第四章 63.飢餓
マグヌスたちはアルペドンの新たな支配者として王宮に入城したが、人数も少なく、特別な行事もなかった。
王宮では、マッサリアに寝返り、残っていた高官たちが出迎える。
マグヌスはロバのヒンハンから降りて、彼らの手を取った。
「これから一緒にアルペドンを頼む」
「はあ、はい」
疑惑を面に表す高官たちに、
「私はこの国のことを知らない。まず、そこから教えてくれ」
「王よ、まずは休まれてから……準備はいらないと言われたものの、お迎えにあたって宴の用意ができております」
「王ではないのだが……ありがとう。では話しながら食べよう」
乗り物はロバだし、ワインのような落ち着いた赤い色の縁取りがある白い着物は文官に見えるし、髪は伸ばしてくくっているし……。
風体も乗り物も変わっているが、とりあえず人当たりの良い人物が来てくれたと、高官たちの多くは安堵した。だが幾人かは警戒心を解いていなかった。
広間にいくつもの寝椅子と食卓を並べ、給仕の奴隷たちが次々に料理を運ぶ。
確かに質素だが、アルペドンの食糧事情を考えれば、十分豪華な宴席となった。
マグヌスの歓待を口実に、高官たちはしばらくありついてない美味を口にしようと考えていた。
マグヌスは複雑な顔で料理を眺める。
王宮に来るまでの道々で、恐ろしいものをマグヌスたちは見ていた。
道端には養えなくなった子どもや老人が捨てられ、奴隷商人が見繕ってさらっていった者以外は衰弱死した。
夏の日に死体の腐敗は早く、ハエがたかり悪臭を発している。
飢餓は、人々を平等には襲わない。
より貧しい者、弱い者から斃れた。
この分では、神殿のわきは死体の山になっているだろう。
そして、種もみまで食べつくした貧農たちが都市に流入し、暴徒と化して食糧がありそうなところを襲う。治安の悪化はすさまじい。
これを放っておけば、悪疫が流行し、今度は有力者まで病に倒れる。
マグヌスが為政者としてまず取り組もうとしたのがこの飢饉だった。
野兎を焼いたものを一口食べてマグヌスは皿に置き、感謝の意を示した。
「歓待には感謝する。しかし戦を繰り返してきたアルペドンの食糧事情の悪化はよそ者の自分にも想像がつく。美味はありがたいがこんな贅沢な料理を食べている場合ではない」
書記官が突然立ち上がって、水晶のグラスを掲げた。
「王を飢えさせることはあってはなりませぬ! 十分にお召し上がりください」
「いや、無理はしなくていい」
おっとりとマグヌスは言い、寝椅子から身体を起こした。
そして、寝椅子に横になっている者、立っている者、全員を見渡した。
「我々マッサリアは、アルペドン王家の男系を絶やした。恨みはあるだろう。ただ、今は為政者が誰かを問うている場合ではない。戦いで穀物の収穫量は半減し、家畜も食い尽くしているだろう。手を打たねば飢饉になる。いや、もう始まっている」
しん、と、場は静まり返った。
「マグヌス様、我らの民のことを第一にお考えくださって……」
と、宰相のゴルギアス。現実主義者の彼は無謀な拡大政策を取る先王アレイオと対立し閑職に追いやられていたが、アルペドン王国の瓦解を受けて政治の中枢に復帰を果たした。
「国の備蓄穀物は底をつきました。穀倉地帯をインリウム国に奪われたために、そこに残っていたかもしれない穀物も、こちらには回ってきません」
「ルテシアの輸入穀物を回してもらえるよう、マッサリア王に交渉しているのだがな。アルペドンに渡す穀物はあるまい」
マッサリアも、戦いにより穀物の収穫量は落ちている。ただ、戦場となったアルペドンほどひどくはないため、ルテシアの良港からの輸入穀物で何とかしのぎ切れる見通しだ。
「とにかく穀物、穀物だ。こちらの港にも輸入できるが、ルテシアのようなわけにはいかない……」
「そうだ、王……ではなくてなんとお呼びすればよいでしょう?」
「普通に、マグヌスでいい。ここの統治を任されたというだけで、血筋がどうとかいうつもりはない」
「確か……エウゲネス王の異母弟に当たられると」
「王位継承権もなければ、親から受け継いだ領地もない。ただの人間だよ」
フッと彼は笑った。
単なる代官とはいえ、苦難に満ちた出発とはいえ、ここで初めての自分の理想を実現できる領地を得たマグヌスの胸は弾んでいた。
「そういえば、マグヌス様は、誰にでもお会いになると聞きましたが」
「この国のことを知りたいので」
「一人、さっそく待っているものがおります。それも穀物のことでと」
「会おう。宴会は、そちらで続けてくれ」
マグヌスは、華美な王の間に向かった。
王座は床から二段高くなっており、嫌がうえにもそこに座るものの権威を強調した。
ゴルギアスは、床にひざまずいた男を紹介した。
「こちらが、我々の諜報を担う者となります」
相手は顔を上げることもせず、小さな声で言い訳をした。
「新王は誰でもお目にかかれると聞き及び参上しました……」
「──まず、王ではない。気軽にマグヌスと呼んでくれればいい」
「え?」
ひざまずいていた男が顔を上げた。
「お?」
二人とも相手を指差し、
「あー!」
と、同時に叫び声を上げた。
「塩屋のオヤジ!」
「オンボロ傭兵!」
エウゲネス王が南征から帰国する前、アルペドン王アレイオに追われたマグヌスとルルディは、塩を運ぶ隊商に紛れ込んで難を逃れたことがある。その時の、塩の商人である。
「新王がくるってビビっていたら、マグヌスかよ!」
「無礼者!」
ゴルギアスが制した。
「良い、良い。昔のなじみだ。私は今はこの地の統治者。マッサリア王エウゲネスの異母弟にあたる。そしてあの時の町娘はマッサリア王妃だ」
「ひょっ……」
「それくらい見抜けなくて諜報の一員とはちゃんちゃらおかしい。それはそうと」
マグヌスは王座を降り、塩屋のそばに寄って膝をついた。
「詳しいのは塩だけではあるまい。今、アルペドンは食糧に窮している。穀物を融通してくれないか。
いくらでも買うぞ」
「それを言おうと思ってたんでさ」
にんまりと塩屋は笑った。
「穀物が余っている国がありますぜ」
「それはどこだ」
「グーダート神国でさ」
どうだ、と言わんばかりに胸を張った。
初めて得た領地に心を踊らせて入ったマグヌスを待っていたのは、ひどい飢餓でした。
実際には2〜3年おきに飢饉は起きていたようですね。
切り抜けることはできるのか。
また来週木曜日8時ちょい前にお会ぃしましょう。




