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第六章 93.一筋の航路(みち)

 マグヌスは、メランから与えられたラクダにもう一頭ラクダを買い、乗せられる限りの銀貨を積んで砂の道を急いだ。


「ラクダを与える」というメランの一言は、植民市までの通行券を与えるとの意である。


 街ごとに疲れたラクダを乗り換え、身の証である黄金の短剣を示しながら、マッサリアの植民市の門にたどり着くまでに七日を要した。


 あまりにも突然に、ルテシア海賊の襲撃の予告を受けて、当初植民市では真偽を(いぶか)しんだ。

 追って、ナイロの港にルテシアの軍艦を名乗る三段櫂船が多数停泊中である旨、連絡が入った。


「ルテシアの大艦隊が確かに迫っている」


 二つの急の知らせを受けて、三つの植民市は合同で評議会を開き、事態を協議することとなった。


 マグヌスは三市合同の評議会で事態の説明をするよう求められた。

 マグヌスの将軍としての名は知られているが、マッサリア王国周辺を統一する際の彼の活躍は知られていない。


 演説の時間を計る水時計が時を刻み始めると、マグヌスはできるだけ簡略に、植民市の置かれている立場の危険性を語った。


 当然、疑問は出る。


「ルテシアはマッサリア王エウゲネス様が滅ぼしたのではなかったのか?」

「陸ではそうです。しかし、海の上では元々の海賊勢力と結びつき、厄介な同盟を組んで我々に対抗している。その勢力がここを狙っているのです」


 納得する者、天を仰ぐ者……。


「いかほど?」

「およそ百隻の三段櫂船。ルテシアの船の漕ぎ手はすべて兵士と考えてください」


 評議会がどよめいた。


「我々には十の五十櫂船しかない!」


「女子どもは商船に乗ってもらって、五十櫂船で警備し、撤退することを提案します」


 マグヌスは、持参した革袋を足元に落として大きな音を立てた。


「銀貨を持参しております。この地では銀は高い。商船の購入に……」

「待て、ここで生きる道を選んだ我々に、戦わずに放棄しろというのか?」


 植民市の指導者ゲナイオスから反論が出る。

 彼はいわゆる「諸王の一族」であり、評議会の決議によっては王にもなれる高貴な血脈を持つ。

 もちろん、指導力も並外れている。


「戦います。ただし、我々ではない」


 マグヌスは微笑んだ。


「この地を元々持っていたのは?」

「土民のエンコリオスたち」

「今は休戦中ですよね。この地を返しましょう」


 察しの良いものは、マグヌスの計略に気付いた。


「なるほど……」

「穀物の供給はナイロの港からでもできます。ここにこだわって、名のある勇者が命を落とすことこそ愚か」


 ビシリと言い切る。


「撤退も楽ではありません。ルテシアになびいた海賊たちの目をくぐって行くのですから」

「反対意見は?」

 

