第四章 69.駿馬産む草原
時間は少し遡る。
アルペドンの住民は平和を喜び、新年を祝う夏至の祭りが国を上げて祝われることとなった。アルペドンの暦では夏至から新年が始まる。
マグヌスは、戦車競走か競馬を太陽神に奉納するよう命じた。
そして賭けを許し、胴元から収入の十分の一を金貨で国庫に納めさせることにした。
俄然やる気を出したのが商業に携わる解放奴隷や在留外人である。
馬の系統がどうの、馬場との相性がどうのと商業地で演説し賭け金を集めた。
馬の乗り手や戦車の御者に与えられるのは金銀ではなくオリーブの枝を編んだ冠一つである。その名誉は計り知れないものだった。
誉れをおもんじる良家の男子は、良い馬を集め練習を繰り返した。
夏至祭当日……競争と賭けは、祭りそのもの以上に盛り上がった。
宰相ゴルギアスは補佐官ヒッポリデスを伴い、マグヌスの代理として競馬場の観覧に訪れた。
王都郊外の競馬場には、二本の柱が霞んで見えるほど広い距離をあけて建てられ、その間を十往復する形式で、二頭立ての戦車競技が行われようとしていた。
競馬場の観覧席のみならず、見下ろす丘まで観客があふれ、女たちまで姿をみせる。
一段高い特別観覧席からゴルギアスが手を振ると観衆は拍手で迎えた。
「こんなに賑やかなのは久しぶりだ。王都は空になったのか」
「あの戦いの日々が嘘のようです」
出場は六組、一番人気は青毛の二頭が引くいかにも軽そうな戦車だった。思ったほど出場が多くないのは、飢餓の時期に結構な数の馬が喰われてしまったからだ。
競争は馬蹄の響きと歓声で始まった。
最初の直線で、早くも芦毛の引く戦車が出遅れた。
先頭の集団はもつれ込むように折返しの柱の周囲を回る。一番最初に旋回を始めた青毛の戦車が、速度を維持できずに、しんがりから二番目に落ち、馬群に沈んだ戦車は追い抜いていく他の戦車と接触しそうになり、観客は、悲鳴をあげた。
代わりに先頭に立った鹿毛たちが、力強く戦車を引く。
「似ているな。戦車競走も、人生も」
「どういうことですか、ゴルギアス様」
「生き急いではならぬということだ。時期を得るまで雌伏も必要」
先のアルペドン王に左遷された自分が今、マッサリア占領下で権力を握っている。
代官であるマグヌスはほとんどの裁量を彼に任せ、大切な人事にも異論を唱えることは無い。
「我が世の春よ」
自然と笑みがこぼれた。
十周目……最後の力を振り絞った馬たちが駆ける。
折返しの柱のところで、周回遅れだった芦毛の組と栗毛の組が接触し、双方周回路の外へ弾き飛ばされた。
控えていた奴隷たちが急いで駆け寄り馬と人に応急処置をする。
勝利の栄光は鹿毛の組の戦車に決まった。
決勝点を駆け抜け、手綱を引きつつ雄叫びを上げ、手を振って観客に応えた。
馬の興奮が治まってから、太陽神の神官が、勝利をおさめた鹿毛の御者と馬の持ち主に冠を授ける。
観衆は地鳴りのような賛美の声でそれを讃えた。
「これでマグヌス様は人心を得たな」
「あとはマルガリタ様との関係が……」
「だが、死刑囚の烙印は間違い無いことだ。あの気性の激しいマルガリタ様が受け入れるお気持ちになるかどうか……」
かすかに嫌悪の色がゴルギアスの顔に浮かんだ。
(マッサリアの後盾など無くても自分はアルペドンを取り仕切れる。いや、むしろかつての王国の栄光を取り戻してみせる)
夏至祭での戦車競走の成功を工事現場で聞いたマグヌスは、他の祭礼でも馬の能力の競争を奨励するよう命じた。
アルペドンはもともと良馬の産地として知られている。
「良い成績を残した馬を記録し、それをもとにより良い馬を選抜する。その暁には強力な騎兵隊を構成する」
壮大な計画をマグヌスは持っていた。
騎兵隊にとどまらず、先の戦争で壊滅したアルペドンの軍は立て直せていない。
指揮官レベルに戦死者が多く、運河の掘削程度のことならなんとかなるが、戦争ができるほど指揮系統は整っていない。
「マッサリア王国の補助戦力となれるよう、そのうち建て直さなければ……」
愛情のない妻、マルガリタの事を忘れるために、マグヌスは事業に没頭した。
宰相ゴルギアスの慢心にも気付かないまま……。
しかし、それは権力者の間でのこと。
アルペドンの住民たちはやっと大麦の粥から解放された。
豊作で腹は満ち、公認の娯楽もある。
ほとんどの住民は、かつての支配者を忘れ、マッサリアの代官マグヌスの統治、そしてそれを実行するゴルギアスに満足した。
そして、マグヌスの思惑通り、痩せて麦の栽培には向かぬとされていた草原は牧場となり、国をあげて馬産に励むようになった。
やっぱり、どこかで戦車競走は書かせませんよね。復興途上とあって少々規模は小さめですが。
「無駄なものはない」と豪語した通り、マグヌスはアルペドンの国力を高めて行きます。
今回は地の文ばかりでごめんなさいです。
来週は通常仕様に戻ります。
どうぞお楽しみに。




