第六章 95.父なき子
植民市から引き上げてきた市民たちは歓迎を受けたが、独断で撤退を判断したマグヌスはエウゲネス王の不興を買った。
その責任を問われる形で、ピュトンにかわりマグヌスが軍港リマーニの人員、物資の管理に回された。
エウゲネス王は島々の都市を一つずつ占領していく方針である。それに必要な物資を一手に担うリマーニの負担は大きい。
特に、緒戦で攻略したトラス島は、海賊の一大拠点であったため、多くの重装歩兵が送り込まれた。
「適材適所よの」
ピュトンはマグヌスを見て笑った。彼は熱心に物資を振り分け、兵士たちに言葉をかけていた。
確かに、兵站の担当は武の誉れから最も遠い。
「マグヌス様、我らも出陣を」
はやるヨハネスにマグヌスは笑って答えた。
「山賊退治のとき、戦場で粥をすすったのを忘れたか? 何度もとは言わない。一度、後方支援の大切さを覚えておくんだな」
マグヌスが集めた兵五千は、まだ港に留め置かれていた。残りのアルペドン兵一万五千は、去年と同様補佐官ヒッポリデスの指揮の下、運河の掘削に取り組んでいた。
留守の王宮には今度はルークが目付け役として居残った。
この日も、炎天下、矢継ぎ早にエウゲネス王からもたらされる物資の要求に応じながら、マグヌスはどこまでも青く広がる海と海岸の崖伝いに張り付いた小さな家々に思いを巡らせていた。
(海賊とて人の子、食べていく術は必要)
エウゲネスがルテシアに協力しない範囲で海賊たちの略奪を認めたのはやむを得ない。
(シュルジル峠の山賊たちのようにはいかない)
ピュルテス河の流れを変え、干拓した土地に山賊たちを住まわせようとマグヌスは考えていた。
持ち主のいない新天地、ライ麦ではなく小麦を作りたがっていた山賊たちにとっては、この上ない条件だ。
「そこ、その区画の武器は、まだ船積みするな」
「へえい」
「トラス島に向かう新しい船はどこだ? もう穀物と油でいっぱいなら、出帆しろ。風の神の穏やかならんことを!」
船員が手を振って応え、十対の櫂でそろそろと港から漕ぎ出だす。その後はニ枚の四角い帆を張って帆走し、一路、トラス島を目指す。
その喧騒の中、皆より頭一つ大きい男が、人を探す素振りで港の中を歩き回っていた。
背中に、ひときわ目立つ長剣。
「おお、マグヌス、港で見つかるとは運が良い。神々に感謝だ」
マグヌスは振り向き、
「ルーク! なぜあなたがここに!」
「火急の知らせだ」
「何でしょう」
「ここで言うのははばかられる」
彼はいつになく深刻な顔で声をひそめた。
「悪い知らせだ。内密に話せる所は無いか」
ルークは、マグヌスの良く日に焼けた腕を取った。
「みんな、作業を続けてくれ」
言い残すと、
「ルーク、どうしたんです。王宮に何かがあれば、使者を飛ばしてくれと」
「いいから部屋に入って座れ」
「それではこちらに」
マグヌスが石造りの港の監視所に案内する。
作戦会議も行われる機密を保つには持って来いの場所だ。
机の上に書類や地図が山積みになっている。
「どうしたんです?」
「いいから座れ」
ルークは押し付けるように強引にマグヌスを座らせた。
「分かりました。座りましたから話してください」
「いいか、マグヌス、落ち着いて聞け」
ルークはマグヌスの両肩を抑えるように、自分は立ったまま、衝撃的な言葉を口にした。
「マルガリタが妊娠した」
マグヌスは反射的に立ち上がろうとした。
ルークが抑え込む。
「死んだオレイカルコスの子だろう」
「まさか!」
「妊娠は確かだ。マルガリタはお前に言われた通り軟禁してある。秘密は守られている。妊娠のことを知っているのは、身の回りの世話をする口のきけない侍女と俺だけだ」
くらり、と世界が回った。
「マグヌス、しっかりしろ」
だから座れと言ったんだ、とルークは胸の中でつぶやいた。
「まだ、無事産まれると決まったわけではない。ゴルギアスに知らせるかどうかも含めて、お前さんと相談せねばと思ってな」
この地域では、生まれた子をどうするかの権限は父親が握っている。
極端な話、母の胸から取り上げて道端に打ち捨てても構わないのだ。
「マルガリタは……」
「子を流そうと必死だ。食事を摂らなかったり、寝台から飛び降りたり。お前さんを裏切った罰だ」
「罪を背負ってくる子か」
しかし、マグヌスにも非は無いか?
本妻を排し、侍女テラサを妻にしようと画策したのは事実だ。
「子に罪は無い」
「おいおい、本気か?」
ルークは背負った剣を外し、机を叩いた。
「産まれればできるだけのことはしてやろう」
マグヌスは苦悩に満ちた顔でルークに頼んだ。
「ゴルギアスに知らせてください。そして、マルガリタの軟禁を解き、身体をいたわるようにと」
ポツリと付け加えて、
「せめて女児であってくれれば」
「そうだ。地下の神グダルに頼む必要もなくなる」
ルークは不吉なことを口走る。
マグヌスは親友の手を握った。
「あなたが知らせてくれて良かった。ありがとう」
「力になれなくてすまんな」
「いいえ。今日はここで休んで、明日発ってください。いくらあなたが旅慣れていても、休息は必要」
「そうさせてもらうよ」
「鑑札は持ってますね」
「おうよ」
「私の幕屋を使ってください。テラサもいます」
それじゃ、と親友が雑踏に紛れたあと、マグヌスはしばらく椅子の背に身体を預けて立てないでいた。
(子ができたとだけ知れば、民は喜んでくれるのだろうな)
ヨハネスが入り口で咳払いしたとき、マグヌスは机に突っ伏していた。
「拳の大きさの、首の細い壺をできる限り多数」というピュトンからの要請に当惑して相談に来たのだが、
(王宮に何かあったのだな)
彼は何も言わずその場を立ち去った。
「マグヌス、パパになる?!」は、こういう顛末でした。
不貞行為をはたらいたマルガリタはどうなるのか?
今日は2作連続更新いたします。
第95話 彼女なりの理由 お楽しみに。




