第五章 79.南の国から
南国ナイロの港は、今日も賑やかだった。
大河を通って内陸からやって来た人々の群れが、多島海を通って各地に向かう船に乗り換える。
皆、冬の荒天が収まるのを待ちかねた人々である。
「ふざけんじゃ無いわよ! 政務官の定めた金額の三倍も取ろうって、どういう考えをしてるのよ!」
甲高い声が響いた。
声の主は、翠の目をきらめかせて、自分の倍はありそうな相手に食ってかかった。
「ここに証明書があるわ。読めないなら読んであげる!」
「小娘! 黙って払えばいいものを!」
「あらあ、やっぱり読めないのね」
真っ赤になった男が拳を振り上げると、間に、一人の男が割って入った。
「止めておくんだな。お嬢さんには、俺が指一本触れさせない」
男は腰に帯びた剣を示した。
優雅に曲線を描くそれは、ある高名な剣士の弟子であることを示していた。
対して大男は丸腰である。
「チェッ、ここは俺が引いといてやらぁ」
大男はしぶしぶ規定の料金を受け取って、背負ってきた荷物を降ろした。
「ありがとう」
小娘は優雅に言って大男の背中にアカンベーをした。
「お嬢さん、はしたない」
「もう、お嬢さんは止めて。ペトラでいいわ」
「そういうわけにはいかない……お嬢さんはこの舞踊団の座長なんだから」
「故郷──いよいよマッサリアに帰るのね」
「戦乱は収まったそうですから」
大荷物は舞踊団の衣装、小道具である。
銀を産出するゲランス鉱山の帰趨を巡る戦いのあと、南国に留学していたペトラは、舞踏の筋の良さが認められ、早くも一団を率いるまでになっていた。
「クリュボス……あなたが戦争に巻き込まれないで本当に良かったわ」
ペトラは真情を述べた。
クリュボスはやや不満顔である。
「マッサリアへ行く船が出るぞ! 鑑札見せて料金を払ったお客さんはこっちへ」
座長のペトラに護衛のクリュボス他、舞踏団の美女十人を集めた計十二人は上客である。
貨物や人を乗せる貨客船を貸し切りにして、彼女らの荷物以外に、売りものとして高価な織物、酒や穀物を入れた壺をぎっしりと詰め込む。
「いくらで売れるかわからないけれど。ただ空けておくよりいいわ」
ただ、ペトラが手元から離さない荷物もあった。
彫刻の施された金属製の箱で、美しい布で包んであった。
西からの優しい風を受けて出港……。
ペトラたちは甲板の下で波の揺れに身を任せた。
多島海は北と南の大陸を、飛び石状につなぐ内洋の要衝。
外洋の荒波に耐えられぬ船でも航海でき、物流の要となっていた。
物資の補給、調理、水夫の休憩についても、あちこちに港がある多島海は貴重である。
マグヌスの奇襲に手もなく敗れたソフィアたちルテシアの残党は、それゆえ、多島海に新たな活路を見出した。
頭領は最後のルテシア王ソフォスの孫娘ソフィア。
うら若き女性の身でありながら、神がかった指導力でルテシアに縁のある勢力をまとめ、さらに地元の海賊と手を組み、今までなかった強力な軍艦を武器として急速に勢力を拡大した。
ソフィア率いるルテシアの残党は、海賊行為に国の基礎を置く多島海同盟の主となったのである。
いよいよ春を迎え、多島海を往来する船を襲おうと海賊たちは蠢動を始めていた。
ペトラたちの乗った船は折り悪く、獲物を探す海賊たちの領海へ入ろうとしていた。
海賊さえいなければ、空と海の青に点々と島が浮かび、目に鮮やかである。
「お客さん、今は周りに怪しい影もない。今のうちに顔を出して、きれいなみなせぇ」
言われて、ペトラとクリュボスは船の上に這い出して行く手を眺めた。
澄んだ青い海に、島々の白い岩肌、緑の灌木、島の急斜面を器用に登るヤギたち。
「素敵ねぇ。いつもこんな景色を見ながらお仕事ができるなんて」
「とんでもねえ。冬になれば一転、地下の神グダルがここまで顔を出しまさぁ」
「あら、あの船には帆が無いわ」
ペトラの無邪気な一言に、船長の顔色が変わった。
「お客さん、引っ込んでくだせえ。次の港の臨検船でなけりゃ……海賊だ」
船長はゴクリと唾を飲んだ。
海面に張り付くような低い船の姿。
島影から前後して現れた五十櫂船は、帆をたたみ、櫂の力で船を進めて接近してきた。
「悪い方の読みが当たっちまった」
「えっ、本当に」
「抵抗しちゃいけねえ。有り金、貴重品全て差し出せば命は助かることがある」
「……ことがあるって、そんな」
「不慮の高波や海賊に出会ったときは……」
「水夫は持ち場を離れていても良いって、知ってるわよ」
ペトラはクリュボス含めて十人の仲間の方を見た。
「大丈夫よ。水夫たちが頼りにならなくても、クリュボスがなんとか交渉してくれるわ」
「ペトラ、俺は船酔いで死にそうだ」
クリュボスは情けない声を出した。
「用心棒として連れて帰ってあげるって約束よ」
クリュボスは、見てわかるほど震えていた。
「もうっ。──船長、逃げ切れない?」
「さっきからやってまさあ、まあ、時間稼ぎだがね」
一方の五十櫂船の帆柱には、最近現れた凶悪な海賊の目印として、噂に聞いていた緑の布が結びつけてあり、その布がこちらの船に接舷するべくみるみる近寄ってくる。
商船は舵を切って反対側に身をよじった。
海賊船はすぐに進路を修正した。
「お客さん、ここまでだ。俺たちゃ、あの衝角でズブリと破られたかあねえ」
首を伸ばすペトラ。
もう、目と鼻の先まで海賊船は近寄っており、波に洗われて、青緑色に変色した船首の衝角が、視認できた。
「わかったわ……」
その言葉を合図に、商船は逃げるのをやめた。
海賊船がピタリと両脇に付く。
「そうだ!」
ペトラは、大事に持っていた包みから書状ニ通を取り出し、うら若き乙女らしい固くふくらんだ胸に隠した。
ギイッ……商船が傾いだ。
「抵抗しないこった。海賊どもが乗り込んでくる」
と、船長。
頭上の甲板を行き来する足音が聞こえる。
そして、帆柱の付け根の階段から降りてきた人物を見て、全員が息を飲んだ。
海賊とはかけ離れた、純白の着物をまとった銀髪の乙女であったからだ。
懐かしい顔ぶれが戻ってきます。
しかしそのルートは海賊の出没地帯……無事に故郷にたどり着けるのか……次回、木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




