15.どうしてここに、この人が
「おじゃまします、料理同好会です!」
エマが勝手知ったる様子で、建物の中に入る。続けて中に入って、目をむいた。
そこは仕切りの一切ないだだっ広い部屋になっていて、たくさんの人たちが話をしたり作業をしたりしていた。そこまでは、まあいい。
ところがこの部屋ときたら、恐ろしいほど色んなものが、それは無秩序に積み上げられていたのだ。
本の山、何かの瓶、様々な色の石のようなもの、あちこちに散らばった紙切れ、さらに天井からは紐で吊るした薬草らしきものの束。
それ以外にも、正体不明のものが大量に転がっている。……あっちに落ちてるの、何かの骨のような。
ここは倉庫兼作業場なんだって聞いてはいたけれど……こんなにごちゃごちゃしていて、どこに何があるのか分かるんだろうか、ちょっと疑問だ。
そんなことを考えている間にも、辺りの人々が一斉に寄ってきて、バスケットに手を伸ばしている。私たちが配るより先に、奪い合うようにしてバゲットを食べ始めた。
その勢いにぽかんとしながら、目の前の人たちを観察した。
私たちの制服と色違いの服を着ているのが、年格好から言って高等科の学生だろう。で、さらに別の色の制服が研究生だ。
彼らの見張り兼指導役らしい魔導士もいる。ローブに付けた飾りから判断するに、割と階級が下のほうの魔導士だ。
みんな、私たちの差し入れに舌鼓を打っている。それを見たエマたちが、満足げに笑っていた。
ひとまず、今日の差し入れも成功だ。ほっと胸をなでおろしたその瞬間、信じられないものを見てしまった。
大口を開けて元気よく差し入れを食べている若い男性。研究生の服を着ていて、ちょっぴり寝ぐせのついた黒い髪に、生き生きとした青い目。
私の知っている姿とは違う。でも、でもこの人は。
そろそろと彼に近づき、他の人に聞こえないよう思いっきり声をひそめてささやきかけた。
「あの、もしかして……ですけど、カイウス様……」
「おお、どこかで会ったか? 俺はカイン、見ての通り学園の研究生だ。専攻は属性魔法」
私の言葉にかぶせるようにして、カイウス様が少し大きな声で言う。その目は、頼むから黙っていてくれ、と必死に頼み込んでいるようだった。
「カインはたまにしか来ないけれど、優秀なんだ」
「でも、魔導士の塔には行こうとしないんだよな。カインなら、立派な魔導士になれるだろうに」
他の研究生たちが、食べる合間にそんなことを言っている。魔導士も何も、彼は皇帝だし。
口調も雰囲気もまるで違うし、髪も目の色も全然違う。でも普通の魔導士や学生ならともかく、ゾルダー辺りならすぐに陛下だと見抜くだろう。
けれどどうやらこの場には、彼の正体を知る者はいないようだった。
顔が引きつりそうになるのをこらえながら、カインさん、あるいはカイウス様に向き直る。
「ええと、カイン……さん。私はジゼルです。学園の初等科、二年生です」
とってつけたような自己紹介をして、さりげなく後ろに下がる。そのまま二人で、ひそひそ話を始めた。
「……なんであなたが、こんなところにおられるんですか」
「ずっと執務室にいると気が滅入る。皇帝としての仰々しい立ち居ふるまいは疲れる。だが遠くにいったら側近たちに心配をかける。だからこうして、ここで気晴らしをしているんだ。楽しいぞ? 今のところ、正体がばれたことはないしな」
カイウス様は、頭が痛くなるようなことをしれっと答えてくる。少々型破りなところがある人なんだろうなとは思っていたけれど、まさかここまでとは。
「そうでしたか。あの、それで……その髪と目は」
「魔導具で変えた。皇族の証である緑の髪でふらふらしていたら、お忍びどころではないだろう」
「……ええと、じゃあわたしは、ごく普通の研究生……学園の先輩と接する感じでふるまっていればいいんですか」
