押しても駄目ならば
「……はあ、どうしよう」
卒業まで、残り半年を切ったある日の放課後。
わたしは進路希望調査票と書かれた紙を片手に、誰もいない教室で一人ため息をついていた。
「悩み事ですか」
「……はっ、ノ、ノエル様! 好きです!」
「君がため息を吐くなんて珍しいですね」
いつの間にかわたしのすぐ側まで来ていたノエル様に、驚きで口から心臓が飛び出そうになる。誰もいないと思っていたからこそ、余計に驚いてしまった。
流石に聞き飽きたのか、反射的に口から漏れた好きだという言葉に対して彼は無反応で。わたしの手元にある何も書かれていない調査票をじっと見つめている。
「……将来のことを、考えていたんです」
「将来ですか。女性なら結婚をすればいいのでは?」
「結婚は、あまり気が進まなくて」
姉や兄達のように、わたしもいつかは親が決めた相手と政略結婚をするのだろうと思って生きてきた。
けれど有難いことに両親は、末っ子のわたしに対しては好きなようにすればいいと言ってくれたのだ。…毎日のように嬉嬉としてノエルの話をし続けているわたしを、嫁に出すのが恐ろしいだけかもしれないけれど。
だからこそわたしはノエル様との思い出を胸に抱え、仕事を見つけて一人で生きていくつもりだった。我ながら、かなり気持ち悪い自覚はある。
この国で魔力を発現する人間は、人口の三割程度。この学園を無事に卒業さえすれば、就職先に困ることは無いと言われている。けれどそのやりたい仕事というものが見つからず、こうして悩んでいたのだ。
「何故、結婚に気が進まないんですか」
「ノエル様以外の方を、好きになれる気がしないんです」
当たり前のようにそう言うと、彼はアメジストのような瞳を大きく見開いた。毎日聞き飽きるほどに好きだと伝えているのだ、そんなにも驚かれるとは思っていなかったわたしは、少しだけ恥ずかしくなっていた。
「……本当に、そう思っているんですか」
「はい、一生ノエル様だけです」
そう言って初めて、自分があまりにも重たいことを言ってしまっていることに気が付く。
ノエル様は将来、家柄のいい素敵なご令嬢と結婚するに違いない。それなのに一生好きだなんて言われては、迷惑でしかないだろう。慌てて訂正しようとした時だった。
「わかりました」
「えっ?」
一体、何が分かったのだろう。その言葉の意味を分からずにいるわたしに向かって、ノエル様はふわりと微笑んだ。
そして彼はわたしの長い桃色の髪を指で掬うと、そっと口付けた。その仕草はあまりにも自然で、あまりにも美しくて。まるで神聖な儀式のようにも見えた。
「その言葉、忘れないでくださいね」
……それからはあまりのことに頭が真っ白になり、どうやって家に帰ったのかも覚えていない。
そして、翌日。どんな顔をしてノエル様に会えばいいのかとドキドキしながら学園へと登校したわたしは、彼の騎士団への入隊が決まったこと、もう此処へ来ないことを知った。
◇◇◇
それから、三年の月日が流れた。
21歳になったわたしは、国の研究機関で働いている。水魔法使いであるわたしは、水についての研究の手伝いをしたり事務仕事をしたりしながら、忙しい日々を送っていた。
そんな中でも貴族の端くれとして、たまに社交の場に出る機会もあって。そしてそれは騎士となったノエル様に会える、貴重な機会でもあった。
「ノエル様、お久しぶりです! お元気でしたか?」
「はい、お陰様で。シェリーは今日も元気そうですね」
「ノエル様に会えたおかげですよ! 好きです!」
「それは良かった」
今日も大規模な夜会へ参加すると、会場でノエル様を見つけた。一目散に彼の元へと向かい、声をかける。そんなわたしに対して、彼は昔と変わらずに優しく接してくれていた。
