらつくようになっていた。でも。


「……やっぱり、変装したまま帝城の散歩なんて無理があります」


「そうでもないぞ? 今のところ、見つかってもいないしばれてもいない」


 今私たちは、なぜか帝城にいた。面白いところに連れていってやると言われて、ついていったらこうなった。


 柱の陰、カーテンの向こう側、階段の下。そんなところに身を隠しながら、こそこそと進んでいく。


 普段見られない帝城の中を見て回れるのは確かに面白いけれど、この進み方はどうかと思う。


「これって、ほぼかくれんぼですよね」


「そうだな。鬼は大臣とか上位の文官とか騎士とか、それにもちろん宰相と騎士団長と魔導士長。いやあ、鬼だらけのかくれんぼだな」


 その言葉に、つい魔導士長ゾルダーのきざったらしい顔を思い出した。彼に見つかってしまうのだけは嫌だなと、ふとそんなことを思う。


 ふうとため息をついた拍子に、足元が見えた。私の足が全部乗り切らないくらいに小さな足場と、ずっと下のほうにある地面。


 震えそうになるのをこらえて、隣のカイウス様に小声で苦情を言う。


「……窓枠の外、というか外壁に張りついて隠れるのは無理があります。そもそもここって、人間の立つ場所じゃありません」


「慣れだよ、慣れ。こういう豪華な建物は、外壁にもあれこれと装飾が多いからな。足場くらいいくらでも見つけられる」


 今も私たちは、帝城の外壁に施された彫刻、そのちょっとしたでっぱりの上に立っているのだった。


 窓枠をまたいで外に出て、そのまま彫刻をつかんで死角まで移動していくなんて、生まれて初めての体験だ。


 万が一に備えて鳥の召喚獣をすぐ近くに待機させてはいるけれど、中々に怖い。


「わたし、こういうの初めてなんですけど……」


「だから、お前にはより安全な場所を譲ってやったじゃないか。それに移動の仕方もちゃんと教えた。お前、かなり筋がいいぞ」


「……ええっと、ありがとうございます……?」


「それに、誰かと一緒に壁登りをするのは、本当に久しぶりなんだ。たったそれだけのことが、嬉しくてな」


 そう言ってカイウス様は、身を乗り出して上を向いた。


「あ、危ないです!」


「大丈夫だ。大きな声じゃ言えないが、前世ではもっとつるつるの壁を登ったこともあるぞ。これくらい軽い軽い」


 壁のでっぱりをつかみ直して、隣のカイウス様をじっと見る。彼の横顔には、とても懐かしそうな表情が浮かんでいた。


「……昔のこと、今でも気になりますか……?」


 ふと、そんな言葉が口をついて出た。どうしてだか分からないけれど。


「そうだな。今でも時々、夢に見るよ。貧しかったけど俺たちを愛してくれてた親父とお袋のこととか、俺になついてた弟たちとか、町で一緒に暮らした仲間たちのこととか……」


