第四章 65.初夜の過ち
食糧問題、峠の山賊討伐問題に意欲的に取り組む間、マグヌスは、妻としてマッサリア王エウゲネスから与えられたマルガリタをしたいようにさせていた。
侍女は以前から仕えていた者を集め、王宮のもともと住んでいた西の部屋に住まわせ、欲しいと言われる物を与えていた。
乏しい食糧事情の中、彼女には最大限の配慮をした。
「母妃はエウゲネス王が自分の物としてしまったので叶えられないのだが……」
と、この点については詫びた。
マルガリタの母、アルペドン王の妻だった母妃は、エウゲネス王が侍女長として使っている。
マルガリタは少しずつ元気を取り戻していたが、マグヌスを夫として認めることは拒否した。
「王族の私が臣籍の者を夫とするなんて」
気心の知れた侍女に公言していた。
「それはそうだろうな。大国アルペドンの王女が、将軍とは言え他国の臣に嫁ぐのは抵抗があるだろう」
「マグヌス様、やはり彼女はどこかに嫁がせるおつもりですか?」
テラサが訊いた。
「そのつもりだ。マッサリア王国の代官という立場なら、血縁関係は無用。評議会の決定は私にはありがたいよ」
「エウゲネス様がどうおっしゃるか?」
「納得してもらうさ。私は新しいアルペドン王ではないのだから」
そっとテラサの肩に手をかけ、
「お前には心配をかける。すまない。もし王の許可が得られれば、すぐにでもお前を……」
テラサはマグヌスの手を肩から外した。
「それ以上はおっしゃらないでください。私はあなた様に仕える侍女で十分です」
「テラサ……」
「お心の中に別の女性がいるのでしょう?」
「──む」
マッサリア王妃ルルディの太陽のような笑顔が心をよぎる。
手の届かない相手と知っていても、心は惹かれる。
「王妃様には忠誠を誓っている。それだけだ」
刀傷で醜くゆがんだテラサの顔の表情は読み取れない。
ゲランスとの戦いで得た戦争捕虜から解放された彼女。
過去を語らず、マグヌスが矢傷で重傷を負ったときには適切な処置で彼の命を救った。
うつむいて、短く切りそろえた灰色の髪をかき上げている。
彼女が何かを考えているときの癖だと最近気付いた。
「テラサ、何を考えている?」
「マルガリタ様に、あなたがマッサリア王の異母弟であることをお伝えしたらどうかと思いまして」
「ふうむ」
「王と血縁があると分かれば、彼女がマグヌス様を見る目も変わるかと」
マグヌスは白い歯を見せて笑った。
「どうしても私たちを結婚させたいんだな」
しかし、この案が意外に効果的だった。
(あの、母殺しのマッサリア王の弟!)
マルガリタのマグヌスを見る目は一変した。
元々マグヌスは好男子である。
自分には良くしてくれる──むしろ甘い。
難点だった血筋も、王の弟なら問題はない。
声は、マルガリタの周辺から上がった。
「婚姻の儀式を」
ゴルギアスが意外そうな声で尋ねる。
「まだ挙式していらっしゃらなかったのですか? それならばかえって好都合。アルペドンの民も、誰が支配者かよく理解するでしょう」
こうなると事態は本人の意図とかかわりなく進む。
農繁期に入る直前に二人の結婚式は執り行われた。
食糧難ゆえ、派手な宴会はなかったが、マルガリタは祖霊神の聖水で身を清め、ベールを身に着けた姿でマグヌスと並んで皆の前に立った。
宴会の代わりに、無償でパンが貧富の別なく配られた。
山のように準備してあったパンが見る見る無くなる。
マグヌスとマルガリタは手をつないでその光景を見守った。
そして夜。
マルガリタは処女ではない。
前夫を亡くしてからむしろ夜の秘め事に飢えていた。
「あなた、やっと二人になれましたわ」
「そうだな。疲れたろう」
「いいえ、さほどには」
マグヌスには、告げねばならないことがあった。
「マルガリタ、夫婦の契りの前に聞いてほしいことがある」
「何でしょう?」
マルガリタは手燭を近づけて、マグヌスの顔をよく見ようとした。
(確かにあの王とそっくりな顔をしているわ)
手燭を手近な台に置く。
「明かりは消してほしい」
「恥ずかしいの?」
マルガリタのほうが大胆だった。
「いや、違うんだ……」
「まるであなたが花嫁ね」
マルガリタは勢いよくマグヌスの衣装を引っ張った。
「待て!」
はずみでピンが飛び、麻の衣装は床に滑り落ちる。
マグヌスの胸が明かりにさらされた。
見まごうことはない──二つの十字──死刑囚の証。
マグヌスはすぐにくるりと背を向けた。
「これは、なに」
夢見心地だったマルガリタが詰問する口調になる。
「あなた、これはどういうこと?」
「そのことを説明しようと思っていたんだ。落ち着いて……」
マグヌスは敷布で上半身をおおってマルガリタの方を向いた。
「いや! この烙印は何! あなたは死刑囚なの?」
「聞いてくれ」
「ダメ、そばに来ないで。触らないで!」
マルガリタは悲鳴を上げた。
何事かと侍女たちが駆け付ける。
「汚らわしい! 私はあなたを夫とは認めません!」
「良いだろう。私もお前を妻とは認めん!」
マグヌスは珍しく我を忘れて激高した。
衣装を素早く身体に着けるとと足音荒くマルガリタの部屋から立ち去った。
王の間に戻るとテラサが立ち上がった。
心配で眠れなかったとみえる。
「一人にしてくれ」
マグヌスは、彼女さえ拒否した。
「……」
石壁に拳を打ち付ける。何度も。何度も。
「……う、……くぅ……」
うめき声がかすかに漏れる。
ガランとした王の間に一人、マグヌスはまんじりともせず夜明けを迎えた。
マグヌスの弱点、最悪の形で現れてしまいました。
どうするマグヌス……。
次回も木曜夜8時ちょい前でお楽しみに!




