第五章 82.接触
「危ないところだった……」
自分の部屋に帰って、燭台の灯りを眺めながら、ふう、とソフィアは息を吐いた。
木造の質素な部屋だが、彼女の好む飛翔するカモメをあしらった見事な壁掛けがかかっている。
あの手紙からわかったように、東の帝国にはマッサリアの将軍の知り合いがいる。
下手に接触すると、自分たちの計画が筒抜けになってしまうところだった。
「多島海を我らが海とし、海上の略奪行為で国力を蓄えてマッサリアに逆襲をかける」
それが旧ルテシア勢力を中心とする多島海同盟の目的であった。
冬の荒波をついてソフィアが各地を巡り、説き伏せたもの。東の帝国にはまだ接触していないが、反マッサリアで協力を求めるつもりだった。
「しまった、あの手紙、差出人を見るのを忘れてしまった……。」
宛先の将軍、マッサリアのマグヌスは、どうやら顔が広いらしい。
「ナイロの智慧と呼ばれる、あの賢者メランと知り合いとは」
マッサリアに海戦の心得が無いとはいえ、心してかからねばならぬと思った。
「お祖父様……ソフィアは託された役目を果たしますわ。ご覧になってください」
業火の中から逃げ出し、祖父とともに森の中に隠れ住んだ。王の座を終われ、国も失った祖父は気落ちしてじきに亡くなった
森の薬草を摘んで慎ましやかな生活を送っていたソフィアを旧ルテシアの遺臣たちが見つけるのに時間はかからなかった。
祖父が王を務めていた頃から、神がかった人気のあったソフィア。
請われるがままに遺臣たちのまとめ役になり、他の植民市と同盟を結んで盟主となり、反マッサリアの旗手となった。
「森の中の暮らしも楽しかったけれど、皆をマッサリアの軛の下においていくわけにはいきませんわ」
ルテシア王国を再興するにはどうしたら良いか……ソフィアたちには考えがあった。
分裂以降も内部の統一をはかり軍事的優勢を誇る東の帝国。現在は穏健策を取る賢帝が統治しており、無駄な争いは避け、帝国内の充実を図っている。
東帝国と手を結ぶことができれば、昨日や今日旧西帝国の領土を統一したマッサリアは、相手にならない。
彼らに合流できれば、昨日や今日旧西帝国の領土を統一したマッサリアは、相手にならない。
ソフィアならずとも、東西問わず旧帝国に住む誰もがそう考えていた。
だが、マッサリアの将軍の学友が東帝国の中枢にいるとわかった今、東帝国との関係は慎重にならざるを得ない。
「東の帝国の商船は今まで通り見逃しましょう」
ソフィアはつぶやいた。
そして、
「それに……マッサリアの軍艦がリマーニ港沖で演習をしているという情報があるわ。挨拶がてらお手並み拝見と参りましょう」
マッサリアの海軍はやっと穏やかな湾内を出て、波風のある多島海へ進出したばかりだった。
都合の良い風が吹くときは二つある帆を張って、漕ぎ手を休ませる。
帆柱に結び付けられたマッサリア王家ゆかりの真紅の布が風に乗って船首側へなびく。
最初に湾を出た船の指揮官はメラニコス。
船尾に船長と並んで立ち、そこから甲板が左右に別れて船首方向へ伸びている。
甲板の左右の隙間からは帆柱がそびえている。ここは漕ぎ手が出入りする隙間であり、予備の櫂や木材を収納する場であった。
船尾の指揮官や船長のすぐ下に太鼓打ちが控え、指示を音にして漕手に伝える。
「波が出てきたな」
「いーや、海が荒れたときの波はこんなもんじゃないですよ」
「そ、そうか」
追い越すようにもう一隻、帆を張った上に櫂も使わせて速度を増していく。
追い越しざま、
「メラニコス! お先に!」
高い声はドラゴニアだ。
彼女の三段櫂船の帆柱にも真紅の旗がひらめいていた。
「あんなことをしちゃあ、肝心なときに漕手が働けねぇ」
老練な船長がポツリと言った。
彼は元々インリウム海軍の人間である。