 二人、立ち上がった。


「俺たちは残る」


「では、エンコリオスと共同で戦ってくださいますか」

「命令するな! 皆を行かせるのは家族を守るためだ。マグヌス将軍とやら、家族の無事を請け負え!」

「いや、あなたたちにこそ来ていただきたい。海賊と戦いながらの撤退ですから、戦えるものは一人でも多くほしい」


 二人は目を合わせた。


「票決に従おう」

「では」


 じりじりするほどの長い時間を要して、マグヌスの提案は賛成多数で受け入れられた。


 多数を占める奴隷や在留外人メトイコイを残していくと言っても、植民市三つ分の市民の完全撤退である。

 ただ、敵の中に作られた市であったことが幸いして、避難の準備は日頃からできていた。


 混乱しながらも、ありったけの商船を徴発し、弱者から乗り込ませる。


「これは儂のお気に入りの女奴隷じゃ、特別に……」

「駄目だ。避難するのは市民だけだ」


 主人が逃げ出すのを知って、略奪に走る奴隷たち、庇護者を失うまいと哀願する在留外人たち……今はかまっていられない。


 かろうじて五十余隻の商船に分乗し、次々と港から漕ぎ出だす。

 外海で帆を張るが、風向きが合わない。


「焦るでない。必ず順風は来る」


 指導者ゲナイオスの横に立つ予言者が、皆の心を鎮める。


 風を待ちつつ、大きな航路を避けて確実に北上すること十日。

 岸沿いの航路を取らずに済んだのは、手漕ぎの五十櫂船と風力で進む商船の乗組員を入れ替えながら進むというマグヌスの提案によるもの。

 五十櫂船の漕ぎ手も、商船で休息を取れる。

 とはいえ、そろそろ飲み水は限界だ。


「一度、オロス島の港につけるぞ。」


 ゲナイオスの言葉にマグヌスはうなずく。


「海賊の島と思ってください」


 島の沖で、船団は海賊船と接触した。

 軍艦ではなく、櫂は多いが普通の帆船であることを見て、ゲナイオスは安堵した。


 十隻の五十櫂船が、帆を巻き上げて臨戦態勢を取り、前面に展開する。

 五十櫂船は三段櫂船に比べれば破壊力は劣るものの、鋭い衝角を備えた軍艦に変わりはない。


 ゲナイオスとマグヌスの乗る五十櫂船が、先手を取って背の高い海賊船に体当たりをかける。

 海賊船は逃げるかと思いきや、手に手に槍を振りかざして船縁(ふなべり)から五十櫂の中に飛び降りてきた。


「ルテシアの犬ども!」


 槍を手繰(たぐ)って相手を引き寄せ、剣で胸板を貫きながらゲナイオスは叫んだ。


「貴様ら、マッサリア軍か……」


 相手は、驚愕(きょうがく)した表情のまま事切れた。ゲナイオスは、死体を海へ蹴り落とす。


 マグヌスも戦っていた。

 帆柱を支える太い麻縄を切ろうと斧を振るう男の前に、愛用の湾曲した剣をきらめかせて飛び込む。


「どけっ!」


 斧はマグヌスの脳天めがけて振り下ろされた。


「クッ!」


 揺れる船の上、半身になりながら、斧を柄で受け止める。重い斧の刃先が肩に触れ、マグヌスは、声を漏らした。


「こいつ!」


 ゲナイオスの剣が、後ろから斧男の背中に斬りつけた。


「マグヌス、大丈夫か?」

「大事ありません。それより敵船を逃さず!」


 別の五十櫂船が、すかさず回り込んで、海賊船の横腹に衝角を打ち込む。三段櫂船なら一度の攻撃でバラバラにできるが、五十櫂船ではそこまではいかない。後退して衝角を引き抜き、もう一度、穴をあける。

 

「助けてくれ!」

(かせ)を、はずしてくれ!」

 

 沈む海賊船から、魂消るような悲鳴が上がる。

 海賊船の漕ぎ手は鎖に繋がれた奴隷たちだったようだ。

 為す術もなく船と運命をともにする。


「マグヌス、着物を脱げ。手当してやる」

「いいえ、自分でできますので、港へ」


 ゲナイオスは少しばかり疑問に思ったものの、深く考えずに港に残った海賊船を排除すべく号令をかける。


 半日も経たずに、港は植民市側の制圧するところとなった。

 オロス島の海賊は、以後、ルテシアに協力しないと誓約した。


 船団は、オロス島の食料備蓄の底が見えるまで、あらゆるものを徴発し、再度北に向かった。


「アッタリア水道を使わないと、やはり遠いな」 

「次の海戦はそこになるでしょう。海に慣れたあなた達の帰還は歓迎されるはず」


 マグヌスの目には、リマーニ港に向かう一筋の航路が見えていた。


単身乗り込んだマグヌスの提案は、撤退。もちろん、大人しく撤退するわけではありません。

次回、第94話 植民市の罠

来週木曜日夜8時ちょい前をお楽しみに!


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