第五章 78.選択
王の間周辺に誰もいなかったことからわかるように、襲撃は計画的なものだった。
調べるにつれ、その周到さがだんだんと明らかになった。
侍女たちには休暇が出されており、その他の奴隷たちは近寄らぬよう厳命されていた。
王宮に詰めているはずのマグヌスの部下百五十人は、アルペドン兵の衛兵とともにありもしない事件への対応で王都の外れへ派遣されていた。
マグヌス本人以外にそんな指示を出せるのは一人しかいない。
宰相ゴルギアスだ。
彼は最初から姿が見えない。
マグヌスは、彼の私邸へ部下を差し向けた。
暗殺の失敗を知って、私邸に立てこもろうとしたが、しょせん文官。
抵抗はあっさり排除された。
荒く血を拭き取っただけの王の間にゴルギアスは引きずってこられた。
「ゴルギアス……」
床よりも二段高い王座から、マグヌスが声をかけた。衣装は替えたようだがあちこちに血の跡がにじむ。
「私を暗殺し、アルペドン王国を再建しようとしたそうだな。お前はどこまで関与している?」
ゴルギアスは消え入りそうな声で答えた。
「マルガリタ様の命で、仕方なく……」
「マルガリタとインリウムの王子の情交はいつからだ」
「……あなたがここを立たれてすぐに」
「責任を負うのは家宰かも知れん。だが、二人を引き合わせたのは間違いなくお前だ」
「私は……」
「主犯はマルガリタとして、お前に与えられた餌は何だ?」
ゴルギアスの目が宙を泳いだ。
言い抜けられるなら、言い抜けたい……。
「餌は何だ!」
マグヌスは怒声を発した。
常日頃穏やかな人物の芯からの怒りに触れて、ゴルギアスは、震えあがった。
「インリウムの穀倉地帯を……」
「割に合わぬ取引だったな」
マグヌスは右手を上げて合図した。
「私からお前に与えるものがある」
テラサが、白布を掛けた台を運んできて、ゴルギアスの前に据えた。
ゴルギアスが恐る恐る布をとると、台の上には、麻縄、短剣、小瓶の三点が乗っていた。
「……これは」
「選べ」
麻縄で首をくくるか……。
短剣で命を断つか……。
小瓶の中は毒薬だろう。
ゴルギアスは、どれも選べなかった。
(失敗だった……マルガリタ様の甘言になどのるのではなかった……)
自分でこの国を支配できる……その傲慢な考えが破滅を招いた。
時間が過ぎてゆく。
マグヌスは待った。
思えば、あのときゴルギアスは新しい主に心を踊らせたものだ。
彼が敵であった自分を信頼し、権限を持たせてくれたことに感謝した。
(あの頃に帰れたら……)
ゴルギアスは震えながら小瓶を選んだ。
栓を抜き、中身をあおろうとしたとき、腕に激しい衝撃を受け、瓶は吹き飛んだ。
王座から降りたマグヌスが、剣の背でゴルギアスの腕を打ったのである。
瓶は割れ、ドロリとした液体が床にこぼれる。
「お前は一度死んだ」
マグヌスは、ゴルギアスの正面に膝をつき、手を取った。
「もう一度、生まれ変わって私に仕える気はないか?」
「……マグヌス様……」
マグヌスは、にこりと笑った。
「海賊討伐に二万の軍を準備しなければならないのだ。知恵を貸してくれ」
「……かしこまりました」
マグヌスに支えられてゴルギアスは立ち上がった。
涙が両頬を伝う。
(この方には敵わぬ)
それを拭うのも忘れて、腹の底から彼はそう思った。
さて、王子オレイカルコスの横死をインリウムにどう伝えるか……。
「馬から落ちたことにしてしまえ」
ルークが、いささか乱暴な意見を吐いた。
アルペドンは名馬の産地。
血気にはやる若者の事故としては、一番納得がいく。
知らせを受けたインリウムの僭主シデロスは、
「失敗しおって」
と、一言吐き捨てた。
彼のもとには、息子の死の知らせだけではなく、マルガリタ幽閉の情報も、ゴルギアスが再度寝返った情報も届いていた。
この件が大事になれば、マッサリア王国が乗り出してくる。計算高い僭主は一度手を引くことにした。
他方……ルテシアの港、リマーニからは次々と三段櫂船が出港していた。
漕手はルテシアの解放奴隷。
これから夏までに操船技術を会得しなければならない。
恐る恐る船に乗り込み、三段になった、分厚く畳んだ亜麻布を敷いた座席に腰掛ける。
それが無ければ尻の皮が剥けてしまう。
三段櫂船を漕ぐのはそれほど厳しい作業だった。
まずは直進。
インリウム海軍のなれた兵士が一定の拍子で太鼓を叩く。
合わせて櫂を操作する。
冬の名残の高い波を切り裂いて、マッサリア海軍の三段櫂船は湾の内側を進む。
徐々に速度を上げる。
「ひゃあ、海水が入って来やがった!」
外装の枘は松の板を互い違いに組み合わせて海水の侵入を避けているが、水を吸って木材が膨張してやっとピッタリと噛み合う。漕ぎ出したばかりの船に浸水はよくあることだ。手慣れたインリウムの船員が麻屑と瀝青を混ぜた粘度の高い液体を塗り込んですぐに処置する。
「屁をこくな! お前の臭いのが俺の顔に降ってくる!」
「おぉ、すまんのう」
最下層の漕手が真ん中の漕手に文句をつける。
皆、慣れぬことでピリピリしているのだ。
「ここから右に旋回して元の海に戻る!」
インリウム人の船長が命令した。
進行方向右側の漕手は櫂を休め、左側の漕手が懸命に櫂を操作する。
船尾に取り付けられた二つの舵が、ギイイッと音を立てた。
三段櫂船の巨体がゆっくりと旋回を始めた。
「ゆっくり、ゆっくり……その調子」
太鼓は軽快に「右側旋回」の調子を叩いている。
この音に瞬時に反応できるようにならねばならない。
船が回りきる前に、船尾に立つ船長はふたたび「直進」の太鼓に戻させた。舵もまっすぐに戻る。
「上出来!」
ただし、初歩の初歩である。
船同士が交錯し、青銅の衝角をぶつけ合い、船上では白兵戦が繰り広げられる……そんな実戦への対応のため、漕手たちは毎日のように特訓を重ねていった。
雨降って地固まる?
後顧の憂いなくマグヌスは多島海の戦いに出発します。
「どれか選べ」を見たのは何だったか忘れましたが、使わせていただきました。先人に感謝です。
来週も木曜夜8時ちょい前をよろしくお願いします。




