第五章 77.襲撃
評議会への釈明という重大な要件と海賊に対する軍議を終えると、マグヌスたちは霜を踏みながらゆっくり帰国した。
一番寒い時期を旅の道中で越え、王都につく頃には、春の兆しが見え始めていた。
アルペドンの城は相変わらずの威容で一行の帰りを受け入れた。
ルークとは、いったん門の内側で別れた。
「馬を厩に連れて行ってくらぁ」
彼は気さくにマグヌスに声をかけた。
「皆を解散させてから行きます」
隊長ヨハネスはそう告げて、長旅の疲れを癒やすつもりか、護衛の大半を連れて大広間に向かった。マグヌスは手を上げて応える。
建物の入口で足を洗ってもらってから、マグヌスはテラサと従者一人を連れて王の間に入った。
人の気配は無かった。
「疲れたろう」
「はい」
彼女を連れて行った努力は徒労に終わった。
マッサリア王エウゲネスは、マルガリタとの形だけの夫婦関係を続けるよう命じた。
「マグヌス様、お願いがあるのですが……」
宰相ゴルギアスが迎えに来る前に、とテラサが思い切った口調で言った。
マグヌスが返事をしようとしたとき、突然、大勢の走る音がして、王の間に武装した兵が二、三十人あふれた。
マッサリアのものでもアルペドンのものでもない、見慣れぬ装備である。
皆、盾を持ち、剣を抜いている。
「何者だ!」
従者が前に立つ。
武装した兵士は、無言で彼に斬りかかった。
「テラサ、控えの間に逃げろ。テラサ!」
マグヌスも剣を抜いて叫んだ。
彼女は固まっていた。
ゲランスの戦いに巻き込まれて重傷を負った恐怖が、彼女の足を縛っている。
「テラサ! しっかりしろ!」
マグヌスは剣を握った右手で応戦しながら、左手でテラサを引きずって執務室に押し込み、扉を締めた。
そのわずかの間、主人を守った従者はいくつも深手を負って膝をついた。
多勢に無勢、しかも相手は完全武装……。
扉を背に、正体の知れぬ敵と剣を交えながら、マグヌスは叫んだ。
「ルーク! ヨハネス! 誰か!」
襲撃者に誤算があったとすれば、それは、マグヌスたちの結束の強さを見くびっていたことだろう。
ルークは馬たちの手綱を厩舎の奴隷に渡してすぐ、マグヌスの元に向かったし、ヨハネスは主人の身辺警護を引き受ける者たちに引き継ぐまで、武装を解かなかった。
「何事だ!」
駆けつけたルークは、ひるむことなく長剣で鎧の隙を狙って突く。
たちまちマグヌスを取り巻く包囲は乱れた。
とはいえ、盾で扉に身体を押し付けられ、鎖帷子を着ている胴体は良いとして、急所の首を狙ってくる無数の刃に、右手の剣一本で立ち向かっている。
「ヨハネス! 手勢を連れてこい!」
ルークが声を張り上げた。
「来ています!」
旅に疲れた部下たちだが、武装したままである。その数五十あまり。
形勢は徐々に逆転した。
襲撃者たちは逆に包囲され、殲滅された。
かつてアルペドン王アレイオの血を吸った床は再び血塗られた。
「どうして俺たち以外に警備のものが来ない?」
ヨハネスが荒い呼吸をしながらうめいた。
「マグヌス、大丈夫か」
「ありがとう、ルーク、ヨハネス。大事ない」
いくつもの小傷から血を滴らせながら、マグヌスは剣を納めた。
ルークは、倒した兵の装備を改め、
「変わっているな。もしやインリウムの者では」
「まさか……インリウムの王子、オレイカルコスはどこだ!」
マグヌスは、血まみれの凄まじい形相で怒鳴った。
誰も答えない。
襲撃者以外、王の間周辺はは無人となっていた。
「空の巣の蛇。──もしや」
マグヌスは憤怒の表情を浮かべて、部下を率い、普段は立ち入らぬ西の棟に入った。
「オレイカルコス! マルガリタ!」
その叫びに縮み上がった者二人。
二人は、寝屋の中で睦言を交わしていた。
「襲撃は失敗か!」
オレイカルコスは裸のままで、寝床から逃げ出した。
近くにはちょっとした塔がある。
彼はそこへ逃げ込んだ。
塔から屋根へと……。
「逃げたぞ!」
外に回ったマグヌスの部下が屋根を仰いで矢を射掛ける。
「まだ少年だ。生かして捕えよ」
マグヌスは弓手を制しながら言った。
オレイカルコスは屋根伝いに、一段高くなっている北の棟まで逃げた。
「降りてこい。言い分を聞こう」
だが、オレイカルコスにとってあの襲撃の失敗は死を意味していた。必死で逃げる。
逃げて……。
逃げて……。
彼は焦って足を踏み外した。
あぁっと小さな悲鳴が漏れる。
彼は屋根から転落し、地べたに叩きつけられた。
マルガリタは盛装し、何一つ悪びれたところのない態度で血まみれのマグヌスを迎えた。
「オレイカルコスは死んだぞ」
「マッサリアはまたアルペドンの貴重な血を流したのですね」
「違う。彼は戦いもせず、屋根から落ちて死んだ」
「追い詰めたのはあなたでしょう。同じことです」
マグヌスは寝台の横木を叩いて怒りの声を上げた。
「裏切り者!」
「醜い侍女などに心奪われたあなたに何が言えます!」
「テラサはただの侍女ではない!」
マグヌスは叫ぶ。
マルガリタも負けじと声を張りあげる。
「ゲランスの奴隷あがり。アルペドンの王妃など務まるわけがない」
「マルガリタ、いつまでも夢を見ているのはよせ。アルペドン王国はとっくに滅んだ。現にお前の母上はマッサリアで王子の乳母を勤めている」
「母上が……まさか母上が……」
「私を殺したところで、代わりの者が送り込まれるだけ。そのものがお前を戦争捕虜として扱わぬ保証は無い」
マルガリタは黙った。
気ままで贅沢な生活はマグヌスの指示あってのこと。
「話してもらおうか。オレイカルコスを誘惑し、二人して何を企てていたのか」
マルガリタはぐっと首を上げてマグヌスをにらんだ。
「お前を廃し、アルペドンの血を引くオレイカルコスが王に、私が王妃になるつもりだった」
児戯に等しい計画に、マグヌスは笑った。
「馬鹿な。マッサリア王国がそれを認めると思うのか。それにオレイカルコスはそなたの甥……近親婚とは汚らわしい」
「高貴な血統の交わりに汚らわしいとは!」
埒が開かない。
マグヌスは部下に命じた。
「妻を牢に監禁しろ。この企みの全貌がわかるまで出してはならぬ」
マルガリタは抗議の叫びを上げながら連行されていった。
不在の間に仕組まれた陰謀。
からくも切り抜けたマグヌスですが、家庭内のゴタゴタはおさまる気配もなく……。
来週も木曜夜8時ちょい前をよろしくお願いします。




