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第六章 98.海戦(二)

 後列のマグヌスには、後退の命令が出た。


(何が起きているんだ?)


 分からぬまま、潮に乗って列を保ったまま後退する。

 

「火だ!」


 前方からの叫び。


 突進してくるルテシア海軍は、先頭から猛火に包まれていた。


「慎重に扱えよ」


 老将ピュトンが、エウゲネス王の隣で命じた。

 

 最前列では、ピュトンが見出した「水では消えぬ火」、その特別に調合した油を敵船に浴びせていた。


 手段が最後まで課題だった。

 以前ヨハネスが当惑していた拳大の陶器に油を密封し、火を点けた布に包んで投擲具(スリング)を用い、投げ込む。


 きれいに整列していた三十隻ほどのルテシアの船の、甲板と言い、内部と言い、油が飛び散ったところから火が出る。


 船腹にぶつかったのも軽い音を立てて割れ、炎が海面に滴った。


 まもなく、海そのものが炎と化す。


「後退!」


 おそらくルテシア側ではそう命じているだろう。

 しかし、潮の勢いがそれを許さない。


 ルテシアの三段櫂船は次々と燃える海に突っ込んだ。

 風はルテシアには向かい風、勢いを増す炎が船腹を()める。


 燃える船を逃れて海に飛び込む敵兵たち。

 そこも燃え立っている。


 後列に控えたマグヌスたちにまで、その炎熱の責め苦は伝わってきた。


「恐ろしいことを……」


 誰ともなくつぶやいた。


 風上のマッサリア海軍は、炎から免れている。


 火攻めの効果を確認すると、エウゲネスは全艦に後退を命じた。

 風に逆らい、マッサリア海軍は一隻も損害を出さずにアッタリア水道の入り口まで後退した。


「ピュトン、火玉の残りは?」

「もう、ございません」


 約一万個製作した火玉を使い切っていた。


 炎を乗せた船の間を縫って、ルテシア同盟の残存勢力が正面に現れる。

 船列は乱れ、速力も出ていない。


「ほう、結構な胆力よな」


 やはり最前列にいたテトスが、感嘆の声をもらす。


「ピュトンの火計も、効果は一時的なもの。これからが本当の勝負だ!」


 テトスは指示を飛ばした。


「前列の船はアッタリア水道の島側、マグヌスたち後列の船は半島側に配列せよ。水道から出てくる三段櫂船を挟み打ちにする!」


 アッタリア水道を抜けてしまえば、潮の流れはさほどでもない。


 炎を抜けてきたルテシア海軍の三段櫂船は、ちょうど、マッサリア海軍に横腹を(さら)す形になる。


 智将テトスの面目躍如だ。


 一部燃えながら前進してくるルテシアの三段櫂船に、メラニコスの操る三段櫂船が衝角を叩き込む。

 相手は回避行動を取る(いとま)もなく致命傷を負う。


 五隻、(ほふ)ったところで、アッタリア水道から出てくる船はいなくなった。


 テトスが乗った三段櫂船が、潮の流れに逆らってゆっくりと狭い海の中ほどまで進んでみたが、すでに炎は消え、敵船の姿も無かった。


「追い打ちをかけますか?」


 報告と共に、テトスは王の判断を仰いだ。


「無用。海峡に軽装歩兵を上陸させ、占拠せよ」


 これは、後方に控えるマグヌスが動くところ。

 アッタリア水道の両側は崖になっている。


 小島に待機していた軽装歩兵を、なるべく近い海岸から上陸させ、険しい斜面を登らせる。

 水道を守備していたルテシアの陸上部隊を排除するためだ。

 もっとも、彼らの多くは、最強と信じて疑わなかった海軍が、炎に包まれ、戦うこともできずに沈んでいったのを目の当たりにして、戦意を喪失していた。


 マッサリア海軍は、一隻も損することなく、アッタリア水道を手にした。


「何隻逃した!」


 興奮が収まらぬドラゴニアが声をあげる。


「落ち着け、まだ、敵の損害の確認ができておらぬ」

「首領は、ソフィアとかいう女は討ち取れたのか?」

「王のお言葉を忘れたか? 船を沈めるのではない、要所、要所を占拠していくのだ。そうすれば、自ずと敵は壊滅する」