ノエル様は学生の頃よりも更に背が伸び、騎士らしい引き締まった身体付きをしていて。いつからか一人称も僕から俺へと変わり、彼は昔以上に素敵な大人の男性になっていた。社交界でも彼の人気は凄まじく、わたしなんかがこうして話をしているのも奇跡のようなものだった。
そして最近聞いた話によると、ノエル様は騎士団でかなりの功績を収め、来月には師団長になるのだという。それも最年少で。彼が活躍しているのは嬉しい半面、余計に遠くなってしまったような気がして、少しだけ寂しくもあった。
「そういえば、もうすぐ師団長になられるんだとか。おめでとうございます、本当にすごいですね!」
「ありがとうございます。その事で実は君に話が、」
「ノエル様っ!」
ノエル様の言葉を遮るような甘い声に視線を向けると、小動物のように可愛らしい女性がこちらへ来るのが見えた。
「……マリアン嬢」
「もう、マリーと呼んでくださいとお願いしましたのに」
そう言って頬をぷく、と膨らませる彼女は、最近ノエル様と親密だと噂されている侯爵家の令嬢だ。
家柄も見目も良く、そして彼と同じ火魔法使いであるマリアン様は、誰が見たってお似合いだった。二人が話しているのを見るだけで、ずきりと胸が痛む。
「ノエル様、それではまた」
そんな胸の痛みを隠すように、わたしは一礼するとすぐにその場を離れた。そうして少しでも遠くに行こうと移動している途中で「シェリー? そんなに急いで何処へ行くのよ」と肩を叩かれ、わたしはようやく足を止めた。
「……クラリス」
「あらやだ、酷い顔ね。どうせノエル様絡みでしょう」
相変わらず容赦のない彼女も、この夜会に参加していたらしい。クラリスとは卒業後たまに連絡を取り合い、お茶をしたり食事に行ったりしていた。
「貴女も本当に健気ねえ、もう6年経つじゃない。いい加減に他の男性へ目を向けてみたら?」
「無理よ、絶対に無理」
「貴女はだいぶ変だけれど、優しくて素敵な子よ。幸せになって欲しいという私の気持ちもわかって」
「クラリス…」
多少失礼な部分はあるけれど、そんなクラリスの言葉に胸が締め付けられる。彼女は昔からずっと、わたしの幸せを願ってくれていた。
「……それでも、やっぱりノエル様が好きなの」
「ねえ、シェリー。貴女本当は、ノエル様に振り向いて貰いたいんじゃないの」
「…………っ」
彼との未来を思い描いたことがないと言えば、嘘になる。
それでも、そんな夢物語など想像するだけ無駄だということもわかっていた。6年以上経っても、こうして偶然会って話をするだけの関係なのだ。昔と何も変わっていない。
だからこそ傷つきたくないわたしは、見ているだけで幸せだと、ずっと自分に言い聞かせてきた。
「……そんなの無理だって、わかりきってるもの」
「まだ分からないじゃない、それにやれるだけのことをやれば、諦めがつく可能性だってあるし」
「そう、なのかしら……」
今まで彼に好きだと数えきれない程伝えては来たけれど、ただ心の底から溢れてくる思いを口に出し、発散したかったからだ。彼に好きになってもらう為に何か行動を起こすなど、考えてみたこともなかった。
「先日読んだ本にね、『押してダメなら引いてみる』というテクニックが効果的だって書いてあったのよ。シェリーは間違いなく押しすぎなんだし、たまには駆け引きくらいしてみたら? ノエル様も気にかけて下さるかもしれないわよ」
「お、押して駄目なら、引いてみる…」
引いてみるという言葉など、わたしの辞書には無かった。駆け引き、という言葉も勿論ない。目からウロコが落ちた。
押して駄目なら、引いてみる。何度も脳内でその言葉を繰り返していくうちに、わたしがやったところでどうせ効果はないと思いつつも、試してみたいという気持ちが湧き上がってくるのを感じていた。
「シェリー、人生は一度きりなんだからね」
そして、そんな彼女の言葉に背中を押されたわたしは、気がつけば本のタイトルを尋ねていたのだった。




