第四章 71.呼び出し
軍を動員しての運河の掘削が一段落し、ホッとしているマグヌスのもとに「マッサリア本国の許可なく軍を動かすとは何事か」という叱責が届いた。
アルペドンの代官という立場上、急ぎ帰国して弁明しなければならぬ。
まずは献上品である。マグヌスは、未だ人を背に乗せたことのない若駒五十頭をよりすぐった。
また、競馬の賭けの上がりとして金貨が思わず多く集まったのでそれを加えた。
二月かけてマッサリアの王都に向かう。
そぼ降る雨の中、道々様子をうかがうに、アルペドンの小麦畑は再び順調に育っている。
「今年もよく実りそうだな」
代官マグヌスの一行だと知れると、村の道に花を撒く子どもたちがいた。
「だから言っただろ。お前は良くやってるよ」
浮かぬ顔のマグヌスをルークが励ます。
「全てが、とはいきませんがね」
せっかくうまくいっているのに、母国で兄王の叱責を受けるのか、と思うと気が重い。
また、愛のない妻マルガリタと別れ、侍女テラサを迎え入れたいという希望が通るかどうか……。本人に会ってもらおうと、マグヌスはテラサを同道した。
国境を超え、ルテシアに入ると、多くの畑は荒れたままになっていた。
「これはひどいな」
ルークがつぶやいた。
森深きルテシアの民は、豊かな材木を使った船を駆使する海の民でもあった。
異国の支配を嫌って逃げたのであろうか……。
黒将メラニコスの失政と言われても仕方がない。
マッサリアに入ると、マッサリア五将の一人、智将テトスが部下を連れて迎えに来ていた。
マグヌスは旅程を切り上げ、早々に幕屋を張ってテトスをねぎらった。
時間をかけて食事の用意をする。
「待て待て、こちらからも出すものがある」
テトスは革袋に入ったワインを運ばせた。
テラサが混酒器に注ぎ、泉の清水と混ぜて、いい具合に薄める。
ルークもお相伴に預かる。
「マッサリアのワインは久しぶりだろう」
「竜将ドラゴニアの宴会を思い出します」
「やめろ。あれは正気の沙汰では無い」
二人は苦笑いした。
ルークは黙々と盃を口に運ぶ。
「献上品は馬と金貨か」
「はい。王に喜んでいただけるかと」
「馬鹿者!」
テトスは声を荒げた。
「心配して迎えに来て良かった。王はお前が軍隊を動かしたことなど、さして気にしてはおられん」
「え? 私は王がお怒りだとばかり……」
「ヘソを曲げているのは評議会だよ。自分たちの承認無しに動員をかけたとな」
「そんな……戦争のためでは無いんですよ。国内の運河の掘削のためです」
テトスは腕組みをした。
「連中に取ってはいい口実なんだよ」
「扇動したのはピュトン、ですか」
「そうだ」
マグヌスはキッと歯を噛み締めた。
ピュトンは、マグヌスの胸に烙印を押させた張本人である。
マグヌスと兄王エウゲネスが十二歳のとき、評議会を味方につけて反旗を翻した男。当時支配権を握っていた先王の王妃を弑し、エウゲネスを幼王として立てて絶大な権力を得た。
成長するにつれ、エウゲネス王は徐々にピュトンから実権を取り戻したが、彼は今も評議会に強い影響力を持ち、マッサリア五将の一角を占めている。
「そうか、ピュトンか……」
マグヌスの目が不穏に輝くのを見て、テトスは彼の肩に手を置いた。
「まだ、その時ではない。それよりもだ、せっかく金貨を持ってきたのだ、評議会に撒いてしまえ」
「買収ですか」
「そうとも言う」
ルークが大げさにため息をついた。
「やだねぇ。王様とか将軍とか。評議会の裏工作の話なんて、平民は聞きたくないねぇ」
「クマ殺しのルーク、お前も自由民か?」
「そうだが、それが?」
「どこの生まれだ?」
「ボイオス。グーダート神国のずっと北だ」
「旧帝国の北の外れか。隣は蛮族」
「それがどうした?」
ルークの声がだんだん不機嫌になる。
「テトス、ルークは何物にも縛られない、真の意味での自由人。出自や経歴は彼にとって問題ではありません」
「だからお前と気が合うのか?」
「そうですね。私は良い親友だと思っていますよ、それに……」
「何だ?」
「出身にこだわるようでしたら、このテラサを妻にしたいと王に申し出るような無謀はしません」
カラン、とテトスの手から盃が落ちた。
「王女を離縁するのか? お前は正気か!」
「正気です」
テトスはマグヌスの額に手を当てた。
「熱があるわけでもないな」
「テラサは賢明な女性です。何度も私を救ってくれました」
当の本人は真っ赤になって垂れ幕の向こうに姿を隠す。
「マグヌス、お前、命を助けられた恩義を愛情と勘違いしているのではないか? すでに解放されている奴隷なら銀貨を数枚与えてやれば済むこと……」
「彼女を侮辱しないでください」
テトスは天を仰いだ。
「このことは、俺から先にエウゲネス様の耳に入れておく」
「王を説得する自信はあります」
「悪いことは言わん。止めておけ」
ルークが割って入った。
「男の向う傷は栄誉なのに、女はダメか」
「俺は見た目だけを言ってるのではない」
「マグヌスには言わんでくれと頼まれていたが、テラサはゲランス一番の高名な医師の娘さんだよ。彼女の聡明さを見抜いた父親が、兄弟を差し置いて彼女に教養と医学の心得を授けたのさ」
今度はマグヌスがびっくりする番だった。
「それで、私のあの怪我を……」
「そうさ。それでお前が助かって、ルテシアの悪巧みが明らかになった。勝利は彼女のおかげさ」
「……ううむ」
テトスは再び腕を組んだ。
「わかった。それも含めて王に進言しよう」
深いため息。
「迎えに来て良かった……」
次回、ついに評議会とマグヌスの対決です。
事前工作は功を奏すのか、まだまだ余談は許しません。
どうぞお楽しみに!




