第五章 87.得手不得手
ルテシアの船団は、数で上回るマッサリア海軍の主戦力である三段櫂船五隻を沈めることに成功した。
海上では明らかに優勢だったのである。
しかし、マッサリア海軍の最大の目的は、トラス島の都市キリア周辺に重装歩兵を上陸させることにあった。
そのため、三段櫂船には通常十名の重装歩兵が乗るところ、無理をして二十五人も詰め込んでいた。
彼らは港の小舟を押し潰して接舷し、あるいは港の外の浜辺に乗り上げて、陸の強者である重装歩兵をトラス島に送り込んだ。
キリアの防備は低い石塀に木の門。
二百人あまりの守備隊が港と都市の間の防備に配置されている様子である。
そこに戦い慣れたマッサリアの戦士たちが襲いかかった。
先頭を切るのは竜将ドラゴニア。派手な姿でてきぱきと指示を出す。
「敵は散らばっている。隊列は組むな」
「門の守備は手薄だ。排除せよ」
続いて別の船から上陸したマグヌスが指示を出す。
散開したキリアの兵を追い散らし、マッサリア兵は門に殺到しようとする。
させじとキリアの兵が剣を振るう。
海戦をもっぱらとして上陸されないことを前提としたルテシア側の作戦──それは、破綻しようとしていた。
「船はずいぶん残ったな」
遅れて上陸したのはテトス、メラニコス両将とエウゲネス王。
マッサリア海軍の船列は乱れていたのではない。
わざと王の乗る船を遅らせていたのだ。
王が上陸して初めて必勝の陸戦の形となる。
「クソッ!」
思惑に気付いたヒッポダモスが地団駄を踏む。
「港に停泊中の敵船を潰せ!」
マッサリア側も無策ではない。
重装歩兵歩兵を下船させたあと、八隻の三段櫂船が港を離れて海上に展開し、三隻となったルテシア海軍とにらみ合う。
その隙に小回りの効く五十櫂船が行き来し、漂流者や櫂──真っ直ぐで長い木は貴重なのだ──を拾い上げていく。
マグヌスの細やかな指示である。
(連中、腕を上げている)
それは、ヒッポダモスも素直に認めなければならなかった。
二度目の海戦が始まった。
先ほどとは攻守の位置が入れ替わっている。
狭い湾を背にしたマッサリア軍八隻は、船の間が狭まり、操船が難しい。
「隙を見せて誘い出せ」
ヒッポダモスが指示を飛ばす。
三隻の三段櫂船は、ゆっくりと右回りに海上に大きな円を描いて旋回を始めた。
ここに衝角を当ててみろと言わんばかりに、船体の横腹を見せつける。
つられて、マッサリア船数隻が前進、波を蹴立てて突進する。
甲板の下、薄暗い船倉に響く突撃の合図に合わせ、漕ぎ手たちは汗みずくになって櫂を操っていた。
「こら、待機と言われているだろうが!」
船に残っていたマッサリア兵が止めようとするが、将軍たちは皆、上陸してしまい、威厳の欠ける残りの将官ではインリウムの船長たちを抑えられない。
先頭に立って突っ込んでくるマッサリアの三段櫂船を見て、ヒッポダモスはニヤリと笑った。
「三番船、加速! そのまま直進してかわせ!」
急に加速した相手に、マッサリア船は目標を失って戸惑った。
「前進止めー!」
だが、衝角攻撃を意図していたマッサリア船の勢いは止まらず、ルテシア船の描く包囲の輪の中にとらわれる。
「一番船、突っ込め!」
ヒッポダモスの乗った一番船が、勢いの落ちたマッサリア船の喫水線に衝角を突き立てる。
櫂を反転させて後退。
そしてもう一度。
罠に落ちたマッサリア船は、右舷側を徹底的に破壊され、破片と漕ぎ手たちを吐き出しながら沈んでいった。
三段櫂船は、速力を重視して徹底的に軽く作られている。
だから、ある程度まで沈むと舳先を下に傾いたまま海面に浮かび、溺れかけた漕ぎ手が取り付いてよじ登って助けを待つ。
「あれはどうしましょう?」
船長の言葉に、
「ほっとけ。それよりももう、簡単に罠にはまってくれんぞ」
マッサリアの軍船は慎重になった──というより、おそれをなして攻めて来なくなった。
「ならば、こちらから行くまでのこと」
湾から少し出て隊列もバラけたマッサリアの三段櫂船──。
群れから離れた鹿を狙う獅子のように、ルテシアの三段櫂船は一隻を取り囲む。
逃げ場を失った船は、突破しようと前進を試みる。
その後ろから、櫂を収納したルテシア船がすれ違いざまに体当たり。
激しい衝撃と共に櫂を折られ、動けなくなる。
あとは衝角の一撃だ。
「よし」
最初から心してかかっていれば、二隻も貴重な船を失わずに済んだものを、とヒッポダモスは思う。
「キリアは……キリアはどうなっている?」
彼は、船尾から船首まで走り、一番高い所に立って手をかざした。
彼が一番心配した煙は見えなかった。
(火は放たれていない)
木造の都市だから火攻めは有効なはずだが……。
多少の疑問を残しつつ、彼は手持ちの三隻で、マッサリア軍に最大の痛手を負わせようと算段していた。
「火攻めはやらない」
エウゲネス王は、黒将メラニコスの進言を却下した。
「キリアには多くの奴隷が囚われている。火攻めにすれば奴隷たちの命を奪うことになる」
以前智将テトスが進言した兵糧攻めも同じ理由で却下されていた。
魚以外に大した産物の無い島である。
数万とも言われる奴隷を食べさせるには、食料の輸入が欠かせない。
「手はかかっても攻め落とせ。マッサリアは非道だという噂を打ち消せ」
王の命令の下、兵士たちは石壁に取り付いていた。
都市の外にいた兵士たちは多くが逃げ戻り、ピタリと城門を閉ざして抵抗を続ける。
「王よ、準備が整いました」
後方で作業を進めていたテトスが、エウゲネスに報告に来た。
「手間取ったな」
「は。申し訳ございません」
「その位置から撃てるのだな」
「はい」
「よし、始めよ!」
王は手を振って合図した。
マッサリアは、軍船の損失を度外視して得意の陸戦に持ち込もうとします。
来週も木曜日夜8時ちょい前をお楽しみに!




