第四章 73.愛ゆえに
評議会との論戦を余裕で切り抜けたマグヌスは、即座に侍女テラサを待たせている宿に向かった。
「マグヌス様、首尾は」
「上々だ」
驚いているテラサの手を引いて小走りに王宮へ向かう。
「これから王に会う。そして、お前との婚姻を認めてもらう」
「待って、それならば……」
身だしなみの一つも整えておきたい女心……。
だが、マグヌスは強引に手を引いた。
「できるだけ早く王に会わせていただきたい」
王宮の番人に取り次ぎを頼む。
マッサリア王エウゲネスは昼食を中断してすぐに会ってくれた。
アルペドンよりはずっと質素な王の間。
新たに織られた、先の戦いの勝利を描いた壁掛けが目を引いた。
床は単純な幾何学模様のタイル。
王座にはふんだんに銀が使われている。
エウゲネス王は真紅のマントを掛けてそこに座っていた。
「早かったな。無事終わったか?」
「はい、おかげをもちまして……」
マグヌスは深呼吸してから、ずっと言おうとしていたことを口にした。
「王に命じられた、元アルペドン王女マルガリタとの婚姻を解消し、ここにいるテラサを妻に迎え入れたく存じます」
「……テトスから話は聞いている」
エウゲネスは玉座から立ち上がり、二人の方へ歩を進めた。
「テラサ、顔を上げよ」
さすがのテラサも緊張してエウゲネス王と視線を合わせる。
「テトスから聞いた。お前が、我が弟マグヌスを救ってくれたのだと。礼を言う」
「いえ、私は……」
エウゲネスは柔らかい口調で続けた。
「女の身でその顔の傷、我らの兵士が付けたのだな。痛ましい……苦労したろう」
「マグヌス様がかばってくださったので、さほどには」
「王よ、できるならば、テラサの心ばえを認めてください、その見た目ではなく……」
「わかっている、マグヌス。お前が心惹かれた女性だ。さぞ素晴らしいことだろう」
エウゲネスは、ひたとマグヌスに視線を当てた。
「だが、マルガリタとの婚姻解消は許さぬ」
一瞬、マグヌスとテラサは互いを見つめ合った。
「マグヌスはアルペドンを治めねばならぬ。先王の王女を妻にしているという事実、これは大きい。代わりに異国の女性が上に立てば、民の間に混乱が生じよう」
おそらく、テトスから話を聞いてエウゲネスは説得の言葉を考え続けていたのだろう。
「テラサ、お前はマグヌスを愛しているのだな。愛しているなら身を引いてくれ。正妻は諦めてくれ」
「待ってください。テラサに話しかけないでください。立場の弱い女性を責めるとは卑怯!」
マグヌスが怒気をはらんだ声で抗議する。
「マグヌス、二人が愛し合うのに反対しているのではない」
「お言葉ですが……恥をしのんで申し上げます。マルガリタはこの胸の烙印を嫌い、私は彼女に触れてさえいません。それでも正妻とせよと」
「そうだ」
ありありと失望の表情を浮かべる二人。
「アルペドンの王女とマッサリア王家の血を引く夫。それだから民は受け入れてくれている。もともとアルペドンは代々の王が治めていた国。血統は貴重だ」
「だから形だけの夫婦でも良いと?」
「そうだ。テラサ、賢いお前ならわかるだろう」
テラサが視線を落とした。
「わかりました。マグヌス様を慕う気持ちに偽りはありません。お邪魔になるようなことはいたしません」
「待て、テラサ!」
「わかってくれたか。繰り返すが、二人が愛し合うことを妨げるものではない。今まさに、お前がマッサリアに来ているこの機に、マルガリタが誰かを寝屋に引き込んでいるかもしれん。お互いにそれでも良い」
「エウゲネス! 婚姻の契約をなんと考えていらっしゃる! もしや、ルルディ妃にもそんなお考えを……」
エウゲネス王は余裕を見せて笑った。
「それは無い。信じられなければ、アルペドンに帰る前にルルディと会って、自分の目で確かめると良かろう」
「是非、会わせていただきます!」
テラサが、マグヌスの着物を引いた。
見ると、両目に涙をいっぱいに溜めている。
「マグヌス様、失礼しましょう」
「あ、あぁ。わかった……」
マグヌスは納得いかないまま、王の前を辞した。
王宮を出て、小さな崖になった祖霊神の神殿の裏までさまようように歩いた。
初冬の弱い夕日が、失望した二人をそっと照らす。
テラサはこらえきれずに泣いていた。
ほろほろと涙がこぼれ、誰よりも醜いと言われる彼女の頬を伝った。
「テラサ、すまない」
マグヌスが頭を下げた。
「いいえ。私が運命に負けたのです。奴隷上がりが、将軍であるマグヌス様の妻になるなど、甘い夢、だったのです」
テラサは嗚咽をこらえながら切れ切れに言った。
マグヌスは彼女の背をさすった。
「すまない」
「マグヌス様のそばに仕える侍女。私はそれで十分です」
まさか王が愛妾にしろと言い出すとは……。
マグヌスの性格上それはありえないと知っての言葉に違いなかった。
「口づけと短い間の夢、この対価はいつか支払っていただきます」
テラサは涙を払った。
強がる姿が痛々しい。
「おいで」
マグヌスは彼女を抱擁した。
互いのぬくもりを確かめ合う。
柔らかい灰色の髪に頬を押し当てる。
「テラサ……愛している」
「……」
抱き合った二人の姿は、テラサが初めてマグヌスの抱擁を許した夏の日と同様、暗い影となり、月の無い闇の中に溶けていった。
愛が無いにもかかわらず別れることを許されない政略結婚。マグヌスとテラサの愛は、別の形を取ることを余儀なくされました。
では王妃ルルディは?
それは、次週木曜夜8時ちょい前をお楽しみに!




