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第五章 90.ソフィアの誤算

 トラス島キリア陥落の知らせは、本拠地ネオ・ルテシアにまず早船でもたらされた。

 乗っていたのはヒッポダモス以下敗残の兵たち。


「まさか……」


 ソフィアは青い目を見開いた。


 あの、自分の乗った一隻を六隻がかりで相手にできなかったマッサリア海軍が、そこまで腕を上げてくるとは。


 三段櫂船を操作できるようになるには、最低八ヶ月の訓練が必要と言われている。

 マッサリア海軍はそれを半分で成し遂げたのだ。


 続いて三隻の三段櫂船が、母港に戻る。


「ゆっくり休んでちょうだい」


 疲弊し、悔し涙を浮かべる乗員たちを、ソフィアは労った。


「責任は三段櫂船五隻でキリアを守れると判断した私にあります」


 精根尽き果てた乗組員を、ネオ・ルテシアの仲間がいたわり、宿所ヘと肩を貸す。

 漕ぎ手は奴隷ではなく、マッサリアの侵攻によって国を追われた市民たち。

 替えがたい仲間である。


 季節は初夏。

 ソフィアは麻で薄く織った純白の着物(キトン)を、かすかな風になびかせながら港に出た。


 ネオ・ルテシアの深い湾に停泊中のおよそ百隻の三段櫂船。

 

「この大艦隊がある限り私たちは負けない」


 この地に新しい希望を持って移住してきた市民たち。

 ソフィアになら王国の再建ができると信じてくれる人々。

 彼ら、彼女らの期待が、細いソフィアの双肩にかかっている。


 彼女は冷静にルテシアの勢力を分析した。

 冬の嵐をついて彼女が各地の有力者を説得して回った効果が目に見え始めている。


 すでにマッサリア行きの航路はほとんどが西回りのオロス島か東回りのアッタリア水道を経由し、その双方がルテシアの影響下にある。今度飢饉が起きれば、南からの穀物輸送を断って、マッサリアを窮地に追い込むことができる。


「トラス島もきっと取り戻してみせる」


 彼女は決意を心に秘めた。


「五隻出して生き残ったのは三隻……」


 ルテシア側には新たな三段櫂船を建造する望みは薄い。

 今回の海戦を予知した商人たちが、帆布と言い木材と言い、船の建造に必要な物資を買い占めてしまい、価格は高騰している。

 かつて豊かな森に恵まれていたルテシア王国とは立場が異なる。 


「百隻の三段櫂船が私たちのすべて」


 大艦隊を確認して気持ちを落ち着かせたあと、ソフィアは港の外れの洞窟に向かった。


 奥は格子で仕切られている。

 その狭い空間で舞を舞っている少女がいた。


 暗い洞窟、粗末な衣装、歌も笛もないのに確実に拍子を刻んで手を振り、足を踏み鳴らす。

 洗練された芸に、ソフィアも思わず見入った。


 少女が舞い終えるのを待ってソフィアは語りかけた。


「ペトラ。もうお前を売ることはない。敵の将マグヌスを知るお前は大事な駒。大切に使わせてもらいます」

「負けたのね」


 少女の一言が矢のように胸を刺す。


「舞踏団のみんなはどうしたのよ! この人非人!」

「そうね。緒戦は負けたわ」


 あっさり認めた。


「次は負けない。マッサリアがいかに頑張ってかき集めても、軍艦の数では遠く私たちに及ばない。今回の戦いでも、海戦は私達の勝利だったわ」

「……そう言っていられるのも今のうちよ。知恵比べでマグヌス様には敵わないわ」

「海の上で私たちに(かな)う者はいない」


 ペトラは格子の隙間から手を伸ばした。

「クリュボスは無事なの?」

「無事よ。あなたが大人しくしている限り、彼の安全は保証するわ」


 ペトラは唇を噛んだ。

 彼女の最大の弱点──護衛にもならぬ護衛係クリュボス。


「ふ。こんなところで時間を潰している場合じゃないわ。さよなら、ペトラ。またね」

「待ちなさいよ、仲間をどうしたの! 答えなさい!」




 その、舞踏団の一行は、一足先にマグヌスに保護されていた。

 口々に、ペトラとクリュボスが、ネオ・ルテシアに囚われていることを訴える。


「やあ、マグヌス、いい侍女が増えたな」

 

 軽口を叩いたのはメラニコス。


「今回の働き、ご立派でした。で、お言葉ですがこれは私にゆかりある者たち。侍女ではありません」

「ほう、知り合いがいたのか」

「それより、重装歩兵の輸送は順調ですか?」

「テトスが、抜かりなくやってる。総勢三千人が運ばれて来る」


 マッサリアは、快速の三段櫂船とは別に船足の遅い商船で多数の重装歩兵をトラス島に輸送していた。


「俺たちは荷物じゃ無いと騒いだそうだ」


 メラニコスは苦笑する。

 ふふっとマグヌスも笑って、


「もう一つの都市を落として、トラス島を完全に制圧したら、良い基地になります」

「王もそうお考えだ」

「こちらが順調なら、私はいったんリマーニに帰らせていただきます。やらなくてはならないことがありますから」

「王もお許しになるだろう」


 メラニコスは、うなずいた。




 早船で二日。

 マグヌスは、乙女たちをリマーニの港に送り届けた。


「ここはもうマッサリアだと思っていい。ゆっくり休んでくれ」


 テラサに世話を頼む。

 それから、


「アウティス! どこだ!」


 マグヌスの幕屋で、図々しく主の寝台に寝そべっているのを発見した途端、見たことのない女が二人裸を隠して飛び出した。


「……いや、これはちょっとしたいたずらで……」

「どうでもいい。これから至急やって欲しいことがある」


 叱り飛ばされると思ったアウティスは、キョトンとマグヌスの顔を見る。


「マッサリア海軍がルテシアに勝ったと、トラス島を制圧したと、お前の知っている限りの情報網で流してくれ」

「海戦に勝ったんで?」

「そちらは実を言うと微妙なんだが……それはいい、とにかくルテシア海賊は敗北したと噂を流せ」

「で、いくらになるんで?」 

「お前の首だ。私の寝所に女たちを勝手に連れ込み、どうせ好き放題飲み食いしたんだろう」

「ヒョエッ、かしこまりました」


 アウティスが衣服をつかんで立ち去るのを見送ってから、マグヌスは港近くの丘に登った。


 巨大なリマーニの港が一望できる。

   

 全力で作って八十隻の三段櫂船。

 ルテシア側には百隻を超える三段櫂船があることを物見の兵は知らせていた。

 今回のように、船の損失を軽んずる戦い方をすれば、船の数に劣るマッサリアは必ず最後には負ける。


 大海戦は次の段階へ入ろうとしていた。


「緒戦はこれで良い。真価が問われるのはこれからだ」


 彼は足元の白い石を拾い、力いっぱい遠くの青い海に投げた。


 


第90話をもって第5章終了となります。


勢いに乗ってマッサリアが覇権を握るのか。

ルテシア海軍の巻き返しなるか。


来週木曜日夜8時ちょい前をお楽しみに!

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― 新着の感想 ―
[良い点] マグヌスさんの情報操作でルテシア敗北の噂がどのような効果をだすのか!?とても興味深いです! 戦争ではこういう情報操作みたいな作戦もきっと重要な要素の一つなんだろなぁ。
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