第五章 88.攻勢
ゴウッとうなりを上げて岩が宙を飛んだ。
マッサリア軍は予備の櫂の代わりに、投石機を分解して三段櫂船に積んでいたのだ。
重装歩兵たちが前線で戦闘を続ける一方、漕ぎ手はテトスの指揮下、投石機を組み立て、浜の手頃な岩を市街に叩きつけた。
キリアの建物は大半が木造……命中したところから簡単に崩れ落ちていく。
「最初に驚かすだけでいい。むやみと撃つな」
テトスは命じた。
やがて両軍入り乱れての戦いになれば、射出された岩が味方を傷付ける可能性もある。
眼の前で建物が崩れ、城壁が自分たちを守ってくれないと感じたキリアの市民たちは恐慌に陥った。
「無駄だ、無駄だ、無駄だ!」
二十の小勢を率いてメラニコスが門の守備隊に突っ込む。
ルテシアの三段櫂船から外して港に放置されていた帆柱を、適当な丸太と心得て部下に命じ、抱きかかえて勢いよく門に突き立てる。
数回の衝突で門の扉は破れた。
「進め!」
ドラゴニアの甲高い声が響いた。
キリアの兵士たちは建物に潜み、年寄りや女たちまで屋根に登ってマッサリア兵に瓦を投げつける。
「手が付けられん。蛇の頭を落とさねば……」
マグヌスは唇を噛んだ。
キリア市民の抵抗はマッサリア軍の前に無駄であることは明白だが、ここまでの敵意は想定していなかった。
マッサリア軍は、当初の突入の勢いを削がれ、いったん占領した建物内に避難する。
先ほどのマグヌスの言葉を聞いたメラニコスが叫ぶ。
「キリアの集会所はどこだ!」
それに応えるように、
「メラニコス!」
やけに馴れ馴れしい呼び方をする女の声が聞こえて、彼は嫌な予感がした。
ゆっくり振り向くと、見慣れた栗色の髪が目に入った。
「……フリュネ」
「あなた!」
場所もわきまえず、彼女はメラニコスに抱きついた。
「こらっ、皆が見ている。時と場所を考えろ」
小声で叱るが、動じるふうの全く無い様子で、
「こちらです。キリアの集会所へご案内します」
「む。それは助かる。どこだ!」
「こちらへ」
「待て」
メラニコスは自分の兜を脱いでフリュネに被せた。
フリュネは白い歯を見せて笑った。
「あなたの変わらぬ愛を感じるわ」
「道案内の頭を砕かれては困るというだけだ」
ポンと兜を叩く。
「マグヌス、ドラゴニア、付いて来い!」
フリュネをかばいつつ、メラニコスは走り出した。続いてマッサリアの重装歩兵が礫の中を駆け抜ける。
キリア市の奥まった所にフリュネは兵士たちを導いた。そこで指を唇に当て「静かに」と合図する。
そして兜を脱ぎ捨て、自分だけ堂々と歩いて大きな建物の入り口に近寄り、
「守備兵さん、お客様をお連れしましたよ」
それを合図に入り口は大きく開かれ、中からキリア市の軽装歩兵が繰り出した。
「フリュネ! 謀ったな!」
身構えるマグヌスたち。
と、そこへ、
「いや、偽りではない」
白い髭を生やした年寄が歩兵に守られながら現れた。
「投石機を止めてくれんかの。話し合いに応じよう。儂はキリアの集会の長じゃ」
「俺たちが突入したら止める手はずになっている。心配無用。そちらも手出しを止めてくれ」
ドラゴニアが会話をさえぎった。
「王をお呼びしたほうがいいと私は思うが?」
「そうだな」
伝令が走る。
エウゲネスはテトスを従え、悠然と姿を現した。
「私がマッサリア王のエウゲネスだ」
「おう、エウゲネス様、噂に違わぬ戦上手。キリア市は降参いたします」
「いいだろう」
「……ただし、これまでどおりの商品の売買を認めてくだされば」
長は上目遣いにエウゲネスを見た。
「ふむ。それが条件か」
エウゲネスは少し間をおいて答えた。
「海賊がかどわかして来た者でない限り許す。念を押すが、多島海同盟への貢献は禁止だ」
老人は長いため息をついた。
「承知つかまつった」
いつのまにか日は落ち、松明の灯りの中で両者は手を結んだ。
トラス島キリアはマッサリア王国の手に落ちた。
記念すべき瞬間に、フリュネはマグヌスの腕をつかんだ。
「マグヌス、あなたの大事な人たちに会わせてあげる」
(はて、心当たりが無い……)と思いつつも、マグヌスはヨハネスを護衛に連れてフリュネに従う。
「お待ちどうさま。あんたたちの待ってた人だよ」
フリュネは大股で宿屋の一画に造られた牢獄にマグヌスを案内した。
「誰よ?」
「あんたたちが散々呼んでたマッサリアのマグヌス将軍だよ」
言いながら、閂を外す。
乙女たちが飛び出してくる。
「マグヌス様、ペトラさんが……」
「私たち海賊に捕まって売られて来たの」
当然マグヌスは舞踏団の乙女たちと面識はない。
十人の乙女たちが、呆然としているマグヌスに取りすがってすすり泣く。
「ペトラだって? 彼女なら知ってる。彼女も捕まっているのか?」
「そうです」
「事情はおいおい聞こう。それより、フリュネ、ルテシアの間諜だったお前がどうしてここにいる?」
「私も売られたのよ。薄情なメラニコスにね」
「見たところ、自由に歩き回っているようだが?」
フフンとフリュネは鼻で笑った。
「奴隷商人を手玉に取るなんて、私には簡単なことよ。あんたみたいな堅物には通じないけど」
言いながら無意識にだろうが媚びた微笑を見せる。
「戦いは終わったんで?」
建物の入り口から、二人の男が顔を出す。宿屋の主人と舞踏団を連れてきた男だ。
似合わぬ甲冑を着け、兜は被っていない。
ヨハネスが身構えた。
「陸戦ではマッサリア王国の勝利だ。キリア市は降伏した」
「……ああ……おしまいだ……」
「悲観するな。貿易はこれまでどおり許される。ただし、海賊が攫った者は除く」
と言って、マグヌスは乙女たちを背後にかばった。
「マグヌス! 私も連れて行って!」
フリュネが悲鳴のような声をあげたが、奴隷商人たちに手首をつかまれる。
「残念だな、お前はきっちり売られて来たんだよ。お前の居場所はここだ」
フリュネは身をよじった。
「いやあぁぁー!ペトラの仲間を教えてあげたじゃない! 一緒に連れて行ってよ! マグヌス、恨んでやるッ!」
フリュネの恨み言を背中で聞いて、マグヌスはヨハネスに乙女たちを護衛させて、王の元へ戻った。
「私にゆかりの者たちがおりましたので、一足先に解放させていただきました」
「メラニコスから聞いたが、フリュネはどうした?」
「この地に奴隷として留まります」
エウゲネスが不快そうな声を上げた。
「道案内したのはフリュネだろう。連れ帰ってやっても……」
「お言葉ですが、正規の売買は認めるとおっしゃったのは王ご自身では?」
「む……」
買えない金額ではないだろう。しかしこの諍い女を再び王宮にいれるのははばかられる。エウゲネスは諦めた。
愛のあるふりをして道案内をさせたメラニコスが、心底ホッとしたようなため息をつき、テトスが笑いをこらえた。
今回は、貴重な三段櫂船の犠牲を厭わぬエウゲネス王の戦略が当たりました。
しかし、これは一度きりしか使えぬもの。
来週も木曜日夜8時ちょい前をお楽しみに!




