第五章 83.多島海同盟
はるか昔から現在まで、幾多の海戦が繰り広げられてきた多島海は、内陸の地マッサリアとにとってさえも重要な交易の場であった。北の大陸と南の大陸を複数の飛び石状につなぎ、内海でもあることから波風は穏やかで航行に適している。
かつてはこの海を中心に、北、南、東の地方をまとめた大帝国があったのだが、内紛で分裂して幾十年。
更に西の帝国は小さく分裂して、今回、マッサリア王国がほぼ統一するまで、内紛に明け暮れていた。
マッサリア王エウゲネスの野心は尽きることなく、一度試みた南征を再び計画していた。
前回十分な結果が得られなかったのは海軍力を持たなかったことが理由と彼は考えていた。
また、現在、ルテシア王国の残党が海賊となって跳梁跋扈しており、至急手を打たねばならない。
「銀は食えぬ」
王は臣下に何度もそう言った。
隣国ゲランスを征服して得た銀山。
しかしながら、一度天候不良に見舞われれば、飢饉に陥り、豊かなる南国の麦の輸入が緊急に必要になる。
その貿易を海賊に妨害されては生死にかかわる。
多島海を手中に収めるのは喫緊の課題であった。
他方、旧ルテシア勢力にとっても、多島海は譲れない場所であった。
元々、深い森と良港リマーニに恵まれたルテシアの国の者は半ば海の民であり、マッサリアに攻められたときも海に逃げた者が多かった。
森豊かな陸地を奪われ、多島海を失えばもう後は無い。
ソフィア率いる旧ルテシア勢力は、これまでの海賊と違って本格的な軍艦……三段櫂船を多数所有し、その優位を活かすべく冬の嵐をかいくぐって各地を巡り、反マッサリアの同盟を組むことに成功した。
初めから簡単にいったわけではない。当初、同盟を組むにあたって、島々で海賊稼業を営む荒くれ者たちは反発した。
海賊たちの眼の前に訪れた盟主乙女ソフィアは、銀色の髪、青く澄んだ目、ほのかに桃色がかった白い肌……海賊たちは見たこともない神々しい美女である。それに純白の着物と上着を羽織って、どこか人間離れした高貴な美しさがあった。
あまりの美貌に、おぉーと声が上がるが、頭目はそれを抑えて現実的な要求を突きつける。
「それで、俺たちにどんな利益があるんだ?」
ソフィアは立ったまま革袋を逆さにして、頭目の前に置かれた卓にザラザラとマッサリアの銀貨を撒いた。
「これです。リマーニ港を出ていく船はたっぷり銀貨を積んでいる」
「わ、わかった。……まあ、座りなせえ」
銀貨を見せられて、やっと頭目は礼儀を取り戻した。
「私たちの三段櫂船と組めば、これまで護衛が付いていて手が出せなかった獲物も手に入ります」
頭目の合図で、ワインが運ばれてくる。
「あなた達はこれまで以上の儲けが上がり、私たち旧ルテシアの民は国を再建できる。どちらにも利益があります」
「わかった、ソフィア姫。で、何か味方とわかる印はないかな?」
「緑の旗を帆柱の上に……」
「なるほど、森深きルテシアの緑か。乾杯!」
ソフィアはわずかに口をつけただけだったが、そこから宴会になった。ワイン、蜂蜜酒、ヤギの乳で作ったチーズ、船乗り用の堅焼きパン……。
「失礼ながら、ソフィア姫は婚姻なさらぬのかな?」
真っ赤になった海賊がジロジロ見ながら尋ねた。
「無礼者!」
と、即座に側近がきつくたしなめた。
「いいのよ、ヒッポダモス。婚姻の機会はありましたわ。しかし、相手は私の肖像画を投げ捨て、他の女性を選んだと聞きました」
頭目はソフィアの美貌に骨抜きになった。同盟による多島海支配のなった日には……良からぬ考えをめぐらしてソフィアの姿を舐めるように見たが、彼女は気づかぬふりをした。
もっと厳しい交渉になった相手もいる。ここへはわざわざ巨大な三段櫂船を動員した。多島海西部の交通の要所オロス島では、海賊たちは自分たちの力を頼りに、多島海同盟への加入を拒んだ
「俺たちはこのオロス島の住人だ。陸の争いに巻き込まれたくない」
「そうでしょうね。ただ、私たちはあなた達にこれをあげることができる」
ソフィアの合図で、手のひらほどの大きさの羊皮紙が運ばれてきた。
それには彫り込まれるほど深く、私掠を許す旨の文書が書き込まれていた。
「ふざけたことをしてくれるじゃないか、え?」
オロス島の海賊は、ひらひらさせながら仲間の間で書付を見せあった。
「ルテシア国王の名において、ふん、滅ぼされた国じゃないか」
ソフィアはキッと唇を噛む。
しかし、これは想定内。
「ルテシア王国はまだ海上に力を持っている。百隻の三段櫂船を集結させればオロス島の海賊を沈めるのも容易いこと」
フフッとソフィアは笑った。
「私たち同士で戦うのはマッサリアを利することにしかならないわ。あなたたちはこれまで通り暴れてくれればいいの。そして、いつか、その書面が本当に意味を成す日が来るのを祈ってちょうだい」
自分より頭二つは大きい海賊相手に、ソフィアは一歩もひかなかった。
「考えておこう」
オロス島の頭目はいったん私掠免許状を受け取った。
ソフィアは細く息を吐く。決定的な同意は得られなかったが、これでオロス島経由の大航路にルテシアの影響力を与えることができる。
交渉は今後継続すれば良い。
帰途。
「ソフィア様、お疲れではありませんか」
帰りの三段楷船、ソフィアが船尾の椅子に腰掛けると、周囲の兵士が争うようにして水だのワインだの蜜だのを差し出した。
「大丈夫」
ソフィアは気丈な笑顔を見せながら断った。
「私は評議会で選ばれた王ではないけれど、皆が王として選んでくれたわ」
「評議会のどの男よりもあなたが勇敢だったからです」
外国の王子を唯唯諾諾と『期限を定めぬ王』として受け入れた評議会は、その直後に皆首をはねられていた。
「王宮に火を放った私を?」
ソフィアは手の火傷の痕を見せながら、なおも問いかける。
「そのおかげで、市民たちは海へと逃れ、自由の身でいられるのです。感謝しているものの方が多い」
ヒッポダモスが、ソフィアの前に膝をついた。
「ソフィア様、万歳!」
万歳の声は、楷を漕ぐ男たちからも自然と湧き上がった。
「風がひどいわ。気をつけてね」
そして小さくつぶやいた。
「お父様、お母様、ソフィアもこの身を戦いに投じねばなりません。お許しを」
ソフィアが頑張っています。
亡国の王女なんてか弱いイメージではなく。
さて、どう攻略する? マッサリア王エウゲネス、マグヌス?




