もう、戻れない
「シェリー様、夕食はどうされますか」
「……すみません、食欲がなくて」
ドア越しにそう返事をすると、ホレスさんは「何かありましたら、すぐに声をかけて下さいね」と言ってくれて。申し訳無い気持ちになりながら、わたしは一人枕に顔を埋めた。
帰宅してからというもの、わたしはずっと部屋に籠り続けている。頭の中がぐちゃぐちゃだった。ノエル様にどんな顔をして会えばいいのか、分からなかった。
『だから、君と結婚する為にノエルは文官になる夢も捨てて、騎士になったんだろう?』
チェスター様の言葉が、脳裏にこびり付いて離れない。
なぜ彼がわたしと結婚する為に夢を捨て、騎士になる必要があったのか、いくら考えてもわからない。けれど彼が突然学園を辞めた前日、言葉を交わしていたのも事実だった。
『ノエル様以外の方を、好きになれる気がしないんです』
『……本当に、そう思っているんですか』
『はい、一生ノエル様だけです』
今思えばそれは、プロポーズにも似た言葉だった。
もちろん、当時のわたしにそんなつもりなどない。いつも彼に伝えていた、「好き」という言葉の延長上くらいにしか考えていなかった。
けれどもし、ノエル様がその時にはもう、わたしのことを好いてくれていたのだとしたら。何らかの事柄に対し彼の背中を押すきっかけになっていても、おかしくはない。
そしてわたしの言葉に、彼は「わかりました」と答えていたのを思い出す。あの瞬間すでに彼は、わたしとこの先ずっと生きていくことを決めていたのだろうか。
そんなこと、当時のわたしが想像出来るはずもなかった。
『その言葉、忘れないでくださいね』
……彼は、どんな気持ちでそう告げたのだろう。
あの日のわたしの何気ない言葉が彼の人生を変えてしまったなんて、わたしなんかの為にノエル様が夢を捨てていたなんて、信じられるはずがなかった。信じたく、なかった。
ノエル様は魔法学園の入学当初から、誰よりも必死に机に向かっていた。彼は間違いなく学園でもトップクラスの成績だったというのに、それでも努力を欠かさない彼に、どうしてそんなに頑張るのかと聞いたことがある。
すると彼は嬉しそうに、「夢があるんです」と言っていた。その為に努力をしているのだと、言っていた、のに。
何故わたしは彼が突然学園を辞め、騎士団に入ったことを疑問に思わなかったのだろう。他人事のように何か事情があったのだろう、くらいにしか思っていなかった。
その上、血のにじむ様な努力をして師団長にまでなった理由が自分だなんて、夢にも思わなかった。チェスター様の話を聞く限り、騎士団に入り師団長になることまでが、何らかの結婚の条件だったようで。
それと同時に、気付いてしまった。
──わたしはあの日、彼に何と言った?
昔から追い続けていた夢を捨て、騎士になり。血の滲む様な努力をして、師団長にまで上り詰めて。就任式の後、少しでも早くわたしに会いたいと寝ずに父親に会いに行き、その足で我が家へと来てくれた彼に。
三年以上辛い思いをし続けて、ようやく婚約を申し込みに来てくれた、彼に。
『……俺の事が、好きじゃなくなったんですか』
『そうかもしれませんね』
『先程の婚約の話ですが、受けてくれますか』
『嫌だと言ったらどうするんです?』
わたしは、何を、
「……っそ、んな……」
これほど、自分の愚かさを呪ったことはなかった。血の気が引いていき、手足が震え、体中から体温が失われていく。
『一生俺だけだという言葉を、ずっと信じていたんですよ』
『俺は、シェリーの為にここまで来たのに』
今更になって、彼の言っていた言葉の意味を理解した。
一人で空回りをして、こんなにもわたしを想ってくれていた彼を傷付けて。本当にわたしは、何をしているのだろう。
『俺が悪いのはわかっているんです。君に甘えて安心しきっていた、俺が悪い。もっと出来ることはあったはずなのに』
『それでも、もう一度君に笑いかけてもらいたい、好きになって貰いたいと思ってしまうんです』
『シェリー、愛しています』
それなのに彼はわたしではなく自分を責め、未だにわたしを好きだと、愛していると言ってくれているのだ。彼がどうしてそこまで、わたしを想ってくれるのかはわからない。それでも嬉しいと思えてしまう愚かな自分が、嫌だった。
気が付けば、わたしは声を上げて泣いていた。
ノエル様に、自分は相応しくない。それは間違いようのない事実だった。彼に愛される資格などない。
きっと、数ヶ月前のわたしならば大人しく身を引き、彼の幸せを願えただろう。
けれど今は、知ってしまった。
彼に愛される喜びも、彼に触れられる幸せも。沢山の感情をもう、知ってしまったのだ。ただ遠くから彼を眺め、たまに話をしていただけの頃になど、戻れるはずがなかった。
たった、二ヶ月。その間、制約魔法なんてかけずにいれば今頃は彼に好きだと、愛していると伝えられていたのに。こんなにも彼を傷付けることは、なかったはずなのに。
いくら悔やんだところで、今更何も変わらないことは分かっている。けれど今のわたしには自分を責め、後悔し続けることしか出来なかった。
◇◇◇
あれから、3日が過ぎた。部屋の中にシャワーやトイレが付いているお陰で、一歩も出ずに済んでいる。食欲は全くないものの、ホレスさんが持ってきてくれる食べやすいものを無理に食べては、ノエル様のことを想い涙する日々だった。
これ以上ノエル様を傷付けてしまうのが怖くて、彼と顔を合わせる勇気が出ないのだ。
仕事に関しては、溜まっていた有給を消化させてもらっている。とは言え、こんなにも急にとったのだ。シーラあたりに皺寄せがいっているだろう。わたしは本当にゴミクズだ。
この数日間自分を責め続けていたせいで、自己評価は下の下まで落ちている。世の中の全ての生き物の中でわたしが一番下くらいに思えていた。多分その辺にいるネズミの方が、わたしなんかよりも立派に生きているだろう。
「シェリー、まだ具合は良くないんですか?」
「……はい、すみません」
ノック音と共に聞こえてきた愛しい彼の声に、びくりと身体が跳ねる。ノエル様は毎日、ドア越しに何度も声をかけてくれていた。わたしは体調が悪く、何か移してしまっては困ると言い訳し、引き籠り続けていたのだけれど。
「本当に、体調が悪いんですか?」
不意に聞こえてきたその言葉に、わたしは息を呑んだ。
「今日、チェスターと会って話をしました。彼が三日前、君と話をしていたことは知っていましたが、その内容までは聞いていなかったんです」
「……………」
「俺が自分の口で直接、話すべきことでした。戸惑わせてしまいましたよね。本当に、すみません」
なんと言ったらいいか分からず言葉を詰まらせていると、ノエル様はひどく悲しそうな声で、呟いた。
「……顔も見たくなくなる程、迷惑でしたか」
ああ、わたしはまた、こうして彼を傷付けてしまう。
例え今彼と話したところで制約魔法のせいで言いたいことも言えず、冷たい態度を取ってしまうのは目に見えている。
「シェリー、お願いです。どうか此処から出てきて、俺の話を聞いてくれませんか」
それでも、こんなにも必死なノエル様の声を聞いて、これ以上逃げることなど出来るはずがなかった。
そしてわたしは震える手でそっと、部屋のドアを開けた。




