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第五章 89.撤退

「海上では圧倒していたのに……」


悔しくて目に熱い物がこみ上げる。


(マッサリア兵に上陸を許してはならぬということだ)


 引き上げていくルテシアの海賊船──三段櫂船──はどれも船足が遅かった。

 漕ぎ手たちは疲弊している上、船を軽くするために風を捉える帆や帆柱を、キリアの港に置いてきた。風の力に頼れない。


 幸運だったのは、占領したキリア市の雑事に手を取られ、マッサリア軍には追い討ちをかける余力がなかったことだ。


 太陽はすでに右手に沈んだ。

 西の空だけが真っ赤に燃えている。

 帆柱に掲げた緑の旗も赤く染まっていた。


(ソフィア様がなんとおっしゃるか)


 マッサリア海軍とは互角以上の勝負をした。

 海戦としては勝利である。


 キリアが抵抗を止めさえしなければ、マッサリア海軍を全滅させることもできたはずなのだ。

 とはいうものの、マッサリア海軍は以前接触したときとは比べ物にないほど進歩していた。

 

 ヒッポダモスは現実を受け入れるしかなく、五隻でトラス島の守りは十分とした自分の考えが間違っていたと悔やんだ。


(信じられないほど強くなっている)


 トラス島を失った痛手は大きい。

 襲った船から拉致した人々を奴隷として売る先はトラス島だけではないが、トラス島ほどの規模は見込めない。


「ヒッポダモス、どこかに船を付けて夜を過ごそう」


 仲間の言葉に、我に帰る。


「ここからなら、ミストラスの岬付近の砂浜かな」


 三段櫂船は、戦いに特化した船である。

 内部には煮炊きはおろか、横になる空間さえない。


 彼らは、疲れた身体に鞭打って、砂浜までを漕ぎきった。

 舵を破損しないように気をつけながら、船尾を砂浜に乗り上げさせる。

 船首から左右の(いかり)を下ろし、船を固定する。


 波が来ない砂浜に焚き火をおこして身体を暖めた。夜はまだ冷える。


 一連の作業が終わると、皆が砂浜に寝転んだ。

 上弦の月が空の真ん中に浮かんでいた。


(連中、潮の影響が少ない時期まで選んでやがった)


 そこまで腕を上げていたマッサリア海軍を侮った自分が口惜しい。


「腹が減った」


 念のためにと一回分だけパンと水を載せていたのが幸いした。

 重い身体を起こして、食料を船底から運び出す。


「食え。食って、明日は次の港までまた漕がねばならん」

「……岬の裏の港で勘弁してくれ、ヒッポダモス」

「ああ。もちろんだ」


 港から早舟を出して、ネオ・ルテシアまで三日。


「マッサリアの連中が追ってこなくて助かった」


 部下の口から漏れた弱音を、ヒッポダモスは聞き逃さなかった。


「マッサリアが怖いか?」

「……怖い。あいつらは、船を道具として扱い、陸戦を組み合わせて戦う。俺たちには無いやり方だ」

「……そうだな」

「次は純粋に海の上で決着を付けよう」

「分かった。もう休め」


 夜空には白々と銀河が流れていた。


「俺は子供の頃のマッサリア王に会ったことがある」


 部下には休めと言ったものの、ヒッポダモスの口からは昔語りが流れ出る。


「あれは、マッサリアで政変があった翌年のこと。国は吹けば飛ぶようなものだった……俺は、代替わりの挨拶にルテシアの代表として派遣された。」

「十年も前のことか」

「そうだ。挨拶の口上を述べたときのエウゲネス王の顔は忘れられない」


 ヒッポダモスは寝返りをうった。

 焚き火を見つめながら、


「いつか上に立ってやる……子供のながらに凄まじい眼力だったよ。実際はまだ、ピュトンの操り人形だったが」


 大きすぎる玉座に座り、真紅の上着を羽織って、真っ向から視線を向けてきた幼い日のエウゲネス。

 横に立つ若き日のピュトンが耳元でささやくのをうるさげに聞き流していた。


「母殺しの王は傀儡(かいらい)にはならなかったか?」

「それともピュトンに王に取って代わるまでの野心が無かったか……詳しくは知らん」 

「そして今、彼らの手によって西帝国統一の悲願が成就するのか」

「いや、まだまだだ。まだ百隻の三段櫂船が我々にはある。海上で譲る気はない。ソフィア様だってそうだ」

  

 部下が、砂の上に落ちていた木の枝でヒッポダモスをつついた。


「寝よう」

「ああ……」


 部下は枝を焚き火に放り込んだ。


 ルテシアの民である彼らは知らない。

 ピュトンも応分の野心をもって政変を起こしたのだ。

 しかし、その後に起きた天変地異、飢饉と疫病で、彼は一族もろとも、一切の家族を失った。


「先の王妃の呪い」


 黄色いオオカミの姿を取った奇怪な現象がそこかしこに現れた。


 彼は(しい)した先の王妃の呪いを恐れ、エウゲネスに手出しできなかった。


(いくら栄華を極めても儂の代で我が家が絶える)


 彼が苦悩を抱えている時、若々しいエウゲネス王は救世主に見えた。


 エウゲネスもまた、不吉な予言を受けていた。


「この子が王位に着けば血は絶えるが国は栄える。こちらの子が王位に着けば血は栄えるが国は滅ぶ」


 異母弟のマグヌスが追放される前のこと、どちらがどちらを指しているのか分からない。


「王家まで、国まで絶やしてなるものか」


 ピュトンの目的と王の野心が合致し、含むところはあっても幸いにも血を見ることなく二人はマッサリア王国の拡大に邁進(まいしん)してきた。


 今回、全く新しい海戦に乗り出すに当たって老将ピュトンには難しかろうと陸に残留させて来たが……。


 それも、すべて、ルテシアの民の知らぬこと。


「……ソフィア様、お許しを……」


 ヒッポダモスも眠りに落ちた。



追い打ちこそ無いが、撤退するルテシア海軍に夜風は冷たい。

次回、ソフィアの誤算 で、第5章完結です。


来週も木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!

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