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第五章 84.海中の獅子

 海戦では勝ち目がない……先の接触はそのことをマッサリアに思い知らせた。


「マグヌスの奴め、どうして島の地図が無い!」


 珍しくイライラと怒っているのはテトス。

 点在する島々、海峡、地峡、複雑に入り組んで、紙上に表現するすべが分からない。ましてや海流や風の向きは、どう知識を共有すればよいか将軍たちの間でも混乱していた。


 智将と呼ばれる彼がこうまで落ち着かないのは、やはり海戦という未知の分野に挑まねばならないからだ。


「マグヌスにばかり頼るな。この広い海、すべてが分かるわけがあるまい」

「まあ、それはそうだ。ところでメラニコス、お前はいつまでへこんでる? そろそろいつもの元気を取り戻せ」


 ダランと椅子に腰掛けているメラニコスに喝をいれる。

 ここは旧ルテシア領最大の港リマーニに置かれた作戦本部の一室。

 朝の特訓から帰ってきたメラニコスが、剣の手入れを途中で投げ出してぐったりしていた。


「あぁ。一人しか妻がいない男は悩みが少なくていいな」

「なんだと?」

「王にいただいたフリュネ、あれに手を焼いていた」


 テトスは笑い出した。


「間諜をやっていた女だ。一筋縄では行くまい」

「それだけじゃなく、女の仕事をやらずに本妻に苦情ばかり言う」


 女の仕事とは主に糸紡ぎと機織りを指す。

 料理の準備や買い出しは奴隷の仕事である。

 もっとも貧しい家はこの限りではない。


(はた)も織らずに好き勝手を言うから、本妻と揉める。とうとう王に許しを得て遠くに売り払った」

「ほおう」

「王も、騒ぎが一段落したらまた自分の手元に戻すつもりだったんだろうよ」

「それは穏やかならぬ話だな」

「フリュネは見た目が良いうえに夜がうまい。俺に渡すときの目つきは未練タラタラだった」

「だが、今はあの時とは違う。王妃にも世継ぎの王子が生まれ、可愛がり方は尋常ではない。王の周囲も許すわけがない」

「うむ。いい女だが、頭痛の種は結局売り払ってしまった。三百リルにはなった」

「いい馬が買えるな」

「海の戦に馬は不要だが」


 メラニコスは苦笑いをした。


「新たに三段櫂船ができたら、俺も海に出る」

「ついに智将が乗り出すか。だが大変だぞ。それに王の近くにいなくて良いのか?」

「マグヌスが王と共に陸から攻める」

「兄弟でか」

 

 テトスは書きかけの地図を指しながら言った。


「近い順に、まずここのトラス島。ここに二つ拠点がある。キリアと呼ばれる方は奴隷の集散地だ」


 指を動かし、


「ここ、アクレシア島に最大の要衝がある。彼らはここを、ネオ・ルテシアと呼んでいる。そして南の大陸には、先の南征で我々が築いた植民市が三つ。」

「島はそれでわかってもだな、思いがけぬ海流、不安定な風向き、苦労するぞ」

 

 マッサリア王エウゲネスはこの夏を勝負の時と思い定めていた。


 早く……海賊たちが反マッサリアで団結する前に……。


 兵士が一人、顔を出した。


「マグヌス将軍に命じられたと言って男が来ていますが、どうしましょう?」

「お、すぐ通せ」


 テトスの顔が明るくなった。

 入ってきた前屈み気味の男は言った。


「アウティスという名をマグヌス将軍にもらいましたので、その名で呼んでいただければ」


 アウティスは、以前マグヌスとルルディの逃避行を助けた塩の商人であり……それは仮の顔、商人に化けて広く情報を集める有力な間諜である。


 マグヌスは軍団の一歩先に旅慣れた彼を派遣し、テトスたちの戦略を助けるつもりだ。


「アウティス、俺はテトス。マッサリア五将の一人だ」


 テトスはアウティスの手を握った。


「これは多島海の海賊を一掃するための戦いだ。商人たちにも多大な利益がある。協力してくれるな」


 古い石壁に掛けられた飾布がパタパタと音を立てて潮風に揺れる。

 マグヌスは自分の親友だと言ったが、果たしてこのテトス将軍は付き合って利益があるのか……アウティスは目を細めて観察した。


 一瞬の間があって、答えは簡潔だった。


「いいでしょう」


 テトスも頬を緩めた。


「俺はメラニコス。同じく五将の一人だ」

「で、何がお知りになりたいんで?」


 アウティスはテトスより少し背の高いメラニコスの、不気味な黒鎧姿にもおじず、問い返す。


「多島海を我が物顔にしている海賊の正体」

「……ああ、それは、ルテシア王国で……」

「ルテシアは滅んだはずだ」

「陸の上では、ね」


 テトスが唇を噛む。


「海の上では生きてまさぁ。今までの海賊と違ってやっかいなのは、連中が同盟を結んで一体化していること。首謀者は若い女らしい」

「──間に合わなかったか。それに女だと!」


 冬の名残りの強い風が吹き込み、卓の上の書きかけの地図をさらっていった。

 まるで、そんなものは無意味だと言わんばかりに。


「海賊同盟と遭遇した船乗りの話によると、その女は銀髪碧眼、肌は雪のように白く、衣装も純白を好む。これに該当するのはただ一人」


 アウティスは、二人の将軍をかわるがわる見た。


「神の如き指導力を持つルテシアの王女ソフィア」

「ルテシアは会議で王を選ぶ! 王女が選ばれる訳はない」

「ふふふっ、勘違いしなさんな、将軍様。血縁で選ばれたんじゃない。それだけの指導力をルテシアの民に認められたから選ばれたんだ」


 冷ややかな目をアウティスはメラニコスに向けた。


「女だからと情けは無用。確実に殺さないと海賊の結束は緩まねえ」

「あの女だ」

 

 メラニコスが苦々しく言った。


「俺たちの演習中に立った一隻で乗り込み、海賊連中の操船技術を見せつけてくれた女」

「あのときの交戦か?」

「ああ、手玉に取られたよ。そうだ、海賊は緑の旗を目印にしている」

「それは貴重な情報だな」


 アウティスは小さなあくびを噛み殺した。


「マッサリアの軍隊は慣れない事をしてるんだから、仕方ないことでさ。言ってみれば海に放り出された獅子だ」


 床に落ちた地図を拾いながら、


「悔しくて訓練も良いが、ちっとは部下を休ませなせぇ。外をチラッと見せてもらったが、皆へばってる。航路、海流、浅瀬、岩礁、知ってる限り教えますから、将軍方、しっかり覚えてくだせぇ」

「ドラゴニアも呼べ」


 彼女の到着を待ちきれずに、二人の将軍は身を乗り出した。



マッサリア側の動きです。

マグヌスの情報網がこんなところで役に立ちます。

次回は、一転、奴隷として囚われた者の運命に焦点を当てます。

木曜夜8時ちょい前をお楽しみに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 一朝一夕で海での戦い、船の扱いが上手くなるものではないだろうし、何か作戦のようなものが必要かも……(;´・ω・)
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