第十七幕:ハクとネコ(2)
ハクがひとりポツンと座っている四阿に近付いて声をかけると、それに反応して彼女が顔を上げた。
「あ、マスター」
「こんなところにいたのか。探したじゃないか」
「ごめんなさい。なにか、御用ですか?」
「いや用があるわけじゃないけど、居なくなったら探すでしょ——って猫多いな!?」
四阿にいたのはハクだけじゃなかった。彼女の周りには思い思いにくつろぐ、10匹以上の野良猫たちがいたのだ。
「……この公園、こんなネコ多かったっけ?」
「はい。皆さん、お友達です。皆さんもお友達を連れてきてくれます」
いやいやお友達て。ミオとハクがパレスに来てからまだそんなに日が経ってないよね?
…だいたい2週間くらいかな?
「皆さん。マスターです」
…ん?もしかして僕のこと、ネコに紹介した?
「マスター、クロさんと、シロさんです。
こっちはミケさんで、あっちがブチさんで、マスターを案内して来てくれたのがチャイロさん……」
--いや待って。紹介される順にみんな一声鳴くんだけど。
「え、ハクもしかしてネコと喋れるの!?」
「……?マスターは、喋れないんですか……?」
いやいやいやいや。
「それからトラさんで、ギザミミさんで、」
「う、うん、もういいよハク」
「……?」
「こんな雨の中、公園にひとりで居させる訳にはいかないから、ひとまず帰ろうか」
「……ネコさんと、遊んじゃダメですか?」
…いやそんなあからさまに悲しそうな顔しないで。
「そういうわけじゃないけど、うーん」
どう言えば悲しませずに納得してもらえるかなー。まだこの子のことよく知らないもんなあ。
「ええとね、俺は君たちfiguraのマスターで、同時にMuse!のマネージャーであり、パレスの寮の責任者でもあるんだよね。だから君たちの中でひとりでも居場所が分からない子がいたら、探しに出なくちゃいけないんだ」
「はい、ごめんなさい……」
ハクは悲しげな顔のまま頭を下げた。
「どんな処罰でも受けます。懲罰房でも、奉仕労働でも」
「いやいやいやいや」
ああもう特殊自衛隊に所属してた時代の思考が抜けてねえよこの子も!
「空き時間であれば公園に来るのも、ネコと遊ぶのも構わないからハクの自由にしていいよ。本隊にいた時みたいに厳しくするつもりはないからさ。でもね、ひとりでどこかに行く時は、必ず俺か誰かに行き先を伝えておいてくれないかな」
どこにいるかさえ分かっていれば、緊急の出撃とかレッスンの時間とかでも探し回らなくて済むからと、そう言ったらハクはわずかに目を見開いた。
「処罰、されないんですか?」
「するわけないだろ。うちは〖MUSEUM〗、芸能事務所だよ。軍隊じゃないんだから」
むしろ軍隊みたいに厳しかったら俺が嫌だ。そんなもんとっとと逃げ出すに限る。
ハクは少しだけ、戸惑っている。思っていたのと違うと感情が漏らしていた。
でもすぐに表情も感情も落ち着いてゆく。
…上官の命令は絶対だから、自分で考えるのを止めた……って雰囲気だね。
「わかり、ました。オーダーに従います」
「いや命令とかでもないんだけど」
「オーダーでなければ、何ですか?」
「んー、そうだな、お願い……かな」
「お願い……」
「あるいは指示、かな。俺は君たちのマスターだから、強制したい時にはちゃんと命令する。でも、必要のない時にまで強制はしたくない」
「指示……」
「そう。こうしろ、ではなくてこうして欲しい、ってやつ」
「…………」
ハクは少しだけ考え込んで、それから顔を上げた。
「わかりました。以後はそのオーダーに従います」
うん、ダメだこれ。この軍隊根性を修正するのは時間かかりそうだ。
ていうかこの子傘持ってないんだけど。よく見たら服も髪も濡れてるし、まさかこの雨の中濡れながらここまで来たのか。これは早く戻らないと、風邪でも引かれたら面倒だ。
…まあ風邪引くのかな?って話ではあるけどね。
「とにかく、一旦戻ろうか。濡れてしまってるし、戻ってシャワーでも浴びて、着替えてサッパリしたらいいよ」
そう声をかけて傘を差そうとするが、ハクは立ち上がるものの動かないまま。
「……あの、マスター」
…なんか言いたそうだね。
感情は……少し、困惑してる?
「わたし、必要ですか……?」
え、これ、どういう意味だろう?
「……誰かに必要じゃないって言われたりした?」
「いえ、違います……。その、マスター用の銃とか、防護服とか、あるのなら、わたし……要らないですか……?」
ああ、そういう事か。
「いや、ハクは必要だよ。今朝君も見てた通り、あれはトドメが刺せるような威力はないから、もしもまた俺が襲われた時にはハクにも護ってもらわないといけなくなる。だから、要らないなんてことはないよ」
ハクからパッと喜びの感情が咲く。
「わかりました。では、お役に立ちます」
「でも、基本的にはそうなる前に護ってくれるだろ?だから、あんまり根詰めて考えなくても大丈夫だよ。普段通りでいいからね」
「はい。ありがとう、ございます」
ハクはそれだけ言うと、そのまま四阿を出ていこうとする。
「待った待った、ハク、ほら傘入りなよ」
「でも、マスターが、濡れてしまいます」
自分が濡れてる自覚はあったのね。
「いいから。濡れたら俺も着替えればいいだけだしさ」
「それは、オーダーですか?」
「ああもう!命令ってことでいいよもう!」
投げやりにそう言って彼女の肩を抱き寄せるようにして傘の中に入れ、四阿を出た。背後からネコたちの抗議の鳴き声が聞こえてきたけど、そんなのは無視だ無視。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あ、ネコさん」
公園の出口付近まで来たところで不意にハクが視線を動かして、そう言って立ち止まってしまった。
彼女の視線を追って、俺も顔を動かした。だけどそこには、何もいなかった。
「…………ネコ?」
「はい。見たことのない、ネコさんです」
何もいないのに、ハクはネコがいると言う。
どれだけ目を凝らしても、そこには何もない。
「ちなみに、どんなネコ?」
何となく、頭ごなしに否定したくなくてそんなことを聞いた。
「たくさん、ケガしてます。血だらけで、痛くて、辛くて、悲しくて、助けてほしいって泣いています」
「……え」
--そこの道で轢かれて死んじゃった仔、かなあ。飼い主を待ってるとか、そんな感じ?
「だけど……、わたしたちに助けて欲しいわけでは、ないみたい、です」
「……それは、助けてくれる誰かが来てくれるのを待っている、ってこと?」
「多分、そう、です」
オーケー、分かった。ハクは見えちゃいけないモノが視えるタイプの子、って事だな。
「その仔に対して、ハクができることって無いんだよね?」
「はい。ないと思います」
ハクの感情はどこまでも平坦だった。轢死したネコの霊に対して心を痛めてはいるけど、自分にできることとできないことの区別はしっかりつけている。そんなふうに感じた。
「できることがないのなら、そっとしておこう。その方がその仔にとっても、いいんじゃないか?」
「そう、ですね……」
ハクは運動公園を出るまでに何度も振り返り、そのネコの霊を気にしていた。それは公園を出てからも、パレスに戻ってからも、しばらくはずっとそうだった。
多分きっと、心の優しい子なんだな。
それが、彼女に対して初めて抱いた印象だった。
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