第五章 81.ネオ・ルテシアにて
翌日の夕暮れ、絶望したペトラたちを乗せた貨客船は、二隻の五十櫂船と共に一つの島影に入った。
海流から外れた島の北側は、大きく窪んだ湾になっており、船を引き上げておくのにちょうどよい砂浜を備えた天然の良港であった。
そのさらに奥に周囲を木の柵で囲った集落があり、獲物を携えて帰港した五十楷船を、集落の人々が出迎える。
「おかえりなさいませ」
ソフィアは女王然とした態度で応えた。
「マッサリア王の縁者を捉えたわ。扱いに気をつけて。積み荷は後回しにして奴隷の品定めから始めるわ」
もう奴隷扱いである。
一番大きな建物の広間に、松明が灯された。
木を組んだ、粗末な建物の壁が明るく照らされた。
後ろ手に縛られたペトラを先頭に若い女性十名、男一人が丸船から降ろされる。
それを見ながら船長は残りの船員四人にささやいた。
「俺たちは別みたいだな……あっちの獲物で満足して俺たちは解放してもらえるといいんだが……」
ペトラの縄を握っていたのは、髭面の大男。
「さあ、始めるぞ!」
その声を合図にペトラは容赦なく衣類を剥ぎ取られた。
ニ通の紙藺の書状がぽとりと落ちる。
「あ!」
「ほう……」
返して、と言うこともできなかった。
「ソフィア様、手紙なんか持ってますが」
「こちらへ」
ソフィアはもろい紙の封を丁寧に剥がした。
「ナイロのメランよりラウラの子マグヌスヘ……メランですって!」
「ナイロにその人ありと知られる女学者ですか?」
「どうなの?」
「……そうです」
周囲は色めき立った。
何人もの学者や政治家を輩出したナイロのクリュサオルの有名な私塾。それを継いだメランの名を知らぬ者はない。現在はナイロの大図書館の館長にまで出世している。
「これは、これは」
「身代金を取ったほうが良いかも知れぬ」
一同の騒ぎをよそに、ペトラは必死で胸と秘所を隠していた。
チラとこちらを見るクリュボスの視線が痛い。
彼に素肌を見せるのは初夜と決めていたのに、こんなに乱暴にさらされるとは。
それに、奴隷として別々に売られてしまえば二度と会うことさえ叶わないかも知れない。
「で、マグヌスというのは?」
「……マッサリアの将軍で、エウゲネス王の弟です」
「ほうっ、あの母殺しの王に弟がいたのか!」
広間がまたどっと沸いた。
「──お預かりしていたペトラをお返しします。お砂糖は私が送りますので安心してください──これだけ?」
手紙の内容を聞かされたペトラが、キッと顔を上げてソフィアを見返した。
「メラン様は余計なことはおっしゃらないわ。それで十分マグヌス様には通用するのよ」
「生意気な!」
ピシッと背中に鞭の痛みが走り、ペトラは膝をついた。
「こいつが抱えていた包みは砂糖に間違いありませんでしたぜ」
「高価な砂糖を贈るとは、マグヌスとやらはメランとよほど親しいに違いない」
一同は色めき立った。
「もう一通は長いわね」
悔しさと恥ずかしさで涙を浮かべているペトラを気にも留めず、ソフィアはニ通目の手紙を読んだ。
「我が友マグヌスヘ……ふうん」
癖のある奔放な筆跡を読み取ろうと、ソフィアは松明の灯りに手紙をかざした。
「自分の身の振り方が決まった。東の帝国を治める賢帝がメランに政治顧問を求め、推薦されてその地へ赴くことになった。砂糖はもう送れないが、……友情は保ちたい。お前の母国マッサリアの繁栄を祈る……親友カクトスより」
声が震えた。
「我らが敵!」
古地図に残された森の中の古道を利用して、ルテシア側に遊撃隊をぶつける常識破りの戦闘を行い、ルテシアを易々と破ったのが、将軍マグヌスだということをソフィアたちは知らない。
「マッサリアに味方するものは、皆、我らの敵……そういえば、お前、名はなんと言った?」
「ペトラ」
「そう、ペトラ、お前の使い道はゆっくり考えさせてもらうわ。さあ、残りも一人ずつ、品定めしましょう」
そう言って、ソフィアは松明の火を手紙に移した。
「止めて! 何をするの」
「この手紙が、マグヌスとやらに届くことはない」
酷薄な笑みが、ソフィアの口元に浮かんだ。
紙藺が、明るい光を放って燃え尽きる。
「カクトスというのね。マッサリアの将軍の友人が東の帝国の中にいたとは。これで、簡単に東の帝国と同盟は組めなくなったけれど、いいことを知ったわ」
「海賊のお姫様、私以外の舞踊団のみんなは、マッサリアとは関係ない人たちよ。酷い扱いはしないで!」
裸でも涙でぐしゃぐしゃでも、ペトラは舞踊団の長である。
「その勇気は認めてあげる」
粗末な麻の着物が投げ渡され、同時に鎖の付いた足かせをはめられて、逃走の可能性を奪われる。
「さあ、残りを確認しましょう」
舞踏団の仲間が、次々に松明の灯りの中に引き出され、身体に欠点が無いか、言葉は何ができるか確認される。
「これは上物ぞろい。思わぬ獲物よ……まとめて牢に入れておきましょう」
舞踏や楽器ができて、欠点のない若い女奴隷なら、一人百リルしても不思議はない。
「最後は弱っちい用心棒ね」
嘲笑の声とともに縄をかけられたクリュボスが松明の灯りの中に引き出される。
「縄を解いて」
今度はペトラが顔を覆う番だった。
女性たち同様、裸に剥かれる。
剣はとっくに奪われている。
丸腰の心細さ……。
「俺はゲランス生まれのクリュボス。マッサリアとは関係ない」
「でも、ペトラとは関係ありそうね。……剣奴には足りないわね」
ソフィアは自分より年上の異性の身体を冷徹に観察する。慣れているのだろう。
「クソっ、これでも俺はアーナム師の弟子なんだぞ」
「随分弱い弟子があったもんだ」
海賊がどっと笑った。
「これも特別待遇ね」
クリュボスは麻の腰布に鎖付きの手枷足かせをはめられた。
マッサリアを仇敵とみなすルテシアの流れを汲む海賊……。
彼らに捕まったペトラたちに救援を求める手段はない。
だが彼女は、かつて助けを求めずとも自分とクリュボスを窮地から救い出してくれたマグヌスのことを思い出していた。
「きっとマグヌス様が来てくれる」
なぜか心の中に希望の光があった。
燃やされてしまった書状……これを書いた人物は物語後半の重要人物となります(伏線暴いてどうするんだ!)
来週木曜日の夜8時ちょい前をお楽しみに!




