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第四章 68.新しい大地 その二

 大規模な工事は夏の終わりまで続いた。

 万を超える軍を動員しても、まだまだ終わらない。


「今年はここまで」


 マグヌスは工事を中断し、王都へ帰還した。

 兵士たちは勤勉な農夫に戻り、秋の種まきに精を出す。


 王宮では苦虫を噛み潰したような顔の宰相ゴルギアスがマグヌスを出迎えた。


「マルガリタ様を離縁し、侍女を妻に迎えるなどと本気ですか」

「本気だとも。マルガリタが応じなければ、強制的に離婚する」

「……」


 ゴルギアスはさらに顔をしかめた。

 彼にとってマルガリタは未だ主人の一族である。


「祝ってくれぬのか? 運河の出来は上々、再来年には水を通すことができる。ここを手始めにピュルテス河を手懐けてしまうつもりだ」

「それは……流域の民は喜びましょう」

「うむ」

「しかし、マグヌス様、マルガリタ様を追いやってアルペドンを乗っ取れば、人心が離れるのではないかと」

「一時的にはそうかもしれない。お前は知らないがテラサは優れた女性だ。きっとアルペドンのためになってくれる」


(そこまで惚れているのか)


 半ば呆れ、半ば好奇心で、ゴルギアスはテラサを中庭に呼び出した。

 

 専門の奴隷が丁寧に整えた中庭に戦いの痕跡は見られない。

 テラサはベールをかぶることもなく呼び出しに応じた。

 

 肩で切りそろえた灰色の髪に黒い瞳。

 衣服は生成りの麻の着物(キトン)に黒い帯。

 そして何より、顔面に受けた刀傷の醜い痕。

 どこから見てもマルガリタの代わりにふさわしいとは思えない。


 ゴルギアスは高飛車に言ってのけた。


「たかがゲランスの解放奴隷上がりにアルペドンの王妃が務まると思うのか」

「何をおっしゃいます?」

「おとなしく身の程をわきまえて愛妾の立場に戻れ」

 テラサはクイと顎を上げた。

「そうですか。ゴルギアス殿、人を殺して財布から銀貨を奪えば強盗とそしられるのに、国を滅ぼして銀山を奪えば称賛される。おかしいとは思われませんか?」

「何を!」


 まさか反論されると思わなかったゴルギアスは慌てた。

 

「マグヌス様が穏やかな占領政策を敷いていらっしゃるおかげで前と変わらず生活できているのに、戦勝国だとでも思っていらっしゃるのですか? 片腹痛い」


 ゴルギアスは言葉に詰まった。

 確かにマグヌスが苛烈な占領政策──例えばアルペドンの住民を皆んな奴隷として根こそぎにし、その後の土地をマッサリアの貧民に分け与えて定住させる──そのようなことをすれば、アルペドンの平穏は無くなる。


 加えて、マグヌスが広い裁量権を宰相ゴルギアスに与えているために、彼は今、自分が理想とする国家運営ができている。

 それは間違い無い。


 テラサは醜い顔を歪めた。微笑んでいるのだ。


「女のくせに」


 ゴルギアスは禁句を口にした。


「その女のために使い走りをしているあなたの、どの口が言うのですか?」


 テラサは畳みかける。

 これは、ゴルギアスがマルガリタの意を汲んで動いていることを皮肉ったもの。


「……」


 とうとう言い負かされたゴルギアスは、中庭から退散した。


「愚かな男……」

 

 テラサは小声でつぶやき、つややかな庭木の葉を撫でた。


 ゴルギアスは注進すべくマルガリタの元に走った。

 マグヌスが本気で彼女を離縁しようとしていること、競争相手(ライバル)のテラサは、姿こそ醜いがとても一筋縄ではいかぬこと……。


「私はアルペドンの王妃なのですよ」

「だから、それが危ういと申し上げているのです」


 マルガリタは爪を噛んだ。


「マグヌスという男!」


 結い上げた黒髪のほつれ毛が揺れる。


「あの母殺しのマッサリア王が私を捕え、マグヌスに投げ与えてから、私の運命は決まっていたというのに!」


 ゴルギアスは良い思いつきと手を打った。


「マルガリタ様、それです。もう一度マグヌス様と話してみましょう」

「頼みましたよ」


 マグヌスにマルガリタとの婚姻を強いたのがマッサリア王である以上、離縁には彼の許可が必要だ。


 マルガリタはアルペドン王妃という幻想に囚われていたが、ゴルギアスも同様だった。

 マルガリタが、高い身分と安楽な暮らしをなげうって異国に嫁いだり身分を下げたりできないように、ゴルギアスも王族に重用される自分という幻想から覚めるのを恐れていた。


「承知しました」


 ゴルギアスは、マグヌスを探した。

 彼は王座ではなく控えの間で、地図を眺めていた。


「マグヌス様、ご確認したいことがございます」

「何だ?」


 彼は地図から顔も上げずに言った。


「マルガリタ様を離縁なさるのは、マッサリアの兄王もご存知のことでしょうか?」

「……いや」

「マルガリタ様との結婚は、マッサリア王エウゲネス様のご命令と聞いておりますが……」


 ゴルギアスは、無意識に着物を握りしめながら問うた。

 マグヌスはやっと顔を上げ、遠くを見つめた。


「そうだ」

「では、離縁も新たな結婚も、エウゲネス様の了承を得てからのほうがよろしいのではないかと存じます」

「……」


 マグヌスは、再び地図に目を落とした。


「一理ある」

「そうしている間に、マルガリタ様のお心が解けるやもしれません」

「……お前は、本当に主人思いなのだな」

「え?」

「マルガリタが侮辱した私の心中も察して欲しいものだ」

「そ、それは失礼いたしました」


 マグヌスは、ゴルギアスに向き直ってはっきりと言った。


「約束しよう。兄王の承諾があるまで、マルガリタを離縁しないし、テラサとも結婚しない」


(これで時間稼ぎはできる)


 ゴルギアスは密かに安堵のため息をもらした。



宰相ゴルギアスと侍女テラサとの会話は、有名なアレクサンドロス大王と海賊の対話をアレンジさせていただきました。


次回はやや趣きを変えて、マグヌス統治下のアルペドンを描くつもりです。

どうぞお楽しみに。

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― 新着の感想 ―
[良い点] たしかに離婚は、エウゲネスさんの命令にそむくことになってしまうから、ちゃんと説明して納得してもらっておいた方がいい! マッサリアと関係が悪くなることだけは避けたい!!
[良い点] おおっ!アレクサンドロス大王と海賊の逸話をモチーフにされたと。どんな文献をお読みになったのか気にかかります。似たような話なら戦国武将北条早雲と馬泥棒の話もありますね。 裁きの場に引き出され…
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