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第六章 91.次なる一手

 トラス島キリアには、マッサリア陸軍三千が駐屯し、今後はマッサリアの海軍基地として機能することとなった。


 無数の奴隷たちの運命を定めてきたキリアの奴隷市は、開催そのものは許されているものの、海賊が(さら)った者の売買は許可されないと周知されたため、がくりとその規模を小さくした。


 一連の処分が済むと、マッサリア王エウゲネスは将軍たちを連れ、いったんリマーニの港に立ち返ってピュトンたちと合流した。


 出迎えたピュトンは、妙に憔悴していた。

 彼は港の留守を預かる一方で、ゲランス鉱山の中から技術者を集めて何やら実験を繰り返していたらしい。


 要塞と化したリマーニ港の回りには、兵たちの需要に応えるために市が立ち並び、ピュトンはそこから食事を調達して帰還した者たちをもてなす。


 エウゲネス王以下が陸に上がって休息を取っている間に、事態は勝手に進展していった。


 海戦にはこだわらず島を一つずつ落としていくというエウゲネスの計画は正しかった。トラス島の陥落は衝撃を伴う噂となって駆け巡り、アウティスの流言の効果もマグヌスが想定した以上に大きい。


「トラス島がマッサリアの手に!」


 この情報に接して、頭の回る海賊たちは浮足立つ。


「ルテシアとマッサリア、どっちにつく?」


 多島海同盟に最初のヒビが入った。


「ざっと、こんなもんでさあ」


 アウティスは自慢げにマグヌスに言った。


 しかし、将軍たちからは楽観的な意見は出なかった。

 テトスが主催した王も交えての宴会でも、話題は自然と戦いの今後になる。


「最初の一歩が成功したに過ぎない」

「まだ、安心はならない」

「敵の本拠地ネオ・ルテシアへ向かう前には、アッタリア水道が待ち構えている」


 海軍の主力となる三段櫂船には余計な空隙(スペース)が無いため、わずかな食料や水しか積めず、毎日のように接岸して漕ぎ手に休息を取らせ、食事をさせなければならない。


「アッタリア水道は半島と大きな島に挟まれた東西に伸びる狭い海域。

 近くに補給できるような大きな都市はない」


 アウティスからの情報を掌握しているテトスが繰り返す。


「この水道を避け、島を迂回してルテシアの本拠地ネオ・ルテシアを攻めるとなると、時間がかかりすぎて人員も食料も補給できません」


 操船は上達したドラゴニアだが、彼女をしても迂回路を取るのは無理ということになる。

 当然、ルテシア側も、重大な要衝アッタリア水道は重点的に守りを固めるはずである。


「ここの支配権を握られたままだと我々には極めて不利」


 王の言葉に皆がうなずいた。


「ここだと純粋に海軍の力が問われるな」

「先の戦でも、海上では損害が大きかった」

「補給はどうだ?」


 王の問いにピュトンは眉をひそめた。


「それが……はかばかしくありません。各地で不作の報告が上がっております」


 船の乗り手が限られており、都市も小規模な今回の戦い、地元を離れた兵士は少ないはず。

 それにも関わらず不作とは。


「その代わり、儂の方では少しばかりご報告できることが」


 ピュトンは、寝椅子の脇に立っていた小姓に耳打ちした。


「初めてのお披露目となります」


 小性は、水の張られた水盤と大きな瓶を奴隷に持たせて帰ってきた。

 王の目の前に水盤が据えられる。


「これは特別に調合した油」


 水盤に瓶からトロリとした液体が注がれ、水の上に皮膜を作る。


「失礼」


 ピュトンは手燭の燃えさしに火を着けて水盤に落とした。勢いよく炎が上がる。


「木製の船に火矢が効けばと考えましてな。水差しで水をかけてみてください。水では消えぬ火でございます」


 実際、エウゲネスが半身を起こして水をかけてみると、炎の勢いはむしろ増した。


「おお、これは……」


 エウゲネスは感嘆した。


「これに浸した布を矢に巻けば、海水に濡れた船にも強力な火矢になりましょう」

「ピュトン、よく考えついてくれた。しかし、いま一つ攻撃の方法を考えてはくれまいか」

「は……」

「火矢も良い。だが、敵船の甲板が一気に火の海になるような……三段櫂船の漕ぎ手が火に(あお)られて櫂を手放してしまうような……」


 恐ろしいことを言う、と王以外の誰もが思った。

 

 三段櫂船の漕ぎ手はただでさえ狭く暗い船倉にひしめき合い、重い櫂を握る仕事を担う。

 これから夏になればただでさえ灼熱の地獄。

 乗っているのは奴隷か市民か、立場は様々あれど、一度握った櫂を放すのはよほどのとき。


「……火矢では不足ですかな」


 せっかくのお披露目にケチを付けられた形のピュトンが粘る。


「一つは火矢。だが、もっと違う方法も考えてくれ」

「は……」


 なだめられた形のピュトンが、不承不承引き下がる。

 炎はまだ燃えていた。


「アッタリア水道は一番狭い所でも三段櫂船が、二十隻以上は横に並んで戦列を組める。船が船縁(ふなべり)を並べるようなことになれば、火攻めは効く」


 テトスがさらに言葉をかける。

 

「水では消えぬ火か……どう扱うかだと(わたくし)は思います」

「皆が知恵を出すのだ」


 エウゲネスは将軍たちを見回して言った。


「焦るな。軍船を沈めようと思うな。北から、一つずつ島を占領していけば、多島海同盟は必ず崩壊する」


 しかし、具体的に次はどこか。

 それを決めかねて軍議は紛糾した。





 その頃。


 こっそり故郷ルテシアの祖霊神の神殿に詣でた者が、ネオ・ルテシアに帰ってきてソフィアに告げた。


「我々には吉兆。どの神の神託もマッサリア方面は凶作続きと告げております」

「そう。ここで敵の穀物補給路に打撃を与えれば……」


 オロス島とアッタリア水道経由の航路はいつでも閉ざすことができる。

 念のために穀物輸出の大元を断っておけばなお良い。


(決戦は次の夏。今年凶作に苦しめばマッサリアは弱体化する)


 ソフィアは大艦隊に命令を下した。


「南の大陸の、マッサリアの植民市へ!」


 決戦を来年の夏と判断したソフィアと、今年の夏と思い定めているエウゲネス王と……各々描く計略の差がどちらに有利に転ぶか、このときは誰にも予想できなかった。



ピュトンの開発した「水では消えぬ火」、葵紺碧様にアドバイスをいただきました。お礼申し上げます。


一方、ソフィアは兵糧攻めを狙いますが……。


次回、第92話 たった一人の援軍


来週木曜日夜8時ちょい前をお楽しみに!



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