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第六章 99.悪夢

 ソフィアは燃える城の中にいた。


「ヒッポダモス、そっちへ行っちゃだめ!」


 彼女は忠臣の名を呼ぶが、彼はまっすぐに燃える船へと入ってしまった。


「待って」


 ソフィアは追いかける。

 ガクと足を踏み外し、暗黒の中に転落する感覚があって、彼女は目を覚ました。


 まだ深夜だった。


 南大陸の植民市での失策、アッタリア水道での大敗北、劣勢続きに彼女は眠れていない。


「ヒッポダモス……」


 彼女は名を呼んでみた。

 先頭にいた彼。

 確実に火計の犠牲になっているだろう。


「灰ならず、墓石の重みも知らず、彼の人の眠るは波の彼方にて、行く方を知るはただカモメのみ……」


 古い哀歌を口にする。


 失ったのはヒッポダモスだけではない。


 島々を根城にした海賊たちの、同盟からの離反が止まらない。

 ルテシアの民さえ……気付けば三段櫂船の乗員まるごと行方不明、という例まであった。

 船を捨てて逃亡したのである。


 ルテシア海軍の作戦に落ち度は無かった。

 大潮の日を選んでマッサリア海軍を水路に誘い込み、潮の流れが逆転するのを待って一気に攻勢をかける……。


 ヒッポダモスたちと練りに練った作戦だった。


「ああ……」


 燃え盛る海を前に、彼女は前進できなかった。


 百隻を誇った三段櫂船の巨大船団も、マグヌスの計略で二割を失い、アッタリア水道での決戦に残された全戦力を投入した結果、さらに半数を失い、残るは四十隻のみ。


 その後も、あの火計を恐れて積極的に攻められずに次々と拠点を失い、気付けばネオ・ルテシアの港に封じ込められていた。

 

 港に肩を寄せ合うように並ぶ船たち。船の数が減るたび、市民たちの表情は暗くなる。


 夜明けからまた、マッサリア海軍の威嚇に対応して、ここの港町を守らねばならぬ。


 幸い、この都市は背後を高い山に囲まれ、海の防衛に専念すれば良い、天然の要塞。簡単には攻め込まれない。


 だが、多島海交易の中継点としてはすでに機能せず、徐々に包囲を厚くするマッサリア海軍に物資の供給を絶たれ、食料が尽きるのは時間の問題だ。


(息の根を止められる前に停戦できれば……)


 翌朝、ソフィアは、ペトラを閉じ込めた洞窟に向かった。

 独断である。

 今は大きな決断を相談できる相手もいない。


「ペトラ、お前はマッサリアの将軍とどういう関係なの」


 洞窟に穿たれた小さな明り取りから、薄ぼんやりした日がさす。


「水をちょうだい」


 かすれた声が帰ってきた。

 捕虜の扱いは酷くなっているようだ。


「後であげるわ。マッサリアのマグヌス将軍ってどんな人?」

「頭のいい人。優しい人よ」

「正直に言うわ。私たちは劣勢に立たされている」

「だから何だというの」

「マグヌス将軍に、停戦の仲介を頼めるかしら」


 しばらく沈黙が続いた。


「私に頼んでるの?」


 返事は怒りを含んだものだった。


「そう。利用価値が無ければここに置いておいたりしないわ」

「クリュボスは無事?」

「あなたの返事次第」


 仄暗い中で視線の応酬。

 ペトラが目を伏せた。


「──わかったわ。手紙を書く。届けるのはあなた達の仕事よ」


 すぐに、水指に入った水と紙藺(パピルス)とペンが運ばれてきた。


 ペトラはソフィアに言われるままに、マグヌス宛に手紙を書いた。

 これ以上の戦いは無益なこと、ネオ・ルテシアには女子供も多いこと、他に適切な場所があればこの地を明け渡して移住すること……。


「あの無慈悲なマッサリア軍に話が通じるとは思えません」


 アッタリア水道の海戦を戦った者たちは、こぞって反対した。


「皆を守るために、手を尽くします。やってみて駄目だったら、その時こそ戦いましょう」


 ソフィアは小舟で手紙を託した使者を送り出した。



 ソフィアの願いも虚しく、手紙は後方のマグヌスの手には届かなかった。監視の目を厳しくしている黒将メラニコスを介して、直接エウゲネス王の元に届けられた。


「マグヌスに内通の恐れありですぞ!」


 うるさく言う老将ピュトンを無視して、智将テトスに手紙を読ませる。


「窮しておりますな」


 彼の第一声はこうであった。


「確かに、手紙を書いたペトラという者はマグヌスの知り合いです」


 二人で南国に旅立つペトラとクリュボスを見送った日を思い出す。


「海賊どもに囚われているのでしょう。情に流されるマグヌスならくみしやすしと値踏みされている」


 テトスは苦笑した。

 この手紙が本人の手に渡っていれば、確かにマグヌスは無駄な戦争を避け、ルテシア海賊の殲滅を回避するべく動くだろう。


「ルテシアの残党は根絶やしにする」


 王の冷徹な声が宣言した。


「使者にそう伝えよ」

 



 取り付く島もないマッサリア王からの返事を受けて、ソフィアも決断せざるを得なかった。 


 季節は夏を過ぎ、時折、冬の嵐の前触れの北風が吹く。

 操船に自信のあるルテシア海軍にはやや有利。


「打って出ましょう」


 ソフィアは二手に分かれる事を提案した。

 港に残ってマッサリア軍を引き付ける者と、包囲を突破して逃げのびる者。


 男たちがクジを引いた。

 一方は親や妻子と共に三段櫂船に乗り込み包囲を突破、もう一方は港に残って上陸してくるマッサリア軍を引き付け、戦う。

 ソフィア自身もクジを引こうとしたが、皆に止められた。


「ソフィア様は希望の星。どうか逃げて、ルテシアの再興を」


 誰もが分かっているのだ。

 港に残っても望みは無いと。


「必ず救いに来るから」


 そこかしこで、虚しい誓いの言葉が交わされる。


「船の余計な重荷にはなりません」


 と、夫のみを送り出す若妻。


 二手に別れたのを見届けて、


「海の荒波がいかほどのものか。風も今こそ我らに味方する!」


 気力を奮い立たせたソフィアが一行を鼓舞する。


「おおー!」


 海鳴りを上回る雄叫びが上がった。


 通常の警戒航路から突如舵を切り、帆を巻き上げたルテシア海軍の総勢三十五隻が、包囲の隙をついて突進する。


 虚を突かれたマッサリア海軍は対応しきれない。

 そもそも、このところの波の荒さに適応できていない。


「追って来る船はありません!」


 報告が上がる。


「さあ、これからどちらに向かうか。直近ならクラクシア港ですが……」

「もちろん、そこよ。マッサリアの手は回っているでしょうけれど、三十五隻の三段櫂船があれば、こちらの要求をのんでくれるはず」


 明るい声と裏腹に、ネオ・ルテシアに残った者の運命を案じて、ソフィアの心は沈んでいた。





ソフィアたちはついにネオ・ルテシアを捨てました。

次回、死にものぐるいの残存勢力と乗り込んでくるマッサリア軍との対決となります。

勝敗を決したのは以外にも……


第100話 剣舞 


木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!

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