第五章 86.緒戦
マッサリア側が、トラス島の攻略を真っ先に考えたのは当然である。
出撃地点であるリマーニ港に最も近く、かつ、海流は比較的穏やかであり、海賊が資金源としている奴隷の売買にも打撃を与えることができる。
「船を沈めようと思うな。島を一つずつ奪っていくと考えれば、陸の戦と大差ない」
マッサリア王エウゲネスは配下の将軍をリマーニ港に集め、改めて対海賊の心得を説いた。
「地図が無くてすみません」
と、頭を下げたのは、遅れて駆けつけたマグヌス。
相変わらず鎖帷子に着物の軽装だ。
彼は全軍の中から、マッサリアに忠誠を誓う精鋭五千の兵のみを率いて出陣した。
「船に乗れる人数は限られておりますから」
「気にしなくてよろしい。お前が派遣してくれたアウティスが、航路を詳細に私たちに教えてくれた」
今のところ、最も順調に訓練を進めているドラゴニアが応じる。
「彼は今どこに?」
「この基地の一室でお前が来るのを待っている。酒をくらいながらな」
テトス、メラニコス、ドラゴニアの三将軍がくすくす笑った。
「面白い男を見つけたものだ」
「戦を忘れたときに宴席に侍らせてみたいものよ」
見聞の広いアウティスの話が、内陸国マッサリアの将の興味をそそったようだ。
「王の御前である」
重々しく言ったのは、老将ピュトン。
彼は、居残って港の警備に着くことになっていた。
「リマーニの潮を見る占い師に聞いたところ、吉兆は明後日。潮の流れが最も穏やかだという」
さすがの智将テトスも慣れぬ戦とあって、占い師の力を借りたようだ。
マグヌスが小さくうなずいていた。
彼は彼なりに潮の干満の知識を持っているらしい。
「明日、夜明けとともに出港、トラス島への中継港まで進み、明後日、島の海賊どもを叩き潰す。それまで、皆、よく休め」
王の言葉で、軍議は解散となった。
二日後──。
「島影が見えるぞ!」
船首に立った見張りが声を上げた。
「三段櫂船だ。四隻、いや五隻!」
ルテシア側はトラス島の守りに五隻の三段櫂船を配置していた。
先の接触でそれで十分と踏んだのだ。
マッサリア側は四倍の二十隻。
両者共に船を軽くするために帆と帆柱をつけていない。
臨戦態勢である。
「連中は弱いぞ。数だけいてもコケ脅し!」
ルテシア側の指揮を取っているヒッポダモスが叫んだ。
横一列の体制を取って相対した両軍だが、動きは明らかに島を背にしたルテシア側が良い。
マッサリア側は整列もままならず、左翼の船に至っては大きく後退していた。
「左翼、回り込め!」
ヒッポダモスの命令一下、左端の一隻が、見事に櫂の動きを合わせて波の上に弧を描き、マッサリアの最右翼の船と直角の位置をとる。
「前進!」
マッサリアの船はかわそうと速度を上げたが、逃すわけもなく、見事に衝角で捉えた。
船腹には穴が開き、ひび割れが周囲に走る。
船内にどっと海水が流れ込む。
「一つ上がり!」
それを見ていたヒッポダモスが意気揚々と叫ぶ。
「今だ!」
逆に叫び返したのはマッサリア兵。
「渡り板を持て!」
鈎のついた長い板が沈みゆくマッサリア側からルテシアの三段櫂船に素早くわたされる。
「乗り移れ!」
二十五人の重装歩兵を先頭に、槍の穂先をきらめかせて板を渡る。
漕ぎ手も溺れてはたまらないから、剣を握ってその後に続く。
「うわあ、来るな!」
意表を突かれてルテシア船の甲板上は大混乱に陥った。
ルテシアの重装歩兵が駆けつけ、乱入者を排除しようとしたが、数で勝負にならない。
たちまち叩き伏せられてしまった。
軽装の漕ぎ手たちは、戦おうとするものと逃げようとするものに別れたが、区別無くマッサリア兵の槍にかかった。
「連中、船は捨てるつもりで……」
ヒッポダモスが呆然としてつぶやいた。
「早く後退しろ!」
ルテシア船の船長が命じたが、時すでに遅し。
彼の間近にまでマッサリア兵の槍が迫っていた。
絡み合った両船は波の力で激しく揺れる。その度にマッサリア船の横腹に突き刺さった衝角は上下左右し、穿たれた穴は大きくなった。
ついに、ゴッ! という音を立ててルテシア船の衝角は、敵船の構造材を崩しながら後退した。持ち場を守ったルテシアの漕ぎ手が力を振り絞って櫂を反転させ、懸命に漕ぐ。
渡り板が落ち、上に乗っていたマッサリア兵が悲鳴の尾を引きながら海中に転落していった。
マッサリアの三段櫂船は水流の勢いで徐々に分解した。構造材はバラバラになって、海上を漂う。
青銅の衝角だけは真っ直ぐに海底に沈んでいった。
「助けてくれ!」
板につかまって海上を漂う漕ぎ手がわめく。
だが、彼らを救う間もなく、海戦は続いた。
ルテシア側は攻撃の手を休めず、二隻目がこれも真っ直ぐにマッサリアの三段櫂船の舳先近くに衝角を突き立てる。
そして、渡り板を渡されるのを警戒して、すぐに後退した。
「さすがだ。同じ手は効かぬとみえる」
貴重な三段櫂船二隻を失っても、マッサリア王エウゲネスは平然と言った。
「よし、そこだ!」
勢いよく後退する船に、大きく回り込んでいたマッサリアの三段櫂船が体当たりを試みる。ソフィアにやられたお返しというわけだ。
が、残念ながらマッサリアの操船技術は劣り、楷だけ折ってすれ違うことはできなかった。
ルテシア船が後退する勢いそのままに、互いの三段櫂船は衝突し折れた楷が絡んで、どちらも身動きできなくなった。
船体にヒビが入り、沈みながら双方ともに板を渡そうとしてせめぎ合う。
マッサリアの重装歩兵が甲板に駆け上がって、船尾の指揮所を狙って槍を投げるものの、陸と違って不安定な船の上、槍は大きく逸れて損害は無い。
「船の陣形は乱れた。十分だ」
港の前に陣取っていたルテシアの三段櫂船の列が、切れぎれになっていた。
「エウゲネス王よ、ご準備を」
「む。お前も共に」
「はい」
マグヌスが答えた。
甲高い笛の音が鳴り響いた。重装歩兵への合図だ。
「港へ!」
動ける限りのマッサリアの三段櫂船が、湾の入口を固めていた防衛用の五十楷船を蹴散らしながらトラス島キリアの港に殺到した。
三段櫂船(ガレー船)の格闘、いかがでしたでしょうか?
あと、章の名前を「トラス島の攻防」に変更しました。
次週も木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




