第四章 72.評議会
勝手に軍を動かしたとして糾弾されたマグヌスは、まずマッサリア王エウゲネスの前へ挨拶に現れた。
テトスの言っていたとおり、王は全く気分を害してなどいない。
むしろ献上品の内容を聞いて喜んだ。
「名高いアルペドンの馬を五十頭とな。飢饉の間によく喰われなかったものよ」
「飼い主が屠殺するには忍びないと大切に守ってきた血統の若駒です」
「調教が楽しみだ」
マグヌスは本題に入った。
「参上する道でテトスに聞いたのですが、評議会が私の行動に怒っていると」
エウゲネス王はうなずいた。
「そうだ。あとピュトンもな」
マグヌスの心の堰が切れた。
自分でも思いがけぬ激しい言葉が口をつく。
「王よ、いつまでピュトンを重用なさる? 彼こそが我々の恨み……」
エウゲネス王は右手を上げ、マグヌスの言葉を制した。その眼光は鋭い。
「我が手で母の死刑執行命令に署名した恨みを忘れたとでも思うか」
「──いいえ」
「お前は南国にいて知らなかっただろうが、マッサリアがここまで大きくなったのは彼の功績でもある。簡単に切り捨てるわけにはいかないのだ」
「評議会を抑えているからですか」
「それもある」
マグヌスは強く拳を握りしめた。
「金貨を持参しております。テトスが評議会に播けと」
「真っ先にピュトンに配れ。悪いことは言わぬ」
やり場のない怒りに震えている弟に、
「お前の弾劾は明後日だ。それまでにできるだけのことをするんだな」
初冬の夜は長い。
マグヌスは、王に言われたとおりに金貨の小袋を持ってピュトンの屋敷を訪ねた。
屋敷はガランとして人気がなく、繰り返し「儂の代で血筋は絶える」とピュトンが言っているとおりの物寂しさが漂っていた。
褐色の肌をした若い奴隷がキビキビとマグヌスを客間に通す。
姿を現したピュトンは不機嫌そうに唸った。
「こんな夜更けになんの用だ。アルペドンの代官殿」
「私に対する誤解を解いていただきたく……」
ザラッと小袋を空けると眩しい黄金の輝き。
「マッサリアでは金貨は珍しくなったとか」
「ゲランスの銀山が順調でな。銀貨は国庫にうなるほどある」
ピュトンが金貨に手を伸ばした。爪ほどしかない小さな貨幣に、東の帝国の紋章が刻まれている。
「誤解というのは何だ。言ってみろ」
「それは……」
マグヌスは、胸の内で何度も繰り返してきた評議会への言い訳をピュトンに話した。
「ハッハッハ……」
いつも不機嫌なピュトンが珍しく声を立てて笑った。
弾劾の日……。
マグヌスの金貨を受け取った者も拒んだ者も、夜明けと同時に評議会の議事堂に集まった。
議事堂は商業地と祖霊神の神殿の間に建ち、灰色の石造りの建物が見るものを圧する。
評議員はピュトンを含む四十人。形式的には選挙で選ばれた市民の代表であるが、実際には一種の世襲貴族と化していた。
対して演壇に立つマグヌスは一人。
「マグヌス、お前は評議会を蔑ろにして、万を越えるアルペドンの軍を動かした。決して許されることではない」
議長の声が議事堂に重く響いた。
「そうだ!」
と、野次が飛ぶ。
マグヌスは落ち着いてゆっくりと議場を見渡した。
「失礼ながら、多くの方は思い違いをしていらっしゃる。私が動員をかけたのは軍ではない。夏の農閑期に食べるに困っている王都の貧民、貧しい農家の二、三男……」
微笑みさえ浮かべて、
「彼らに十分にビールを飲ませ、羊の串焼き、チーズ、干した果物、時には豆のスープ……」
「食べ物の話をしているのではない!」
「パンは柔らかい上等なものを配った。戦場へ向かうとき携帯する玉ねぎを持たされた者はいない。すなわち戦場ではない」
「そうだ!」
叫んだのは金貨を受け取った評議員……。
「あえて戦いと言うなら、それは、氾濫を繰り返すピュルテスの河の神に対する戦い。雨が降るときに獣皮をかぶって雨避けをするのと同じ。これを一人ずつ天の神への反抗として、賢明なる評議会の皆様はお咎めになるのか?」
笑い声が上がった。
いい兆候である。
「これも間違えないでいただきたいのだが、アルペドンの軍は、軍の体裁を欠いている」
笑いがおさまるのを待って言葉を継ぐ。
「勇敢なるマッサリアとその同盟軍によって、アルペドンの軍は壊滅した。指揮官たちは全滅……そのことをご存知ない方はいらっしゃらないと信じる。すなわち、そもそもアルペドンには動員できる軍は無い。命令一下動くような軍があれば、どうして私が夏の炎天下に、真っ黒に日焼けして陣頭指揮をとる必要があるでしょうか?」
マグヌスはよく日焼けした自分の腕を上げて見せた。
議事堂の一角から拍手が起きた。
拍手は議事堂全体に広がった。
ピュトンは最後まで意思表示をしなかった。
マグヌスは議員たちに一礼して、演壇を降りた。評議会の一堂に着席した者たちの表情を見ていれば、評決を待つまでもなく糾弾をうまく封じたと分かった。
「良くやった!」
議事堂の外で待っていたテトスが、してやったりと笑顔でマグヌスを迎えた。
低い空には白い昼の月が薄く浮かんでいる。
「作戦を立ててくださったあなたのおかげです」
「うむ。次は議員たちとの歓談だ。ワインは出してやる。食べ物の露天商を買い占めて、連中に振る舞ってやれ」
歓談は、公式の儀式でこそないものの、マグヌスが自分の影響力を評議会に広めたいなら、欠かすことのできない行事だった。
「血と汗を流す我々と、石造りの議事堂にこもる青白い連中と、真に理解しあえるとは思わないがな」
テトスが吐き捨てた。
「すみません……代理をお願いします。私は王に嘆願することがある」
「お前、まさか、本気で……こら、待て」
テトスの制止を振り切って、マグヌスは立ち去った。
書き溜めしといて良かった!
なんとか更新できます。
来週も木曜夜8時ちょい前をよろしくおねがいします。




