第五章 85.奴隷市
「助けてください! 私たちバラバラになりたくありません!」
舞踏団の一人の悲痛な声が暗い丸船の中に響いた。
女団員全員が、同じ貨物船の中に押し込まれている。
浅黒い肌に黒い目、癖のある黒髪……全員がそうで、背丈も、すんなり伸びた手足も似通っている。
「そりゃあ、買い手様次第だ。お前たちをまとめて買う金のあるお大尽に会うように祈るこったな!」
「ペトラさんと一緒じゃないと……」
「あの女は別だ。お前たち全員以上に価値がある。ソフィア様が手元に置かれる訳さ」
低い泣き声が船内に満ちた。
「けっ、じめじめしやがって」
男は甲板の隙間から顔を出した。
晴れた空に太陽が耀き、帆は風をいっぱいにはらみ、航海は順調そのものだ。
男はまぶしさにに顔をしかめる。
「船長さんよ、もう着くかい?」
「あぁ、待たせて悪かったな。まもなくトラス島だ」
船内に小さな悲鳴が走る。
トラス島のキリアは小さいながら奴隷の売買の地として有名だからだ。
「さあ、目的地だ。降りる準備をしな」
準備と言っても奴隷たちは身一つだ。
「フラフラしねえように足の曲げ伸ばし!」
「──はいッ」
ペトラは舞踏団の仲間にそれなりの衣類を支給していた。装身具も。
それらすべて奪われて、みすぼらしい麻の着物一枚にされると、同時に彼女たちの持っていた自尊心も剥ぎ取られてしまった。
(ナイロでは名の売れた舞踏団だったのに)
彼女たちは涙で顔を汚し、唯々諾々とソフィア配下の男に従った。
ガクンと衝撃があって、船は港についた。
「さあ、降りな。余計なことは考えずに」
短い渡り板を踏んで陸地へ。
「ここがトラス島だ」
島の中央に高い山がそびえ、麓に都市キリアがある。
裏側にももう一つ都市があるが、そっちはもっぱら漁業で栄え、塩の効いた干物が名物な小都市だ。
島の中で比べれば大きいと言っても南国のナイロとは比べ物にならないお粗末さだが、ここが、多島海の奴隷たちが行き着き、売られて去って行く所。
低い城壁に開いた門を通って左手に広場。
今日も多くの買い手で賑わっている。
奥に一段高い場所があって、そこに次々と様々な人種、年齢、性別の人間が引き出され、競りに掛けられる。
奴隷たちはおおよその年齢、特技などを書いた札を持ち、ほとんどは裸で立たされていた。
「お前たちもあそこに乗るんだ。いいな」
自分の運命を知った数人がしゃくり上げ始める。
「おっと、愛想よくして貰わないと、値が下がってはソフィア様に叱られる」
男は意味も無く笑った。
十分に見せ付けたあと、男は皆を連れて奥に進み、市街地に入った。
「おう、元気にしてるか」
「久しぶりだな、ん、商品連れか?」
男は脇に退いて引き連れてきた「商品」を見せた。
「今回は上物だろう」
「なるほど」
「踊って歌えるんだぜ」
男は自分の手柄のように自慢気に言った。
「お前たち、ちょっと踊って見せろ」
男たちは屋敷の中庭に彼女らを連れて行く。
「さあ、ここでやってみろ」
乙女たちは額を集めた。
(何にする?)
(それはもう、あれしか無いでしょ)
(グダル神にさらわれた乙女の歌)
彼女たちは輪になって、哀調を帯びた歌を歌い始めた。
右に回り、左に一歩、手を打つ。
そしてその逆。
前に進んで輪を狭めたと思うと、皆が背側に宙返りして大きな輪になる。
くるくる回ったかと思うと一列になって胸を叩き、悲しみを表現する。
一糸乱れぬ踊りの最後は、天を仰ぐ二人の足元に皆が倒れ伏す……本当はこの中央にペトラがいるのだが。
歌は故郷をしのび細く絶え入るように終わった。
「こりゃ見事だ。一人ずつ売るより時間がかかってもまとめて金を出す相手を見つけたほうが得ですぜ」
「見つかるまで、しばらく泊めてもらうぜ。商品もいっしょだ」
「いいだろう」
舞踏団の演目に込められた精一杯の抗議も意に介さず、男たちは取り引きを終えた。
そして、舞踏団は、格子がはまっており出入り口に厳重に閂が下ろされている以外、案外小綺麗な場所に閉じ込められた。
寝台は五つ。十人の舞踏団は、分け合って寝なければならない。それも構わず彼女らは寝台に崩折れた。
「……ナイロにいれば良かった」
「ペトラさんに言われて、海を渡ろうなんて思うんじゃなかった」
重かった口がやっと開き、自分たちの運命を嘆き始める。
旧帝国の西半分をほぼ統一し、ゲランス銀山を有するマッサリアは、まさに日の出の勢い。
ペトラにとって故郷でもある。成功した姿を故郷に見せたい気持ちは当然だろう。
だが舞踏団の仲間にとっては、異国の地であり、渡海に失敗し、ペトラを失った今、絶望しかない。
心細い。
食事の時間に扉が開き、食べ物を盛った器を抱えた女が入ってきた。
タネの入っていない平たいパンに、焼いた干魚、豆のスープ、野イチゴ。商品を飢えさせる気は無いらしい。
女は立ったまま、乙女たちが食事をむさぼるのを見ていた。
「ねえ、あなた達も売られて来たの」
女が声をかけた。
「違うわ。航海の途中で海賊にさらわれたの」
「私たち、奴隷なんかじゃないわ」
女は鼻で笑った。
「馬鹿ねえ。さらわれた時からもう奴隷よ。自分の身の程を知りなさい」
乙女は涙を手の甲でぬぐって女を睨みつけた。
「そういうあなたも海賊の仲間なの?」
女は腰に手を当てて乙女の視線を真っ向から受け止めた。
栗色の髪に琥珀色の目が美しい。
「私はフリュネ。マッサリア王と寝た女よ」
トラス島に送られたことが、かえって彼女らの運命を好転させます。
それは何故か?
来週も木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