「その通りだ。のみ込みが早くて助かる。さすがお前だ」
せっせと差し入れを頬張りながら、カイウス様はにっこり笑った。こんな無邪気な姿を見て、誰がこの帝国の頂点たる皇帝だと思うだろうか。
頭を抱えたいのをこらえていたら、肩に乗っていたルルがぴょんと近くの机に飛び降りた。
ちっちゃなこぶしで自分の胸をどんと叩いて、それから背中のリュックを誇らしげに見せつけている。私の隣の、カイウス様に。
カイウス様の笑みが、さらに深くなった。ルルの頭をそっとなでて語りかけている。
「そうか、お前があの指輪を守ってくれているのか。国宝の守り手として頑張れよ、ちびすけ」
その言葉に、悲鳴を上げそうになった。あの指輪、とても立派なものだなって思ってたけど、国宝だったとは。
なんだってまたカイウス様は、そんなものを私に預けたのか。しかも、失くしたならそれはそれで仕方がないとか、そんな感じのことも言っていたような。
どう考えてもありえない。さらに訳が分からなくなってきた。思わずルルを抱きしめて、さらに声をひそめる。
「今、国宝って言いませんでしたか……? やっぱりあれって、わたしが持っていいものではないんじゃ……?」
「いや、お前の気のせいだろう。それにあれは、お前に持っていてもらいたいんだよ」
「持っているのは正確にはルルですが」
「いいんだよ、お前の子分みたいなものだろ、そいつ」
カイウス様と話していると、頭が痛くなってくる。ある意味面白い方ではあるんだけど、とにかくこちらの常識を平気で飛び越えてくる。
どうにかして、今からでも指輪をカイウス様に返せないかな。でもそうすると、ルルが落ち込むかな。
そんなことを考えていたら、妙なものが目についた。指導役らしい中年の魔導士が、私とルルを交互に見て、目を丸くしていたのだ。
何をそんなに驚いているのだろう、と首をかしげていたら、彼は独り言のように話し始めた。
「……ネズミの召喚獣を連れた初等科の少女……もしかして君が、ジゼルかい? 一年生にして、魔導士見習いの地位を陛下じきじきにたまわったという」
その言葉に、その場のほぼ全員が目を丸くして私を見た。カイウス様だけは、おかしげに笑いをかみ殺していたけれど。
「えっ、そうだったの……? 確かにあなたは召喚魔法が得意だって聞いてたし、試験も満点だったって聞いてたけど……」
みんなの意見を代表するかのように、エマがおそるおそる口を開いた。
「はい、そうなんです。たまたまカイウス様の御前で魔法を披露する機会があって、それで。……言いふらすようなことでもないので、黙ってました」
私が答え終わった時には、部屋は静まり返っていた。
困り果てながら、そっとカイウス様のほうを見る。彼はやはり無言のまま、とっても楽しそうな笑みを向けてきた。
どうしよう、この居心地の悪い沈黙。みんな目を輝かせて、私を見ている。
もうこれ以上、目立ちたくないんだけど。私はごく普通の貴族の少女として、のんびり幸せに生きていたいのだけど。
「……すごい」
その時、どこかで誰かがつぶやいた。その声は称賛の響きで満ちていた。
「すごいじゃない!」
「うわあ、天才だって聞いてたけどそこまでだったんだ!」
「なあ、ちょっと君の魔法を見せてくれないか!? 後学のために」
あっという間に、そんな歓声に取り巻かれてしまった。ああ、こんな風に騒がれるのが嫌だから黙ってたのに。
私が魔導士見習いだと知っているのは、あの場にいたカイウス様とゾルダー、それに上位の魔導士たちを除けば、私の両親とセティとアリアだけだ。
魔導士の塔に本を読みにいく時だって、できるだけ他の人に見つからないように注意していたのに。
「大変だなあ、『天才少女』も」
急に騒がしくなった部屋の中で、カイウス様だけはのんびりと笑っていた。それに応えるように、ルルが私の手の中でちゅうと鳴いた。