「懐かしい、ですか?」


「ああ。今とは比べ物にならないような暮らしだったが、それでもあの時間は、俺にとってかけがえのないものなんだ。今でも、な」


「……でも、今のあなたは、前のあなたとは違いますよね」


「どうだろう。見た目こそよく似ているが、名前も立場も、生まれた場所も日にちも全然違う。でもそのどちらも、俺だ。二つの人生の記憶を持っている、それが俺だ」


 次々と質問を繰り出す私に、カイウス様はためらうことなく答えをくれる。とても落ち着いていて迷いのないその言葉に、うらやましいと思ってしまった。


 さっきから、自分の気持ちがつかめない。私はどうしてこんなことを言うのだろう、どうしてこんなことを思うのだろう。私、何かちょっと変だ。


 ううん、それを言うなら、カイウス様に前世の話を聞いてから、ずっとこうなのかも。


 と、カイウス様が急に口をつぐんだ。気配を消して、廊下の様子をうかがっている。私も彼にならって、息をひそめた。


「……よし、巡回の騎士が通り過ぎた。これで中に戻れるな。あいつら、俺の正体に気づきかねないからな。まったく、面倒だ」


 騎士たちは、王や皇帝の剣であり盾だ。そんなこともあって、彼らは主君の顔を知っていることが多い。


 前世の私、女王エルフィーナも、王国の騎士団長ヤシュアとは割とよく顔を合わせていた。


 それだけではない。たった一人で必死に王国を立て直していた私にとって、ヤシュアは数少ない味方だったのだ。


 時折彼と他愛のない話をする、たったそれだけのことが、どれだけ私に力をくれたことか。


 もしかしたら将来、彼を王配、つまり私の配偶者にすることになるかもしれないなとも思っていた。彼に恋していた訳ではないけれど、彼は安らげる人だった。


 でもきっと、彼もあの王国と共にその生涯を終えたのだろう。ひょっとすると、セティはヤシュアの生まれ変わりなのかもしれない。どことなく面影もあるし。


 もしそうだったのだとしても、セティに忠誠を誓ってもらうつもりはない。私たちはもう自由なのだから。


 それでも、セティがヤシュアだったのなら嬉しいなと、そう思った。


 そんなことを考えながら、カイウス様の手を借りて窓枠をくぐり、廊下に立つ。


 私が黙り込んでしまったことにカイウス様は気づいていたようだけれど、彼は何も問いかけることなくただ微笑んでいるだけだった。




 そんなことがあってから数日後。私はセティとこっそり内緒話をしていた。他の人に見つからないよう、帝都の近くの草原で。


「ねえセティ、あなたの研究……まだ続けるの?」


 ためらいがちにそう切り出すと、彼はきっぱりとうなずいた。


「女性や子供でも取り回せる、小型な機械弓の開発には成功しました。でもそれだけじゃ駄目なんです」


「どうして?」


「……まだ、足りません。これなら、遠くの敵を攻撃することはできます。けれどたくさんの敵に囲まれてしまったらどうしようもありません。もっと威力と連射速度を上げないと……」


 セティは自分の小さな手を見つめて、独り言のようにつぶやいている。どことなくただならぬ様子の彼に、そっと声をかけた。


「でも、今のこの帝国はとても平和だし、そんな風に敵と戦うことなんて、まずないわ。研究も一段落ついたんだし、今度はもっと他の機械を研究してみるのはどう?」


「いいえ、エルフィーナ様」


 突然前世の名を、最近では半ば忘れかけていた名前を呼ばれ、反射的に立ちすくんでしまう。


「自分の非力さを嘆くのは、もう嫌だ……ぼくは、今度こそ守るんだ……」


 彼は私のほうを見ることなく、さらにつぶやいていた。どことなく、泣きそうな声で。


「……僕に力があれば、エルフィーナ様を逃がすことくらいはできたのかもしれない。そんな思いが、どうしても消えない……」


 不意に、セティの声音が大人びたものに変わった。七歳という年齢には、まるで似つかわしくないものに。


「この胸を今もなお焦がす思いが、ぼくを突き動かしているんです。どうかもう少し、このまま研究を続けさせてください……自分が無力ではないと思える、その日まで」


「……そもそも、わたしにはあなたの研究に口を挟む権利なんてないもの。でもちょっと、あなたが一生懸命すぎる気がして……心配だっただけ」


 そう答えると、セティはほっとしたように息を吐いた。


「ありがとうございます。それと、心配してもらえて嬉しいです」


「うん。あと、わたしはジゼルよ。その……女王はもう死んだの。彼女のことは、もう忘れたほうがいいと思う」


 セティがヤシュアなのか、それとも他の誰かなのか、そこのところはまだ分からない。


 けれど今の彼が、女王エルフィーナへの思いに縛られているのは確かだった。


 せっかく平和な帝国の、それも貴族の子息に生まれたのだから、もう前世の悲惨な記憶なんて忘れてほしい。そんなものにとらわれずに、自由に生きてほしい……。


 そこまで考えたところで、気がついた。私もまた、前世にとらわれているのだと。


 女王として他人のために必死に生きて、でも何一つ報われずに死んだエルフィーナ。


 その記憶を持って生まれた今の私は、自由に、ただ自分のためだけに生きていきたいと思っている。


 ううん、ちょっと違う。わたしは、以前の私を否定したいのだ。前の私と今の私は別の存在、もう全部終わったことなのだと、そう思いたいのだ。


 だから、過去の記憶を大切に思っているカイウス様をうらやましく思い、過去の記憶に突き動かされてひた走るセティを危うく思っているのだ。


 ああ、やっと謎が解けた。少しだけ悩んで、セティに笑いかける。


「……なんて言っても、急には無理よね。ただ……」


 セティはとても真剣な顔で、私を見ている。どことなくヤシュアを思わせる面差しで。


「一人で思いつめないで、いつでも相談して。わたしたち、仲間でしょ? あの王国で生きていた、そして今は同じ学園に通う仲間。だから、これからも助け合いましょう? ね、約束」


 そう言って、右手を差し出す。小指だけを立てて。セティは柔らかな頬を赤く染めて目を丸くしていたが、やがて同じように右手を差し出してきた。


 そうして二人、小指をからめる。誰もいない草原で、子供同士の約束だ。


 いつか私やセティも、カイウス様みたいに過去の記憶を優しい思い出に変えられるかな。変えられるといいな。


 触れているセティの手は、私の手と同じようにちっちゃくて、柔らかかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 3章完結おつかれさまでした、面白かったです 引き続き次の章もお待ちしてます
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