第四章 64.グーダート神国
「穀物が、余っているところはグーダート神国」
防諜の一員と言う塩屋の親父はそう言った。
なるほど戦場にもなっていないし、農民からなる兵士もほとんど戦っていない。
「ただ、元敵国か。国境は閉鎖されているし微妙だな」
「そこさ。俺がいくら上申しても取り入れてもらえなかったのはな」
「──何とかしてみせる。塩屋、礼を言う」
「その、塩屋ってのは止めてもらえないかな」
彼は半白の頭をかきながら、
「一応、アウティトテウって名前があるんだ」
「異国人か?」
「両親がな。俺はアルペドンで生まれたが、在留外人ってのはつらいもんだ」
その土地生まれの自由人と違い、解放奴隷や在留外人は差別される。
土地を持てないというのが最たるものだ。
「すまないが、発音しにくい……アウティスでもいいか?」
「なんとでも。仕事のたびに偽名を使うんだ。慣れてるさ」
「積もる話は後にして、重ねて礼を言う。交渉はこちらの仕事だ」
マグヌスは宰相のゴルギアスを呼んだ。
「グーダート神国に使者を立ててくれ。先日の戦いで失われた貴国の兵らに敬意を払うため、グーダート神国の流儀で埋葬しなおしてもらいたいと」
「言うことを聞いてくれるでしょうか?」
「とりあえず、きっかけはそこだ」
「承知しました」
万物の先祖、祖霊神──名を呼ぶことは許されていない──はあらゆる国で広く信仰されていたが、グーダート神国の守護神グダルは、祖霊神の弟神で、地下と死者を支配しているとして崇められている。
グダル神は祖霊神に次ぐ力を持ち、しばしば神託を与えて軍の攻守など人のとるべき道を示す。
シュルジル峠で死んだグーダート神国の兵は、一つ穴に投げ込まれただけで適切な埋葬を行われていなかった。
一般に土と水をささげて適切な埋葬をされなかった者の魂は永遠に虚空に漂い、苦しみ続けると考えられている。グダル神を信仰しているならなおのこと、死後の幸福は大切である。
グーダート神国からの返事は早かった。
「死者を我々の流儀で弔いたい。神官たちと護衛の軍をつけるので、邪魔しないように」
「避けがたい戦いの中で彼らは優れた戦士だった。我々も称賛を惜しまない」
マグヌスたちは乏しい食料を大盤振る舞いして、グーダート神国の一行を歓待した。
グーダート神国軍は、墓穴を掘り返し、半ば骨となった兵士たちを麻布で包んで平地まで運び、丁寧に一体ずつ正当な流儀で弔った。
深い穴を掘り、死体の頭の下には香りのよい薬草を敷き、上から土をかける。
神官が荘厳な呪文の詠唱を行い、戦士たちは盾を剣でたたいて、魔を追い払うけたたましい音を立てた。
ひと月かけて作業が終わるころ、戦士たちの勇敢さをたたえる石碑が運ばれてきて、墓所の端に建てられた。
「今回のこと、マッサリアにも人の心を持つ者がいるとよくわかった。私の弟も、マッサリア軍の最後の反撃で命を落とした。今、私の手で弔ってやれてほっとしている」
一団を率いてきた指揮官が、マグヌスに礼を言った。
その最後の攻撃の指令を出したマグヌスの心中は複雑だが、おくびにも出さず返礼した。
「我が国に、この礼としてできることがあるかな?」
「グダルの神に聞かねばわかりますまい」
「よくわきまえているな」
「──シュルジル峠を開放して、交易ができるようになれば我々としてはありがたい」
弱みは見せられないので、穀物をくれとは言えない。
「確かに我々もシュルジル峠を封鎖して以来、必要な薬草が入らなくなって困っていたところだ。神官長と執政官に話してみよう」
「ありがたい」
今回のことで、グーダート神国の、新しいアルペドンに対する感情は好転した。
だが、今日や明日グーダート神国の穀物が流れ込むわけではない。
薄い大麦のかゆをすすりながら、マグヌスは泣き言を言った。
「腹が減るとは切ないものだな」
「下々の腹はもっと減っております」
テラサが、いつものように切り返す。
道に転がっていた死体は軍の監督下、奴隷たちによって処分されて人目につかなくなり、自警団が組織されて暴徒の横行は下火になった。
実りの秋を待っても好転はしなかった。
実り始めた果樹は、熟さないうちにむしられて人々の腹に入った。弱っていた者は腹を下してそれが命取りになった。
誰にもなすすべが無かった。
春小麦の産地から、わずかながら秋の実りがもたらされた。競りは行わず配給制としたが、灼けた岩に落とされた水の一滴のようなものだった。
そして、 飢えに苦しんで数か月、解放されたシュルジル峠を通って、最初の穀物が輸入された。
取り仕切ったのはアウティスである。
まずは種もみの確保。これを国の責任でマグヌスは行った。
配布は郷里の制を利用し貧農にまで行き渡らせた上で、ほそぼそとではあるが粥が配給された。
この時点から飢餓は最悪の事態を脱し、マグヌスはアルペドンを救った。
だが、次の初夏の収穫まで気は抜けない。普段は貧困層の主食である大麦、荒天をついての南国の植民市からの輸入穀物、これらもマグヌスは手を尽くしてかき集めた。
陰にはアウティスはじめ交易に携わる在留外人の協力があった。
「連中、銀貨を受け取らないので最初は苦労したよ」
「──これからは銀貨の時代になる」
ゲランス鉱山からは今も豊富に銀が産出されている。
働き手は、戦争捕虜と安く購入したルテシア──ここも飢饉で苦しんでいる──の奴隷である。
片面に王と王妃を、もう片面に鷲を刻印した銀貨だが、その品質の高さから、マッサリア以外でも受け入れられ始めていた。
(エウゲネス王は経済面でも帝国を再建しようとしている)
膨らませた柔らかいパンを久しぶりに口にしながら、マグヌスはエウゲネス王の野心の大きさに感嘆した。
(さて、グーダート神国の突き付けてきた難問をどう解決するかな)
彼らはシュルジル峠を開放する代わりに、その周辺の山にこもって旅人を襲う山賊の一掃を求めた。
(神にしては現実的な要求だな)
「マグヌス様、そろそろお休みを」
「お、ありがとう」
テラサが薬湯を持ってきた。
これを飲むようになってから、マグヌスは、黄色いオオカミの幻やシュルジル峠の悲惨な戦いの記憶に悩まされることがなくなった。
(作戦は明日以降考えよう)
マグヌスは、アルペドンの王宮の寝室の贅沢な寝床に慣れない身体を横たえた。
食糧難が一段落してひと息ついたマグヌスに次の試練が降りかかります。題して「初夜の過ち」
来週も木曜夜8時ちょい前に更新です。
お楽しみに!