急造したマッサリア海軍の指導者として乞われて来たものの、将軍たちの暴走に嫌気を覚え始めていた。
「ドラゴニア! 櫂を止めろ!」
メラニコスの怒声に続いて、船長が指示を出す。
「海を舐めちゃあいけねぇ。さあ、今日は湾内で操船の練習だ」
「よし」
続いてリマーニ港の懐から出港してきた四隻が合流する。
「帆を巻き上げて一列に!」
モタモタしながら直列に並ぶ。
「メラニコス殿の船を先頭に左へ周回!」
ゆっくりと大きな円を描いて六隻の三段櫂船が進む。
「直線に戻り全力! 目先に敵船がいると思え!」
船は混乱した。
慣れないうちは小回りが効かない。
「む……」
苦虫を噛み潰したような顔で悪戦苦闘している三段櫂船を見ていた船長が、不意に水平線に目をやった。
「あれは……三段櫂船じゃないか?」
「どこだ?」
「我々以外に演習を行う船は無いはず……」
「まさか……」
「敵船! 皆、戦闘準備!」
残り四隻も倣う。
「全力前進!」
不審な船に向けて、マッサリア軍の三段櫂船は勢いよく進む。
「あの緑の旗……最近よく出没する凶暴な海賊だ」
と、船長。
「相手はたった一隻じゃないか。練習がてら沈めてやろう」
メラニコスの言葉が太鼓打ちに伝言され、三段櫂船の漕ぎ手たちは重い櫂を懸命に漕いだ。
海賊船は動かない。
来るなら来てみろと言わんばかりだ。
「両舷全速! 衝角がぶつかる衝撃に備えろ!」
海賊船の右脇腹めがけて前進しながら、メラニコスは叫んだ。
ところが……敵船はクルリと向きを変え、船首を向けてきた。
そしてわずかに前進しつつ、メラニコスの船とすれ違った。
メリメリッという音を立てて、敵船と接触した楷がへし折られる。
衝撃──。
船尾甲板に立つメラニコスは麻縄を体に巻き付けて海に放り出されるのを堪えた。
甲板下の漕手たちも手から楷が弾け飛び、前後の漕手にぶつかって、打撲傷を負わせた。
船内に悲鳴が湧く。
他方、敵船は手慣れた動きで、すれ違うときには手繰りあげておいた楷を海面に降ろし、何事もなかったかのようにこちらに向き直る。
「前進!」
ドラゴニアが命じた。
残り五隻の三段櫂船が、艦隊戦の体をなさず、てんでに突撃する。
海賊船は五隻の中央、ぎりぎり通過できる隙間に舵を取った。
再度交差する。
その際、海賊船は今度は左右二隻の三段櫂船の櫂を同時にへし折って行った。行き過ぎてから、今度は向きを変え、櫂を失って動けなくなったマッサリアの船に衝角を向ける。
「来るぞ! 逃げろ!」
船長が叫んだ。
為す術もない漕ぎ手たちは、甲板を前後に走る隙間から這い出し衣類を脱ぎ捨て、海に飛び込む。
「逃げるな!」
盾を捨てたマッサリアの重装歩兵が甲板上、麻縄につかまりながら制止しようと無駄な努力をする。
海賊船は、規則正しく櫂を動かし速度を速めると、間違いなくマッサリアの三段櫂船の喫水線に衝角を突き立てた。
「畜生!」
重装歩兵たちは槍を投げようとするが、浸水して沈みゆく船、見上げる角度になって、相手が見えない。
(このまま全滅か)
メラニコスは、冷や汗をぬぐった。
しかし、海賊の三段櫂船は後退して衝角を引き抜くと突如風上に舵を切った。
勢いを増して規則的に海面を叩く百七十本の櫂。
マッサリアの三段櫂船を見る間に引き離して遠ざかっていく。
「追いつけ!」
無傷のドラゴニアは勢いよく太鼓を叩かせたが、彼我の差は開いていくばかり。
彼らはその船尾に、銀髪白衣の女人の姿を認めた。
帆柱と同じ緑の布を、マッサリア側に示している。
「何だ、あの女は?」
これが、ルテシアの流れを汲む海賊とマッサリア海軍との初接触となる。
圧倒的な差を見せつけられたマッサリア海軍。
今後の海戦はどうなる?
次回も木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




