第六章 92.たった一人の援軍
「なに、ルテシアの残党が南に進んでいるだと!」
トラス島からの知らせに、リマーニの軍港に駐留するマッサリア海軍は浮き足立った。
「南には我々が南征の際に築いた植民市があります。我々に穀物を送り出してくれる拠点」
冷静なテトス。
「あれを奪われては、あの時、はるばる海を越えた意味が無くなるではないか!」
二本の剣を叩いてドラゴニアは怒る。
エウゲネスが重々しく口を開いた。
「マグヌス、南国にゆかりの深いお前に頼みがある」
「は?」
「ナイロの大図書館長メランの口から、マッサリア王国に協力するよう、有力者たちを説得してもらえないか?」
「難しいと思われます」
マグヌスは即答した。
「ナイロは学術都市、どこかの国のためになるような動きはしないはず」
「それを承知の上で、お前だ」
「私と親しくしてくれた者にカクトスなる人物がおります。ナイロに残っておれば、メラン様の右腕になっているかと。その者と会ってみます」
「よし。南国では豊かな者が力を持つという。銀貨を持て」
「はい。王ご夫妻の肖像も入っていますし、マッサリアの富を示すには最善」
「メラニコスを護衛に付けよう」
「不要です。もしや私が古巣を慕ってマッサリアを裏切るとでも」
気色ばんだマグヌスに、王は鷹揚に笑った。
「そんなことは考えておらん」
「……すぐに発ちます。連れはアウティス一人で十分」
半ば言い捨てて、彼は自分の幕屋に戻った。
テラサが迎え、食事が用意できている旨を伝えたが、
「道中で食べていく。これからすぐにナイロに発たねばならない」
「海賊たちの間を縫って!」
テラサは声を上げたが、そのためのアウティスである。
ナイロに向かうという話を聞くと、アウティスは即座に、
「古くて壊れた青銅製品はないかね?」
「何をするんだ?」
「再製利用」
まだ飲み込めていないマグヌスに、
「戦争となれば青銅は値が上がる。安い割れ青銅を集めて回って、加工技術に長けた都市に高く売る。それを装って島々を巡り、南下すれば怪しまれない。銀貨の山を隠すにもちょうどいい」
なるほどそんな手がと、マグヌスはアウティスを見直す。
手頃な商船を一隻見繕い、危険手当込みの命知らずの水夫たちを四人雇う。
「マグヌス様、俺の部下になるのは二度目だなあ」
アウティスは、船に乗り込む前に大笑いした。
「帆船の足は遅い。間に合うか……」
焦るマグヌスに、
「その代わり、昼夜ぶっ通しで進みますぜ」
アウティスは巧みに船の進路を定め、ルテシアの影響力の弱い港を選んで辿っていく。
海賊に出会ったときは、積荷が価値のない割れ青銅だと思わせ、銀貨を握らせて難を逃れた。
「さあ、ここからは、風の神に委ねるしかねえ」
通常なら三か所ほどの寄港をすっ飛ばして、アウティスは一直線にナイロへ舵を切るよう命じた。
「夜は星が頼りだ。水夫に駄賃をはずんでやってくだせぇ」
天候は晴れ続きだった。
航海には良いが、畑作の方に悪影響はないかと、アルペドンの民をマグヌスは心配したりもする。
「見えた! ナイロの灯台だ!」
明け方、見張りの声に目を凝らす。
「先回りできた……か」
七日が過ぎていた。
港に大艦隊が居座っていないのを視認して、マグヌスは安堵のため息を漏らす。
百隻を越える艦隊が南国で作戦行動をとるとき、休息するならまずナイロの港だからだ。
少し河を遡った港の端に船をつける。
「さあ、旦那、ナイロの図書館ヘ行くならここが一番近い。俺はここで銀の番をしているから、その間に」
「頼む」
マグヌスは銀貨の入った革袋を一つつかむと船から飛び降り、客待ちしていた駱駝使いに交渉してナイロの図書館を目指した。
なんの予告もなく訪れたにも関わらず、マグヌスが当てにしていた学友カクトスではなく、大図書館長のメランが直接会ってくれた。
マグヌスがこの地を去って五年。
女学者メランは白髪の混じった髪を肩先で切りそろえ、麻の薄衣をまとって物思いにふけっていた。
「お変わりなく……突然の無礼をお許しください」
マグヌスは二十五リル銀貨を一枚、メランに手渡した。
「これが、お前が今仕えている王か?」
「王と王妃です。裏には国の紋章が……」
「訪ねてくれて嬉しい。残念ながらカクトスは東へ旅立ってしまったけれど」
「東というとあの帝国へですか?」
「政治顧問の一人として迎えられた」
「それは!」
旧帝国の流れを汲む東帝国で職を得るとは、個人的には嬉しい話だ。
「カクトスがお前に送った砂糖は届いたか?」
「受け取っておりませんが……」
マグヌスは汗ばんだ着物を握りしめた。
「海賊の略奪が酷いのです。砂糖と手紙を託されたペトラたちも襲われております」
「それでか……」
「その勢力をまとめているのは旧ルテシアの王女、三段櫂船の威力を背景に海賊たちは略奪に励んでおります」
メランが銀貨をもてあそびながら小さくため息をついた。
マグヌスは言葉を重ねる。
「その軍勢が、我らの植民市を襲おうとしております。ご援助を願いに参りました」
マグヌスは一気に吐き出した。
「我々は中立不偏」
メランの言葉は予想通りだった。
「失礼ながらメラン、私はその言葉をもう信じられません。そう標榜していた国に矢の雨を浴びせられ、守るべき五千の命を失った身なれば」
メランは、憐れむようにマグヌスを見、マグヌスはまっすぐその視線を受け止めた。
「一切手は貸していただけませんか?」
「一切。ただ、ナイロの政庁には海賊の船が迫っていると伝えよう」
思い返したように少し微笑み、
「目的地までの水と食料、そしてラクダを一頭与える」
「ありがとうございます」
マグヌスには、悠々と進む大艦隊が見えるような気がした。
植民市の防衛に必要な援軍は間に合わない。
「事ここに至っては……」
防衛するためではなく無事撤退させるために、マグヌスは独断で植民市へ向かった。
船で酔っ払って眠り込んでいたアウティスが目を覚ましたのは、日が高く登ってからだった。
「マグヌスの奴、どこへ消えたんだ?」
「マグヌス様なら夜明け前に銀貨を持って旅立たれましたよ」
水夫の一人がのんびりと答えた。
「俺を置いてどこへ?」
「さあ、話題にしておいでの植民市ではないかと」
アウティスは青ざめた。
「あそこはこれから戦場になるんだ!」
「合点がいきました。マグヌス様は、ここからは自分の領分だから、連れには良くして好きなところへ送り出してやってくれと」
アウティスはもういない相手に怒りの拳を振り上げた。
「馬鹿野郎! マグヌスの大馬鹿野郎! 帰ってこい……たった一人でどうするんだ……」
メラン説得の失敗は想定内だったマグヌス。単独行動の行方は……。
次回、第93話 一筋の航路
木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