 ピュトンの火攻めは、確かに有効だった。

 ただ、風向き、潮の流れ、そういったものが全て計算通りだったから成功したに過ぎない。


 日暮れと共に、マッサリア海軍は基地にしている小島に戻った。


 思い思いに火を焚き、てんでに捕らえたヤギなどを(あぶ)る。


 マッサリア王の隣で、ピュトンは上機嫌だった。


「ルテシア人どもの(あわ)てぶり、ご覧になりましたか? 火玉は、攻城にも使えましょう」


 独りでワインをあおり、声がだんだん大きくなる。


「マグヌスめが勝手に放棄した植民市も、じきに取り返してみせます」

「なんの(いくさ)(いさお)も無しに」


 エウゲネスはヤギの骨を持ったままつぶやいた。


「ピュトン、漕ぎ手どものいる前でその話はするな。同じルテシア人だ」


 焚き火から離れた暗がりの中、漕ぎ手を務めたルテシアの解放奴隷たちは、押し黙ったまま、与えられた平たいパンを食べていた。


 武装していないとはいえ、その数は圧倒的に多い。


「人の心の分からぬ者に支配者は務まらぬ。ゲランス鉱山は、無事運営されているのであろうな」


 いっぺんに酔いの醒めたピュトン。


「私も義弟(マグヌス)に詫びねばならんな」


 エウゲネスは立ち上がり、砂を払った。


「マグヌスなら、この島の裏です」


 テトスも立ち上がる。


「よい。少し歩きたいのだ」

「危険です。小舟でお送りします」

「そうか」





 突然、王が小舟から姿を見せて、ヨハネスはすっかり緊張してしまった。


「マグヌスを呼んでくれ」


 マグヌスは大きな焚き火をルテシアの解放奴隷たちと一緒に囲んでいた。

 インリウム人の船の拍子取りが、慣れぬルテシアの古い歌を笛で吹く。


 彼らはヤギではなく魚を大量に捕まえたようだ。

 焚き火のそばに串に刺した魚が並ぶ。


「焼けたぞ」

「冷める前に食ってしまえ、ほら!」

「マグヌス様の分は?」

「早い者勝ち! これは俺のだ!」


 弾けるような笑い声。


「マグヌス、話がある」


 彼はすぐその人と気付き、焚き火から離れた。


「植民市の指導者ゲナイオスから改めて聞いた。誤解があったようですまなかった」

「いえ、独断で撤退はさせたのは、確かに私ですから……」

「お前独りで二十隻近い三段櫂船を沈めたことになる」


 マグヌスは、島の灌木をかき分けて進んだ時にできた頬の擦り傷を気にしながら、


「私が何を言っても、ピュトンに悪く取られてしまいますから」

「それでも、言って欲しかった。義兄弟ではないか」


 空には赤く輝く星が浮かんでいる。


「臣下の区別はつけませんと」


 あくまでかたくなである。


「そうだ、二人目の息子が産まれたという知らせ、嬉しかったぞ」


 マグヌスは無言である。

 マルガリタの子……もっとも考えたくないことを考えねばならない。


「アッタリア水道の次は、いよいよルテシア同盟の本拠地ですね」

「うむ。アッタリア水道を使えば、格段に攻めやすい」


 そこへ、酔いの回った漕ぎ手が数人、


「お客人、マグヌス様、酒も魚もなくなっちまいますぜ」

「ああ、すぐ行く。義兄上もいかがですか」


 酒を酌み交わしたのがマッサリア王エウゲネスだと知った漕ぎ手が真っ青になったのは翌朝のこと。

 

 その夜は、皆が酒に憂いを忘れて過ごした。




今回もまた、葵 紺碧 様にアドバイスを頂いて、作品を仕上げました。この場を借りてお礼申し上げます。

面白くなかった場合は私の責任です!


次回 第99話 悪夢


来週木曜夜8時ちょい前に更新いたします。

お楽しみに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マグヌスさんとルルディさんの仲を一時期疑っていたエウゲネスさんだけど、今回はちゃんと謝ったし、二人の仲が少しずつでも改善していったら嬉しいです!(*'ω'*)
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