第五章 80.海賊
白衣の女性は、続いて降りてきた重装兵を背に、ペトラたちに語りかけた。
「この船は、ネオ・ルテシアの私たちが拿捕しました。抵抗はしないように。そして一切の希望と持ち物を捨てること」
「……海賊」
「そう呼ばないほうがいいわよ。翠の目のお嬢ちゃん」
黒髪に翠の目の、まだ幼い面影を残した少女が立ち上がる。
「私はペトラ。この舞踏団の責任者よ。私達をどうするもり?」
「ふふふ、舞踏団ですって? 高く売れそうね。積荷も高級品が多いわ。このまま曳航して……」
「そうはさせないわ」
無謀にもペトラがさえぎった
「私達に手を出したらマッサリア王が黙ってないわよ」
ペトラのハッタリである。
彼女は南の国で世話を焼いてくれたメランから、マグヌスが王の異母弟で今は臣下となっているという、特殊な事情を聞かされていた。
マグヌスより王のほうが効くだろうという目論見だったが、見事に外れた。
「神々よ、感謝します。我らが宿敵マッサリア王エウゲネスに繋がるものを与えてくださるとは!」
ソフィアは手を組んで海神と二十人いるその娘たちにゆっくりと祈りを捧げた。
再び目を開けた時、彼女の目は凍るような冷たさを含んでいた。
「見張りを厳重に。特にこの女を逃さぬように」
「ハッ!」
ペトラはあわてた。
「待って、本当は違うの」
ぎりぎりと麻縄で縛り上げられる。
「う、う、クリュボス……」
「うるさいぞ」
「待て!」
クリュボスが勇気を振り絞って声をかける。
「逃げることのできない船の上、そんなことはしないでくれ」
「馬鹿か、海に飛び込めばどこにでも泳いで逃げられる」
重装兵があざ笑った。
「俺たちは泳げない」
「……じゃあちょうどいい、威勢のいいあんちゃん、泳ぐ練習をしようじゃないか」
クリュボスは剣に手をかけた。
「こんなことはしたくはないが……」
「ほう、やってみろ」
クリュボスは抜く手も見せず相手に斬り付けた。
「……ぐうっ」
「このっ!」
別の完全武装した兵が向かってくる。
クリュボスは食い込んだ剣を引き抜くのが一瞬遅れ、間合いに入られてしまった。
「くっ!」
こぶしで思い切り顔面を殴られ吹っ飛ぶクリュボス。
積み荷の甕に激突して派手な音が響く。
甕が割れて、高価なワインが流れ出した。
「やめて‼ 私はこのままでいいから、もうやめて!」
見ていられなくて、ペトラは叫んだ。
「そう。私たちの言うとおりにするのよ、お嬢ちゃん」
白衣の女性が横ざまに倒れたペトラの上に覆いかぶさって言った。
長く垂れた銀色の髪が、ペトラの頬にほとんど触れそうになる。ペトラは顔をしかめて横を向く。
身を起こし、
「大丈夫? ヒッポダモス?」
「ええ、ちょっとした打ち身でさ」
最初に斬撃を受けた兵士が腹のあたりをなでる。
見せしめといわんばかりにクリュボスも縛り上げた。
その姿を見ながら、
(マグヌスなら……あの人なら何とかしてくれたのに……)
悔しくてペトラの目から涙がこぼれた。
貨客船と、五十櫂船はともに帆を張った。
風の力を受けて、行く先はネオ・ルテシアである。
貨客船の船長は言われるがままに船を操った。
(目的地につけば自分たちだけは解放してもらえるかもしれない)
航海に使う船の借り主はペトラたちであるが、船そのものの所有者は別にいる。
海賊に襲われた場合は免責事項に入っているので、自分たちだけが助かればそれでいいのだ。
夕刻、船はいったん、小島の小さな港に入った。
五十櫂船には、食べ物を煮炊きする場所は無い。
乗組員の食事や休息のためには上陸が必要だった。従って沿岸しか航行できない。
「今回の獲物は大きいぞ」
「おう、なんたって、マッサリア王の縁者らしいじゃないか」
海賊たちは港の小さな食堂を占領して食事の用意をしながら笑いあった。
食堂の主人はとっくに逃げ出していた。
献立は山羊の串焼きに豆と大麦の煮込み。
「ソフィア様に!」
船長を手近な小屋に押し込み、彼らは手近な容器に、積み荷のワインを汲み、乾杯した。
拿捕された貨客船の面々は船に残ったまま、食事抜きである。五人の重装した海賊が見張りに立つ。
美味そうな匂いにお腹がぐうぐう鳴る。
「大丈夫か?」
縛られたクリュボスがペトラを気遣う。
「大丈夫じゃないわよ……誰か、小刀を持ってない?」
「ペトラ、逃げる気か」
「当たり前よ。海の上ならともかく、ここは港よ」
見張りの海賊が器に入ったワインを飲んでいるのを見て、
「今よ」
小刀が麻縄を断ち切り、ペトラとクリュボスを自由にする。団員たちも手首の縄を解かれた。
「さあ、陸まで泳ぐわよ」
甲板に出ると、ほとんど明かりのない海が、青白く輝いていた。
波に合わせ、燐光のような輝きが、濃く、薄く、港を埋め尽くしていた。
「なに……これ……」
ペトラたちは立ち尽くした。
「おーい、おーい」
海の中から何かが呼ぶ声が聞こえた。
「嫌っ」
舞踏団の団員が踵を返した。
「海の悪霊より、海賊のほうがマシだわ!」
そうだ、と声があがる。
ペトラは初めて見る海の怪異に、貨客船の船首に手をかけたまま、呆然としていた。
「こらっ、貴様ら!」
気付いた見張りが、乱暴に彼女らを甲板の下に押し戻す。
「あれは何だったの」
ペトラはつぶやいた。
一面に青白く光る海……ありふれた微生物のいたずらだと彼女は知らない。
同じ海をソフィアも見ていた。
「海ほたるがきれいね」
「この海、いつまでもルテシアのものに」
「ええ」
ソフィアは力強くうなずいた。
囚われたペトラの願いはマグヌスに届くのか?
まだまだ波乱あります。
来週木曜日の夜8時ちょい前をお楽しみに!




