第九幕:群青色の眠気(1)
『マスター、今どちらにおられますか?
レッスン場まで来て頂きたいのですが……』
事務所でスケジュール確認と書類の整理をしていると、ユウがインカムに通信を入れてきた。
「事務所にいるよ。何かあった?」
『それが、レイさんが力尽きてしまって……』
…は!?なにごと!?
『寮に連れて帰るのを手伝ってもらえませんか?』
「えっ分かった、すぐ行く!」
慌ててレッスン場に上がると、みんなが輪になって何事か話している。
どうも、誰かに呼びかけているようだ。
「おい、レイ大丈夫か!?」
彼女たちをかき分けて中を覗くと、そこにはへたり込んで目を閉じているレイの姿が。
「あっ、マスター。良かったぁ」
「マイ、レイの具合、大丈夫か?」
「あ、マスター!だいじょぶだいじょぶ♪心配ないよー!」
「心配ないわけあるかハル、レイが倒れるなんてよっぽどの事だろ!ライブ前の大事な時期なんだから、早くホスピタルに連れて行かないと!」
「……えっ?」
「……ほえ?」
「…………アンタ、何言ってんの?」
ふと気付くと、その場の全員が呆気に取られた顔で俺を見ていた。
「……マスター。もしかして、知らないんですか?」
向けられる視線に混乱する俺に、サキが冷め切った目を向けて言う。
「知らない……って、何を……?」
「現在時刻は8時20分。普段ならレイさんはもう自室で眠りに就いている時間です」
「………………あ、そういうこと?」
「いつも夜8時に寝て、朝6時に起きる人ですからね、レイさんは」
「ん……うう……。
あ……マスター……。
ごめんなさい……うたた寝していたみたい……」
ホントにただ眠いだけなんかいっ!
「いや謝ることねえけどさ。ホントに眠いだけか?具合悪いとかないか?」
「大丈夫だと思いますよ、私は。普段のレッスン中や仕事中は気が張ってるので眠気は出ないようですが、ここ最近のレイさんはマイさんのデビューライブに備えてずーっと気を張ってましたからね。さすがに疲れが溜まってたんでしょう」
そういや、他の子たちは気をつけて見てやってたけど、レイのことあんまり気にしてやってなかったかも。むしろ頼って色々任せきりにしてたっけ。
「ハルはまだまだ元気いっぱいだよ~!」
「……巡回やってファンの相手して、レッスンやってオルクス討伐で駆けずり回って、それでまだ元気いっぱいとかオカシイだろ……」
「ハルさんはひとりだけ規格が違いますから、参考になりません」
…うん、控えめに言ってオカシイよね。
「レイさんもこの通りですし、私たちもさすがに疲れてきたのでレッスンを切り上げる事にしたのですが。
もう半分眠ってしまってますし、彼女は比較的大柄なので、誰も抱えることが出来なくて」
まあそうだよね。レイが一番身長も高いし、鍛えてるぶん体重も……体格もいいし。背負えるとすれば体格の変わらないユウくらいか。でもちょっと厳しいだろうなぁ。
「要するに、抱えて帰れって事ね」
「そーゆー事。こないだアンタも同じように連れ帰ってもらったんだから、恩返ししなさい?」
「……へいへい」
まあ俺以外には無理だよね。ハルとかリンくらい小柄だったら誰にでも抱えられるだろうけど。
「おーい、レイ、帰るよ。立てるか?」
レイのそばにしゃがみ、座り込んでうつらうつらしているその肩を軽く叩いて声をかける。
いやもうほぼほぼ寝てんじゃねえか。ってか眠気の感情って群青色なのな。
「んう……。もう私、ここで寝る……」
…普段のレイなら絶対言わない一言が出ちゃった!
「ダメだよ~レイちゃん!ちゃんとお風呂入ってから寝ないと!」
「そうですよレイさん。こんな所で寝るなんて、美しくないですよ。ちゃんと寮の部屋に帰ってから寝て下さい」
「いいもん……わたし、そんなに美しくないもん……」
「…………こりゃ重症だな」
動こうとしないレイの左側に回り、膝をついて背中から右脇に右腕を回して抱き寄せると、こてん、と彼女が頭を俺の右肩に預けてきた。右肩にはまだ保護パッドが付いているので、ちょっとしたクッション代わりになるはず。まあ、膏薬の臭いが気にならなければ、だけど。
膝を立てさせてその下に左腕を通し、引き寄せてから腹筋と背筋に力を込めて上体全部で抱え上げる。いわゆるお姫様抱っこ、というやつだ。
「よい、しょっと」
腰を起こし、勢いを付けて立ち上がる。
立ち上がってしまえば、バランスを崩さない限りはそうそう倒れることはない。はず。
レイは比較的大柄だと言ってもそれはfiguraたちの中での話であって、同世代女性の平均値からするとまだ軽量な方だ。有り体に言えばハルやリンが小柄すぎるのであって、一番体重があるユウでようやく人並みと言える。まあそのあたりは、さすがアイドルって感じでみんな華奢なんだよね。
なのでまあ、寮まで数百メートルぐらいならお姫様抱っこでも連れて帰れるだろう。レイはまだレッスンウエアのままでジャージのズボンを履いているから、この態勢でも下着が見える心配もないし。
「……アンタ、意外と力あるのね」
「ん、そうか?なんだったら後でリンにもしてやろうか?」
「そ、そんなの別にして欲しくないし!」
「わぁーい!ハルやって欲しい欲しいー!」
「ハルはどっちかって言うと、両脇抱え上げて『高い高い』かなあ?」
「えーっ!?もー、ハルそんなにお子さまじゃないよ~!」
「無駄話はそのくらいにして、帰りましょう。もう8時半を過ぎていますから、早くレッスン場を閉めませんと」
「そうだね。じゃあミオとユウは掃除と施錠とやってきて。サキとハルはレイの荷物とか靴とかお願いな」
「はい、お任せを♪」
「了解しました、マスター」
「いいよー!」
「もちろん、言われなくても分かってます」
「で、リンはマイとふたりで、そこで寝てるハクとアキを引っ張ってきてもらおうか」
「あっ、はい!分かりました!」
「……んぁあ、いつの間に!?
こらぁ!ハクもアキも起きなさーい!」
「んん……おやすみなさい……」
「んっだよ……疲れてんだよ寝かせろよな……」
「甘えんじゃないっての!部屋に帰ってから寝なさいよ!」
「うっせぇな……固ぇこと言うなよな……」
指示を受けてめいめい動き出す彼女たちを見つつ抱き上げたレイの様子をちらっと確認して、俺はレッスン場の出口へと歩き出した。
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次回更新は15日です。
【マイのデビューライブ】執筆ほぼ終了しました。
全二十一幕の予定です。




